あの日のドキュメンタリー番組が「感動は人生の教訓」だと教えてくれた

小言

最近とある高校の吹奏楽部のドキュメンタリーを観て泣いてしまいました。

私が泣いた箇所。

そりゃ最後のみんなで演奏する時です。

たぶん、演奏だけを見ているなら泣かなかったと思う。

でもドキュメンタリーとして、本番を迎えるまでの経緯とその途中で起きた人間ドラマを観てからの本番のシーン。

泣けるわけです。

観終わった時の感想と言えば、まるで映画を観たような感激。

というか感動する映画を観た時のような余韻があったわけです。

本番の演奏だけを観れば、「さぞかし練習したんだろうな」とは思うけど、そこまでの経緯で練習だけではない人間ドラマが起きていたとは思えない。

むしろ練習の賜物だと考えてしまう。

演奏しているシーンだけを観ればそのくらいしか思わない。

演奏だけを観て涙することはない。

だけどそこに至るまでの経緯が演奏をさらに感動的にするわけです。

ということは、

これまで当たり前のように聴いてきた音楽やこれまで見てきた舞台や映画やドラマにも「完成するまでの経緯」があって、実はその全てに想像も出来ない程の「感動」が詰まっているんじゃないだろうか。

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私達はいつも完成したものを手に取る。

世の中に商品として売られているものは基本的に完成品。

作る過程やその時の苦労なんて知る由もない。

だから私達が知らない間に商品として完成している。

それを手に取って「これいいなぁ」って思う。

感動は「完成品」に対してしか出来ない。

その裏側まではわからない。

例えば音楽で、一曲が完成するまでにどのくらいの時間がかかったのか。

完成品を聴くだけではその苦労とか完成するまでのプロセスはわからない。

これってちょっともったいないような気がする。

その一曲が完成するまでのストーリーも含めて味わえるのなら、また違った感動を得られるんだと思う。

誰かの人生の貴重な時間を使って作られた一曲。

そのプロセスを要約した何かがあると感動は倍増したりする。

でもプロセスって隠されるものなんです。

隠されるからこそ価値があると思われたりもする。

「誰にも真似できない何か」があると思わせる。

ただ、今回吹奏楽部のドキュメンタリーを観て思った。

めちゃくちゃ普通の学生だった。

人間関係に疲れたり、練習に疲れたり、誰かがいなくなったり、誰かとぶつかったり。

それでも同じ目標に向かってみんなが努力し続ける。

そうやって徐々に完成されていくんだと思った。

これって誰にでも起こるし誰でも当たり前に経験しているような事なんだと思う。

例えば自分が人間関係に疲れたり、何かを一生懸命目指して練習して疲れたり、誰かとぶつかったりする。

これまで自分でも味わったことばかりかもしれない。

結局誰もが同じような想いを持って成長していくんだろうと思った。

むしろそういう経験をしないと良いものは完成しないのかも。

世の中の商品は完成していて、それを当たり前のように手に取る生活をしていると、完成するまでにどれだけのプロセスがあるのかを無視してしまうようになる。

と言うか気にしない。

完成品ばかりに目が行くと、苦労しているのが「自分だけ?」って思う事がある。

そんなことはない。

全てのものにプロセスがあって、波があって、それを乗り越えながら少しずつ完成に向かう。

完成品を手に取り過ぎて、なんでもかんでも「すぐに完成する」って勘違いしちゃう。

大事なのは完成するまでのストーリーだったりする。

完成に向かうプロセスがあるからこそ感動したりする。

私は自分の未来の完成までにどんなストーリーを作れるだろうか。

誰もが虎視眈々と自分の人生を完成させようとする。

私は自分の人生が完成するまで、きっと作り続けるんだと思う。

人生を作り続けるっていうのは、目標を達成する事だったり、思い描いた未来に近づく為の努力だと思っている。

きっと多くの人がぼんやりだとしても目標を持っているはず。

「○○歳になるまでにはこうしていたい!」

凄くぼんやりかもしれない。

それが10年後でも20年後でも、毎日をなんとなく過ごしながらぼんやりした目標へ向かって人生を作っていく。

さっきの話に戻るけど、そこまでのプロセスを今作っている。

10年後。

その年齢に近づいていく度にその目標が遠く感じるかもしれない。

それでも作っていく。

私があの日観たドキュメンタリーには「発表会」という定められたゴールがあった。

ゴールと言うか、期限と言うか。

その期限は変えられない。

もう決まっているんです。

学生の頃で言う「卒業」になるんじゃないだろうか。

私達は社会に出るまで「限られた期限の中」で生活をしてきた。

それが学生の時期を過ぎると、急に期限が無くなる。

気が付けばなんとなく人生の最後に向けて生きるようになった。

目標が無く、期限もなく、なんとなく社会人として生きるようになった。

だから今回のドキュメンタリーを観て衝撃を受けた。

限られた時間の中で、最大の結果を出す為に努力する毎日はこんなに大きな感動を生むのかと。

こんなに美しいものなのかと。

社会人になってゴールも期限も曖昧になった。

学生の頃は絶対に覆らない「終わり」があった。

そこに向けて毎日の生活をどれだけ積み上げていけるか。

学生の頃もぼんやり生活していた私にはその貴重さがわからなかった。

でも今回そのドキュメンタリーを観てやっと気が付いた。

私はもう「おっさん」の部類にあたる。

でもようやく気が付いた。

私の人生には終わりがある。

随分先だからその終わりを意識せずに生きていた。

ぼんやりしてた。

決められた期限の中で、求められる最高の結果を出す為にはどうするべきなのか。

それは期限の積み重ねである。

常に期限を決めてチャレンジしていくこと。

その期限内に最大の結果を出す為には今日という一日をどう過ごすのが良いのか。

それを積み重ねていく。

シンプルに目標を掲げるとするなら、

「高校に通う3年間で、甲子園に出場し、優勝する。」

3年間という限られた期限の中で甲子園で優勝するには今日一日をどう過ごすべきなのか。

競争だったんです。

「甲子園優勝」を掲げているのならみんな同じ3年間を過ごす中で誰よりも努力と練習が必要なはず。

少し考えればわかることだった。

「甲子園優勝」

それが思い描いた完成品とするなら、それに向けた今日も虎視眈々と積み上げていかなくちゃならない努力があるはず。

でもね。

本当に感動するのはそこまでの道のりであって、プロセスであって、ストーリーだって話。

どれもこれも本気にならなきゃ気が付かないんだな。

目標に対して本気にならなくちゃ誰も感動しない。

期限を作って、目標を作って、それを達成する。

これはすごく大変です。

辛いです。

毎日努力が必要になる。

苦しいです。

乗り越えなくちゃいけないものがたくさんある。

でもそれは自分の決めた目標に対して「本気で頑張っているから」なんです。

本気にならなくちゃ苦しくなんてならない。

本気にならなくちゃ辛くなんてならない。

本気にならなくちゃ努力なんてしない。

本気にならなくちゃ感動なんて生まれない。

本気にならなくちゃ目標を達成出来ない。

私は社会人になって、期限が無くなり、なんとなく毎日を過ごしてきた。

だから本気になるきっかけにすら気が付かなかった。

いつだって本気になれるものは身近にあるんです。

それは自分の人生。

長い人生の中でいくつもの期限を決めて、目標を決めて、それに向かって毎日努力を積み重ねる。

本気になれば辛いし悩むしぶつかるし苦しいかもしれない。

でも感動したい。

最高の感動を味わいたい。

あの吹奏楽部の「それ」は美しかった。

「今すぐ」には完成するはずがない感動であった。

限られた時間の中で、全員が本気になって目標を達成しようと努力し続けるからこその壁がいくつもあった。

それを乗り越える過程が全ての感動に繋がった。

そういったプロセスやストーリーは本気にならなきゃ作れない。

結果は惨敗だった。

でも私は感動した。

心から尊敬した。

そして教えられた。

もうおっさんになる年齢の私が学生に感化されるなんて思わなかった。

小言
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あれんじ

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