私の体の半分はマンガから吸収した栄養で細胞分裂を繰り返し作られた。
大袈裟ではなく、マジガチで私はこれまで多くのマンガから様々な価値観を学んだ。
印象に残るシーンやセリフを辛い時に当てはめて乗り切ったり、楽しい時は更にぶち上げたりしてきた。
そういった感動や影響をマンガから受けたのは、きっと私だけじゃなく、多くの人にも当てはまると勝手に思っている。
絵のタッチや内容によって好き嫌いが分かれるとは思うけど、マンガって人の生き方に影響を与えるレベルなんです。
それを活字でブログに書いてるっていうのもおかしな話かもしれないけど、マンガの中はもっともっとおかしな話だらけで、伝えたい事もそれぞれで、単なる表現方法の一つである。
マンガじゃないと伝わらない熱い場面がある。
活字だからこそ自由にイメージ出来る場面がある。
映画やドラマだからこそ表現出来るリアルがある。
どれもこれも捉え方はそれぞれだけど、マンガや小説やドラマや映画に登場する誰かの人生を垣間見て、それを自分の血肉にするような感覚を私は持っています。
「影響を受けずにはいられない。」
そんな感じ。
今回は誰かに感動や影響を与える表現方法について伝えたい。
感情移入出来るか。
私の体の半分はマンガや映画などの様々なフィクションで出来ているので、多少大袈裟に感じてしまうかもしれないが、物語の主人公や登場人物に対して感情移入出来るかどうかはすごく重要。
超ブルーなテンションの時も超ハイなテンションの時も、「わかるわ〜その気持ち〜」とならなければ感動や影響力は薄れる。
どんなにファンタジーな世界観を持った作品でも同じ。
感情移入が出来ないと心まで響かんのです。
悲しい時も、楽しい時も、その背景がちゃんと理解出来ていないと入り込めないんです。
「わかるわかる。わかるよー!」とならなければ物語にのめり込めないのです。
共感を大事にする人もいる。
リアルさね。
確かにそれもある。
大事。
ただ、私の中ではまだ別にもあるのです。
それは「時間を意識させる事」です。
今日初めて会った人から武勇伝を聞かされても「すげー」と相槌は打てても感動しなくない?
私はしない。
なんならちょっと「ウザっ!」っと思うタイプ。
でも学生時代を一緒に過ごした友達と昔の話をすると、共感出来て、感動も出来て、思い出にも浸れる。
この「一緒に過ごした時間の差」はデカイんです。
例えばサッカーのマンガだったら、文字だけで相手が「強豪」とだけ説明して、その試合に2対1で勝った姿を描いても感動しないんです。
「強いんだねー」程度に伝わるだけ。
ところが多くの仲間と共に時間を費やして、頑張って、努力して、悔しい思いをし続けて、やっとの想いで辿り着いた強豪との一戦でギリギリで勝利すると感動するんです。
わからないかな。
甲子園って、なんか、勝っても負けても感動しませんか?
私、します。
高校球児達の背景に凄まじい練習やそれに費やしてきた3年間が滲み出ているからです。
表情で、プレーで、応援で、「試合にかける想い」が伝わってくるんです。
その想いってのは時間を掛けないと生まれないんです。
その時間を共にしたような気持ちになると、「ただの試合」が「感動の試合」に変わる。
のめり込むんです。
「費やした時間を想像させる」
それが感情移入のカギだと私は思っている。
伝わったかな。
毎年卒業していく生徒がいるのに自分が卒業する時だけは特別な思い出になるじゃん。
あれは自分が過ごした時間が思い出に残っているからで、他人から見たら「ただの卒業」だからね。
って事。
多くの人を感動させたいなら、「一緒に過ごした時間」を想像させないといけないんです。
のめり込ませる衝撃はあるか。
自分の思い出抜きで誰かに感動を与える為には時間を意識させたいが、いきなり「ちょっと聞いてよ」と言っても誰も聞かない。
私は誰かの「ちょっと聞いてよ話」に付き合うほど暇ではありません。
時間の無駄だと思ってしまう。
家族や仲が良い友達の話なら聞いてやらなくはないが、掴みが肝心。
「ちょっと聞いてよー」ってスタンスなら多分聞かない。
だって普通なんだもん。
面白くなさそうなんだもん。
めんどくさそうなんだもん。
ところが、一気に興味を持ってもらえる方法だってある。
冒頭のインパクト。
「ヤバそうだな」とか「凄そうだな」って思ってもらえればとりあえず見るし聞く。
人は興味を持ってかれれば目線も動く。
スタジオジブリの宮崎駿大先生が最も得意とする技かもしれない。
「もののけ姫」や「千と千尋の神隠し」を観たことありますか?
ないか!
じゃあカリオストロの城はどうだ!
観ろ!
全部!
最初の15分くらいで強いインパクトを与えてくる。
もののけ姫なら壁から怪物がドッカーン!
千と千尋なら親がいきなりブタになってサラサラ髪の少年がカエルに時間を止める魔法をバン!
カリオストロは圧巻のカーチェイス!うわー!
超がつく程の「非日常」を突然ブッこんで来る。
「いきなりこれはありえねー!」って思うかもしれないけど、日常っぽいところからいきなりアクセル全開で来るから衝撃が大きいんです。
授業中の校庭にいきなり隕石が落ちてきたらみんな見るっしょ。
それ!
そのインパクトを与えるんです。
時間を意識してもらうのはその先。
まずはインパクト。
注目してもらうわけです。
長い話はそこからです。
違和感とタイミング。
時間を意識してもらう為にこれから話をしたり、作品を作っていく時に、何でもかんでも盛り込んでたら3年間の話が同じように3年かかっちゃうわけです。
てめえの話を3年も聞くほど他人に時間はありません。
簡潔に、違和感なく、タイミングよく、その時に起きたドラマを伝えないといけない。
これが下手な人は、単純に話すのが下手な人です。
すべらない話でも見て勉強してください。
誰かに時間の経過を簡潔に説明する能力は、話す力そのものと言っていい。
ワンピース読んだことありますか?
ない?
あそう。
じゃあ読んでください。
数々の登場人物の過去の話が出てきます。
その過去ありきの今の話を展開していきます。
正直、めちゃくちゃ上手に過去をマンガで表現しています。
時間の経過と、重みと、今に至るまでの歴史を見事に表現している。
そして、それがあるからこそ「今」の感動は最大限まで高められるわけです。
読みましょう。
チョッパーのとこだけでいいから読んでください。
個人的に好きだから、
あんなに「過去があるからこその今」を表現しているのはワンピースくらいしか知りません。
絶対に必要な過去が常にある。
それは「今」に対して感情移入をしてほしいからなんです。
そしてそれを伝えるタイミングや、大切な部分を厳選して伝える能力は、誰かを感動させたり影響を与えるには必須の能力だと私は思います。
小説だって、映画だって、話の展開やテンポが重要だし、映画で言えば撮る角度だって雰囲気だって重要。
右向きか左向きかだけで人の印象は変わる。
違和感なく、絶妙なタイミングで物語を展開していくセンスは間違いなく必要だと私は思います。
伏線という仕掛け。
マンガや小説や映画には伏線と呼ばれるものが散りばめられている事があります。
「あの時言っていたセリフが実は…」とか「オープニングの風景が実は…」みたいに話の展開によって後々繋がる。
それが伏線。
物語が進むにつれて明らかになる仕掛けです。
正直、物語や話の構成が上手なIQが高めな人にしか作れないような気がします。
どんな作品でも作者は常に結末が見えているからこそ作れるんでしょうけどね…。
それをいかに物語の中に埋め込むかはセンスでしかない。
有名な小説家さん達はこの伏線を散りばめ、クライマックスに向けて回収していくのが本当に上手です。
更にそれを文章だけで作り上げるセンス。
神。
伏線を作る上手さは時間を超え、インパクトもあり、違和感やタイミングも凌駕する天才的センスです。
伏線を仕掛けられるセンスをお持ちの方は是非、小説や脚本や映画やマンガのどれかを作ってみることをお勧めしたい。
だってセンスがなくてしょうもない映画を金と権力で作るセンスのカケラも無い傲慢なクソクレイジー監督よりよっぽど良い作品が作れるでしょ。
飽くなき探究心。
人には好みってのがあります。
視聴率が高いドラマや、興行収入◯億円を突破した映画や、発行部数◯億冊のマンガや、ベストセラーの小説が必ずしも自分をエキサイティングさせてくれるかと言うと、そうではない。
その時の心情にも左右されるし、考えや価値観によっても変わる。
好みは日々変わっていくもので、また戻ってくる可能性もある。
誰かに感動や影響を与えたいなら、時間を意識させ、インパクトのある掴みをぶち込み、のめり込むように伝えるのは必須だけど、それが全ての人に受け入れられるかと言われればそうじゃない。
自分の中にある「これならイケる!」って感覚は、実は他人から見ると「全然イケてない!」だったりする。
どんなに流行った何かでも、後々「あれは時代が…」とか言われる場合もある。
まるで一発屋のような仕打ちだな。
ピカソのように死んでから有名になるパターンもある。
でもね、ピカソって実は多作だったらしいんです。
多作ってめちゃくちゃ沢山の絵を描いたって事。
有名な絵は数えるくらいしかないけど、描かれた絵はものすごい数だったらしいです。
何が言いたいかって?
「失敗ばかりでも良いんだよ」って事ですよ。
飽くなき探究心を持って続けていく事が何より大事。
んで、失敗しても失敗しても続けていく努力も必要。
そうやって出来上がった自分の歴史こそ、誰かを感動させたり、誰かに影響を与えるものになるんじゃないかと思うわけです。
出来れば生きてる間に評価されたいけどね。
どうか感想をください。