感動には鮮度があります

生活

私はマンガが大好きです。

文字だけのブログを書いていますが、漫画が大好きです。

もちろんマンガの中でも好きなジャンルや好きな絵のタッチがあります。

誰かのブログを読むのも大好きです。

もちろん好きなジャンルや文章の作り方があります。

ただ、私はそれを特別勉強したことはありません。

子供の頃に国語で「起承転結」っていうのを習ったけど勉強が苦手だったものでほとんどその内容は覚えてはいません。

それでも今、好きな漫画の描き方や好きな文章の作り方があったりします。

自分が好きなそれらに「細かい決まり」が設けられているかどうかはわかりません。

「好きなものは好きなんだから」そこにルールがあっても無くても「好きなものは好き」ってことでいいんじゃないかと思うんです。

「起承転結になってないじゃん!」とか「この漫画の構成はおかしい!」って言われても好きなんだから別にいいじゃないか。

自分が素直に感動して、影響を受けるなにか。

それがルールに縛られているものでも、「見る側」がどう感じるかどうかの方が重要だと私は思います。

感動しないと人の心は動かない。

感動しないと大きな影響は受けない。

感動にルールは無い。

私は私が感動するものを追い求めたい。

それが自分らしく生きる秘訣の一つなんじゃないかって思うんです。

窮屈な毎日でも感動する瞬間を少しでも作りたい。

それだけでいつもより少し、頑張れるような気がする。

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感動出来る人になる。

大人になると冷静になる。

大人になると周囲の状況が気になる。

大人になると感動することが少し恥ずかしくなる。

大人になると時間に追われるようになる。

大人になると「やらなくてはいけないこと」が多くなる。

大人になるとたくさんの「感動出来ない理由」を抱える。

これって、なんか、すごくもったいないような気がします。

子供みたいに「なんでも感動しよーぜ!」みたいなことは言いません。

ただ、せっかく感動する瞬間があるのに、それを「大人だから」っていう様々な理由で見逃しているような気がするんです。

子供だって大人だって感動することで影響を受ける。

涙することだけが感動ではない。

怒ることだけが感動ではない。

でも心に響く何かを感じた時、自分の価値観が少し変わったような気がする。

それは感動。

大人になると、その感情に対して「違うな」とか「これはダメだな」とか、「せっかくの感動」を冷静に打ち消してしまう瞬間がある。

素直に受け取ればいいのに。

毎日の生活の中にだって感動する瞬間が結構あるんです。

あるのに、「大人だから」っていう理由でそれらを打ち消してしまう。

もっと素直に受け取るべき。

満員電車の中でも、なんとなく携帯を見ている時も、なんとなく仕事をしている時も、なんとなくテレビを観ている時も、なんとなく家事をしている時も、なんとなく子供と遊んでいる時も、小さな感動は必ずある。

その度に「感動した!」とか口に出す必要は無いけど、自分の心の内でしっかり拾ってあげる。

誰かに伝える必要なんてない、涙する必要なんてない、自分の心の内で拾っておく。

道に落ちてるドングリみたいにそこら中に小さな感動が落ちてるんです。

人は感動することで動きます。

感動することで影響を受けます。

感動することが生きるエネルギーになります。

子供の心を育てるのも感動です。

大人だってまだまだ心は成長するはずなんです。

それを様々な理由があるからって拾わないのはもったいない。

私はもっともっと感動出来る人になりたい。

冷静を装ってもいいじゃない。

例えば映画を観た時。

ドラマを観た時。

一生懸命頑張っている誰かを見た時。

そんな時に涙が出そうになる。

私はそれを堪えます。

感動しているのにぐっと堪える。

涙が出そうなのに堪えるのです。

恥ずかしいから堪えちゃうんです。

我慢出来ない時もありますが。

どんなに涙が出るのを抑えても、感動している自分はそこにいます。

涙を流さなくても、どんなに堪えても、感動はする。

その感動を涙を流さないって理由で「感動していない事」にしちゃっていませんか?

涙を堪えるのは構わないと思うんです。

でもそれを「感動も含めて」堪えちゃう時があるんです。

涙と感動は別なのに。

そういった時、自分というフィルターを通しても、感動だけはそのまま通過させたいなって思っています。

だってもったいないじゃないですか。

せっかくの感動を涙と一緒に堪えちゃうなんて。

どんなに冷静を装っても、感動だけはそのまま通過させたい。

いや。

ちゃんと味わいたいんです。

感動には鮮度があります。

感動ってフレッシュな状態が一番良いんです。

心に保存しておくことは出来るけど、一番感動する瞬間っていうのはいつだって「今」なんです。

今、自分が感動した瞬間。

それが一番フレッシュな状態です。

心の内に保存しておいても次第に鮮度が落ちていく。

フレッシュな感動は様々な効果をもたらします。

行動と言動に大きな影響を及ぼします。

優しい気持ちになれたり力強く行動を起こしたり。

自分を信じてみたくなったり。

時間が経つと感動は薄れ、気持ちも行動も言動も次第にいつもの冷静な、大人な自分に戻る。

あの、感動した瞬間の力を長期保存することは出来ないんです。

でも私達は知っています。

「感動したあの時の力はすごく強い」って。

だからこそ毎日の生活の中で見る道端に落ちているドングリを拾うように、小さな感動を拾い集めなくちゃいけない。

それは私が、私らしく、力強く「今」を突き進む為に必要なんだと思っています。

いつも自分らしくいられるように、小さな感動を集めたいんです。

大きな感動は何かに向かって一生懸命努力している時に訪れたりします。

大きな感動に辿り着くのが私の目標。

でも大きな感動を得るには時間がかかる。

一生懸命を続けなくちゃいけない。

継続的に感動の力が必要なんです。

鮮度を保つのが難しい感動だからすぐに「あの時」の感動を忘れてしまいがちになる。

一生懸命自分が目指す何かに対して努力し続けなければいけないのに…。

その力を維持する為にも感動が必要なんです。

だから普段の生活の中でも小さな感動を拾い集めたい。

私達の周りにはまだまだ「大人だから」って理由で拾えていない感動がたくさんあります。

テレビを観たり、ラジオを聞いたり、家事をしたり、仕事をしたり、育児をしたり。

そんな当たり前の中にもきっとたくさんの感動があるんです。

それをちゃんと拾い集めることでやる気を維持したりする。

感動には鮮度があります。

今その時の感動を最大限に味わうにはその場で感動することです。

大きな感動を最大限に味わう為に普段から小さな感動を意識して味わってみる。

私はまだまだ感動したい。

たくさんの感動を拾いながら大きな感動を得たいんです。

生活
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心優しきあなたにお願いがあります。

お見苦しい点が多々ある私なりの文章をここまで読んで頂き、本当にありがとうございます。改めまして、執筆者のdaimaruです。

この度、DONGURILOGという日記サービスを共同運営させて頂く事になりました。

シンプルに伝えると、「みんなで日記を書くスペース」になります。

かれこれ数年このブログを続けて思った「ひとりで更新し続ける難しさ」を解消しつつ、多くの価値観を共有しながら楽しめる場所です。

まだ始まったばかりのチャレンジではありますが、多くの方に使って頂きたいと思っています。

ここまで私が書く、しがない文章を読んで頂き、目もお疲れかと存じますが、どうか、最後に、私の渾身のワガママを聞いて頂けないでしょうか?

無理なお願いをしているのかもしれません。

でも、「日記を書く」には多くのポジティブな効果があります。今日一日を振り返るだけで多くの気付きがあります。

じらしてすみません。

一緒に日記を書いて頂けないでしょうか?

私は多くの人と日記として記録を残す毎日を過ごしたいと思っています。

そしてそれがきっかけで多くの人が救われる瞬間があるんじゃないかと思っています。

私が求めているのは募金や署名ではありません。

シンプルにあなたが持つ価値観や考え方です。

本来「日記を書く」は一人で行う趣味的な存在なのかもしれませんが、それを多くの人と同じスペースで書く楽しさを大声で主張したい。

「うおー!」です。

是非一緒に、DONGURILOGで、日記を書きましょう!

自分の為になり、誰かの為にもなる。

そんな最高のスペース作りにご協力ください!宜しくお願いします!

あれんじ

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