コミュニケーション能力が高いっていうのは人と有意義な話し合いが出来るっていうことなんです。
一方的に話を投げかけることがコミュニケーション能力が高いっていうことではない。
聞き手に回る事がコミュニケーションが能力が高いっていうことではない。
どちらも持っていないといけない。
相手が言いたい事を引き出せて、それに対して反論もあって、こっちが言いたい事もちゃんと伝える。
それがコミュニケーション能力が高いっていうことなんです。
最近有意義な話し合いをしていますか?
そもそも周りの人達が話し合いを好まない状況であれば有意義な話し合いなんて出来ません。
コミュニケーション能力を向上させることが出来ない状況なのかもしれません。
実にもったいない。
普段の生活から有意義な話し合いが出来ているなら間違いなくコミュニケーション能力は向上します。
知り合いでもコミュニケーション能力が高い人っていませんか?
良く話をするし良く聞いてくれるし、良い相談相手になるような人。
その人はすごくコミュニケーション能力が高いって思いませんか?
実際に知り合いの間でも良く相談相手とされているような人です。
ただ、それは相手の事を知っているからさらにコミュニケーションが取れる。
いや。
言い換えましょう。
相手の事を知っていればコミュニケーションは取りやすい。
その人の過去を知っていれば知っている程的確なアドバイスも出来ますし有意義な話し合いも出来ます。
これ。
さすがです。
相手にとっては必要不可欠な存在になれているしそういった話し合いが出来るというのはコミュニケーションとして成り立っている。
そんな相談相手がほしい。
ほてぃいですよ。悩んだ時とか話を聞いてもらったり意見を言い合ったりする人。
だがしかしですよ。
「初めましての相手」とのコミュニケーションとなるとまた話が変わってきませんか。
相手の過去の情報なんてほとんどありません。
その相手にいつもと同じように相談をするようなスタンスで有意義な話し合いが出来ますか?
相手の過去も現在の状況も知らないような相手とどうやって意見の交換をするところまで持っていくのか。
始めましての相手と有意義な意見交換が出来たら。それはすごくコミュニケーション能力が高いと言えませんか。
いんや。
超絶高い。
初めましての相手から本音を引き出し、自分の意見も伝え、有意義な話し合いが出来る。
それがコミュニケーション能力が超絶高いっていうこと。
相手の過去も現在も趣味もわからない状態で有意義な意見交換。
出来ると思いますか?
出来ませんよね。
出来ません。
出来ないんです。
すいません。出来ません。
初めましての相手に全てを伝えるなんてめっちゃ怖い。なんか怖い。
コミュニケーション能力を向上させたいのに出来ない。
初めましての相手に自分の事をさらけ出すなんて出来ないっす。
むしろさらけ出してしまうのが逆にコミュニケーション能力が高いと思われていることが怖い。
そもそも相手が本当はどんな人かわからないのになんでもかんでも話せないっす。
相手との距離感がわからないと踏み込んでいいのかわからない。
いや。
落ち着こう。
それでいいと思うんです。
それでOKなんです。
むしろさらけ出されてもこっちはさらけ出さないくらいでも構わないと思うんです。
だってですよ。
なんでも話が出来るような空気感を作ろうとされているわけじゃないですか。
こっちがそんな空気にしなくてもいいって思っているのに相手が勝手に感じてさらけ出して来ているだけでしょ。
どうしてそれに乗っからないといけないんですか。
嫌じゃ!
乗っからない。
逆にコントロールされてしまいそうで怖い。
そしてコミュニケーション能力が自分で低いと思っていると余計に流されやすくなったりする。
無理にコミュニケーション能力を向上させなくてもいい。
そもそも目的が無いとコミュニケーションなんて取れないわけですよ。
相談相手には相談したい事を自ら話すわけじゃないですか。
相談されている方もそれなりに頼られていることはわかってるし、知り合いだし。
気が知れてるから本音でも話が出来るし。
そりゃそうですよ。
それをいきなり初めましての人を相手にしろって言われても出来るわけがないわ!
だからもしですよ。
「お前コミュニケーション能力が低いよなー」
とか言われたら言い返してやれ。
「おめーが興味の無い話をするからコミュニケーションを取るのもめんどくせー!」
ってな!
話の目的が一致しないのに有意義な意見交換が出来るわけねー。
そもそもコミュニケーションっていうのはそういうバランスの上で成り立ってるんだからそんな事言われても無理に話しかけたりしなくていいんじゃないかなって思うわけですよ。
そんなに無理をしている方が絶対に変な感じのリアクションになるでしょうし。
誰とでもコミュニケーションを自然に取れるような奴は才能。
もうあれば才能としか言いようがない。
太刀打ち出来ないっす。
だからその真似をする必要はないんじゃないかと思うわけですよ。
興味がある事やお互い話合う目的が決まっているなら有意義な意見交換は自然に出来る事なんじゃないかなって思うわけです。
興味が無い事や目的が無い話し合いでコミュニケーション能力は測れないでしょ。
いや。
そもそも誰の物差しで測ってるかもわからんです。
上司?
良くしゃべる友達?
あれ?
誰が決めているんですかね。
そんな偏見の塊なんてぶっ潰してやれ!
コミュニケーションなんて取るべき時に取れればいいじゃないか。
そう思うぞ!
むしろそれがコミュニケーション能力の向上への近道。
意味がわからないっしょ。
でもコミュニケーション能力が高いって判断するのは周りの人じゃないですか。
自分で「私コミュニケーション能力めちゃ高!」って思わないでしょうに。
思います?
それならこんなブログはスルーですよ。
興味のあるブログでも読んでおくれやす。
他人が決めるコミュニケーションの高さっていうのはほとんど「対初対面」だと思うわけですよ。
そして大人になるとその初対面っていうのは目的がありきなんです。
目的があって初対面が実現するというか。なんというか。
だから逆に気合いを入れられても困る。
そんなに勢いよく向上させようって思っている事が間違いっす。
その気合いのおかげで相手が本当の事を話せなくなってしまうかもしれないし。
逆効果になる事の方が多い気がするわけですよ。
そんなに気を使わなくても大丈夫っす。
初対面っていうのは大体なにか目的があって実現することっす。
そもそもなんですけどね。
だから気合いを入れて話しかけなくても話題はある。
話す内容についても間違いなく見つかる。
世界首脳会談とかならある程度話をする事や議論をすることが決まっているかもしれないから準備も出来よう。
世界首脳会談っていうのは日常じゃないから。
言ってしまえば異常な集まりですから。
そんなレベルのコミュニケーションは必要ないっす。
むしろ自然に話が出来る相手の方がよっぽど話しやすいっす。
コミュニケーションを取るってそういうことなんじゃないかなって。
思うわけですよ。
コミュニケーションを「取ろう!取ろう!」としない。
自然な会話じゃないと有意義な意見交換なんて出来ません。
どっちか片方が怒ってたらどうですか。
まずなだめようと思いませんか?
むしろそんな時に意見を交換しようなんて思いませんから。
逆に泣いていても一緒。
そんな時に意見交換なんてしようとも思わない。
初対面なんて相手がどんな状況かもわからないんだから計画とか台本はいらないですよ。
だっていざバシっと決めておいて実際に会ったら泣いてたらどうする?
初めましても言えないわ!
とりあえずなにがあったか聞きません?
それ!
すでにコミュニケーションが取れるではありませんか!
だから逆に気合いを入れられても、しっかり準備をされてもその通りにいかない時に焦るというか。
逆に相手の期待に応えられないかもしれないってこと。
コミュニケーションを上手に取ろう取ろうと考え過ぎちゃうと逆にうまくいかないし、その結果コミュニケーション能力が低いって思われてしまうかもしれないんです。
だとしたら準備をしない方がまだいいコミュニケーションが取れるかもしれないですよっていうこと。
出たとこ勝負っていうのが普段のコミュニケーションには一番いいんです。
こっちも変に気を使われていれば「そんなに気を使わなくていいよ」って相手に思いません?
そうじゃないと自然に話が出来ないでしょ。っていう意味でもあると思うんですよ。そういうの。
結局自然が一番だよっていうことなんです。
自然が一番最強。
自然のままの自分が受け入れられることが今後のコミュニケーションにも繋がるし、その結果いい仕事やいい友達に繋がる可能性だってあるんですから。
自然に話が出来るっていう環境を作り出せるっていうのもコミュニケーションの向上に繋がる。
結果的にですよ。
初対面なんて苦手。
そりゃそうです。
得意の人の方が少ないわ!
苦手っていう人に限って何かをしようとするでしょう。
それがいらん。
その気遣いが逆にコミュニケーションを妨げているかもしれない。
苦手だからって何かをして得意になるわけじゃないっす。
不自然。それがなによりもコミュニケーションを妨げているものかもしれない。
そもそもですよ。
自然にしよう!
って思っていること自体が不自然ですからね。
だから自然にしよう!って思うことすらコミュニケーションを妨げている可能性があるわけですよ。
だから人の前で自然な振る舞いが出来ることがなにより相手を安心させる要因かもしれない。
安心してもらえれば自然とコミュニケーションは生まれると思う。
だんだん安心してきました?
別に特別何かをしなくてもいいっていうことです。
初めましてなんて必ず目的がありますから。
何か目的が無いコミュニケーションなんてないんですから。
それに対しての受け答えをするだけなんです。
コミュニケーション能力を向上させたいなら自然にいられるようにする努力の方が大切なのかもしれない。
それがまた難しいところではあるんですけどね。
いつもよりビシっとした服装をしたり、初めて行く場所でコミュニケーションを取るってなるとどうしても「特別感」が生まれますからね。
その特別感に負けないくらいの自然さが必要。
むしろ特別感を自然な対応で消し去るくらいの心構えでいいと思います。
自然な振る舞いが出来るっていうのはそのくらいどこにいてもコミュニケーションが取れるくらい最強のスキル。
何も気にしないが超強い。
だがしかし。
その自然に振る舞いが出来てもコミュニケーション能力が低いと思われることがあるんです。
いや。
どんなに上手に話が出来たとしても「それ」のおかげで全てが台無しになることだってあります。
いや。
シンプルに嫌われる人もいるでしょう。
むしろ。
話したくないと思う人もいるかもしれません。
それが癖。
自分では意識的に行っていない癖。
癖っていうのは自然の振る舞いが出来ているからこそ出やすい。
せっかく自然に話が出来ていてもその癖のせいで台無しにすることがある。
癖の種類によっては最悪の結果になることもある。
ダメな「癖」ほど誰にも指摘されないからね。
自然に振る舞う事がコミュニケーション能力の向上に繋がるのに自然に振る舞うからこそ現れる「癖」によって台無しにされては意味がない。
マジでもったない。
鼻をほじる癖。
最悪だ。
単純に汚い。
自然に振る舞っているつもりでもその癖のマイナスイメージの方が強い。
そんな奴と対等に話をしようってあんまり思わない。
さらに、こういうリラックスしているときに出てしまう癖っていうのは良いコミュニケーションが取れている時に限って顔を出す。
そしてマイナスなイメージを持つ癖ほど人が指摘しづらいのだ。
これは単純に相手を傷つけてしまうかもしれないと思われているから。
自分でも気が付かないのが癖だったりするからそれを他人が指摘して傷つくパターンになるのがめんどくさいのだ。
だとしたら黙ったままにしてその人とのコミュニケーションを終わらせた方が圧倒的に楽。
そうやって癖のせいで全てが台無しになる。
だから会話は自然でも癖が不自然っていうこと。
このギャップはマジで致命的。
だから癖を指摘してもらうようにしよう。
自分が気が付いていない事で初めはショックを受けるかもしれない。
でも必ず指摘してもらおう。
そしてその癖は意識的に直すようにしてほしい。
たまに仕事で、初めてで会う人で、変な癖があるとあんまり一緒に仕事をしたくないと思ってしまう。
どんなに長く付き合った代理店でもそういう人がいるとちょっと嫌。
というかかなり嫌。
不快。
「それも含めて友達です!」
とか言われても無理。
だって初めましてだったら不快だから。
それってコミュニケーション能力が低いってことだから。
だって話したくないんだもん。
癖を無くすっていう癖をつけよう。
それだけで後は自然に会話が出来るようになればいい。
それだけでいいのだよ。
そんに難しい事かい。
簡単だよ。
癖を直す癖をつけて。後は自然にいつも通り。
これで十分コミュニケーション能力は向上する。
だから頑張らなくていい。
癖を直せ!
って書きながら俺は鼻くそをほじほじしているんだ。
どうか感想をください。