あー。ダリー。
はっきり言ってこんなブログ書きたくはない。
気分が乗らない。
いつもブログを書いてはいるが、「気分が乗らない時に書く」のは苦痛でしかない。
他に考えなくちゃいけない事もある。
いや、むしろ失敗して凹んでいる。
そんな状態でブログを書く。
どうしても気分が乗らない人が「気分が乗らない人へ」書く文章がどんなものかお見せしよう。
逆に。
上がるかもしれない。
言っておくが私はいきなりアゲアゲになれるようなヤバいモノは摂取してない。
だから今すぐにアゲアゲになりたいならもっと別のブログでも読め。
もっとイケイケの奴の文章でも読んでろ。
当たり障りない「アゲアゲの音楽を聴くといい!」みたいなクソ面白くもないまとめ記事でも読んで「じゃあ聴くか!」と思ってイヤホンでも耳にはめ込んでおけ。
私はそんなタイプじゃない。
気分が乗らないのを根本的に解決したいんだよ。
だから…じわじわいこう。
だからお前もじわじわ読んでいけ。
この文章は「気分が乗らない奴がなんとか気分を上げようとして書いてる文章」である。
最後まで読めば今よりはマシになってるだろ。
「あ〜」とか言いながらで結構だ。
まず、言いたい。
余程パワフルな薬でもぶち込まなければいきなりアゲアゲにはならない。
だから、まぁ、上がらない気持ちのままダラダラと読んでいって欲しい。
気分が乗らない理由がわかってるならそれを考えながらでもいい。
なんとなくダラダラ家でテレビを観てるような感覚で結構だ。
そういえば小学生の頃、体温計を擦りまくって、それを証拠に学校をズル休みした記憶ががいくつもある。
今になって思えば「気分が乗らないから」だったのかもしれない。
結局テレビを見て過ごすんだけどね。
でも体温計を擦る時は本気だったな。
ズル休みを達成する為に必死になってた。
ほんの数分ね。
その時は「休みたい!」って欲求があったから休む為に頑張る。
そしてズル休みに成功すれば気分はアゲアゲだ。
「よっしゃー!休めるぜー!」
よく考えてみると、気分が乗らないのは「自分の欲求を頑張っても満たせない時」なのかもしれない。
人間関係だろうが、仕事だろうが、ほぼ自分の思い通りにはならない。
自分一人で完結するようなものじゃないからね。
そもそもコントロール出来ないものを頑張ってコントロールしようとして、結果的にうまくいかないと、気分が下がる。
今の自分がどうしてアゲアゲにならないのか。
もしかしたらコントロール出来ないものをコントロールしようとしているのかもしれない。
「コントロール出来ないなら諦めよう!」って事じゃなくて、「コントロール出来る部分だけを頑張る」ようにしてみたらどうだろうか。
別に指図したいわけじゃないので無理にやらなくてもいいけど、コントロール出来ない部分に一生懸命になればなるほどダメだった時の反動でショックを受けるなら…やらなくてもいい事は結構ありそうな気もする。
「一人になりたい時もあるけど、ずっと一人じゃ寂しい」みたいな感覚だろうか。
今は一人になりたい時間。
何しろ気分が乗らないんでね。
って思いながら書いている。
五感が使い物にならん。
私は、気分が乗らないと、五感をフルで使わなくなる。
目に入ってくる情報だけにしたり、耳から入ってくる情報だけに限定する。
個人差はあると思うんだけど、気分が上がらないと本来のポテンシャルを全て発揮出来ないんですよ。
だからいくつかの感覚をシャットアウトしてみる。
誰でも言えそうな「気分が乗らない時の対策」の一つに「音楽を聴く」ってのがある。
ノーライフノーミュージック的な人ではない私はそれに大反対していたんだけど、気分が乗らない時に五感が使い物にならなくなるなら、「音楽を聴く」ってのは正解なのかもしれない。
こないだフィギュアスケートの羽生君が試合前に呼吸を整えながらイヤホンをしてた。
どうやら音楽が流れているらしい。
インタビューで「back numberを聴いてます。」みたいな事が騒がれ、それでドカンと売れたような記憶もある。
よく考えてみ?
フィギュアスケートなんか気持ちを上げないとあんな演技出来ないだろ。
バチバチに回転ジャンプしながら華麗に演じなきゃいかん。
自分のポテンシャルを信じて最大限それを発揮出来なきゃ話にならないっしょ。
単純に自分が上がってる状態ってのは「これからフィギュアスケートでガッツリ演じ切れるメンタル」を持ってる状態なわけよ。
無理だな。
だとしたら今の私は全然上がってない。
五感のいくつかが使い物にならないなら、使える部分からヤル気を注入する。
羽生君や一般的な考え方からすれば「音楽を聴く」なんだろうけど、きっと個人差があるから、この際自分に最も適した気持ちの上げ方を探してみるのも悪くない。
気持ちが乗らない今、使えそうな五感はどれだ?
そこに自分を無条件でアゲアゲにしてくれる何かがあるのかもしれない。
「美味しいものを食べると気分が上がる奴」
「芳醇な香りを嗅ぐと気分が上がる奴」
身近にいたりしない?
良い事があればそりゃ上がる。
「宝くじで3億円当たった!」
ってなれば上がらない人なんていない。
「マジかよ。当たっちまったよ。クソが。最悪だ。」
とはならない。
ほとんどの人が、いや、ほぼ全員が「よっしゃー」だ。
言ってしまえば究極だな。
気分は有頂天。
でもそんな事は、まずない。
宝くじ買ってないし。
だから私には究極の有頂天は訪れない。
大金持ちになれば「大金を得る」でアゲアゲになる事はないかもしれないが、使う事でアゲアゲになったりはする。
私は「大金を得る」ってだけでこれまでの些細な悩みなど一気に吹っ飛ぶくらいアゲアゲになる。
認めるしかあるまい。
お金一つで人の気持ちは上げ下げするのだ。
強烈な価値を持ってる。
子供の頃はお金の価値をそこまで重視してなかったけど、お金がなけりゃ何も出来ないのはなんとなく理解してた。
大人になったら更に現実味を増し、今日一日を生きるのにもお金が必要だと知る。
もし、全てを凌駕して気持ちをぶち上げたいなら、大金を得るか、大金を使うか。
お金に超絶な余裕がある人が羨ましいな。
バブル期の日本国民を振り返ればなんとなくわかる。
なんか、笑っちゃうくらいに多くの人がアゲアゲだったじゃん。
「ジュリアナー!!!トーキョー!!」
細かい気持ちの浮き沈みを無視出来るくらいのパンチ力がお金にはあるんだな。
もしかしたら「大金を稼ぐ方法」を知ってりゃその時点で気持ちも上がるかもしれない。
で、ググってみたら「稼ぐ方法」って商材が腐る程出てきた。
商品ね。
結局お金を稼ぐ為にお金を払うってか。
ちゃんとその商材に書かれてたよ。
「これは自己投資だ」と。
「なるほど!じゃあ買ってみるか!」
ってなるかボケ!
お前はそれで稼いでるやんけ!
なんて上手な商売だ。
多くの人の行き着く先が「お金を得る」ってのを上手に商売に転換してる。
私は!
その商材じゃなくて、そういうアイデアと仕組みが欲しいのだよ。
それなら上がる。
結局気分なんて良い事があれば上がるんだな。
上がらないから困ってる。
お金に照準をセットしてみたけど、早々に億万長者になれるアイデアなど浮かばない。
多分、実際に今お金持ちになってる人もそうだったんだと思う。
何かを目指して、頑張って、継続して、結果的に億万長者になったんだと思う。
生まれながらにして億万長者の家にいるなら話は別だけど、そんなの宝くじに当たったのと一緒。
それはそれで上がるわな。
「我が家は大金持ちじゃーい!」
ってなるかもな。
でも私はそうじゃない。
だから気持ちが乗らなくて困っているのだ。
お金に私の気持ちの浮き沈みをを左右するほどの力があるなら、常に意識しないとダメだけど、お金に囚われると「あの商材」のように搾取される側になったりする。
力加減が難しくて、思うような結果が出なくて、気持ちも上がらない毎日を過ごしているけど、多くの億万長者が平等な「毎日」を費やして結果的にそうなったなら、私にも出来るのかもしれない。
ヒントは「結果的に」ってとこにあるのだろう。
まずはシンプルに好きな事や疑問に思ってる事、身近にある問題に向き合ってみると良いかもしれない。
そこに平等な毎日を費やしていける楽しみを見つけ出せるなら勝手に継続されていくんだろう。
そして、結果、億万長者に。
想定内の成り上がりコースしか思い浮かばなくてゲンナリするけど、きっとそういう事なんだと思う。
私に奇抜なアイデアは無い。
だからといって諦めるわけにもいかんだろ。
そのうち普通に戻ってる。
色々考えてはみるけど、気分は乗らないままで、チャレンジしようと思う日があれば休んでみたい日もある。
その場ですぐにアゲアゲになるなんてのはやっぱり難しくて、日々の繰り返しの中で急に沈んでしまう事もある。
自分の中では良かれと思っている事が誰かの迷惑になっていたり、失敗に繋がったり。
なんとなく正解だと思って挑む毎日も些細な歪みから大きな歪みになったり。
何度凹んで、何度失敗して、何度チャレンジすれば正解が見つかるのか。
もう、迷宮入りだ。
少しずつ歪みが出てきて、大きな歪みになって、気が付いて修正して、また普通の毎日になって。
そんなのを随分繰り返してきた。
一向にわからない正解。
でもきっと、これからもそんな毎日になるんだと思う。
それがわかってても人は夢や目標を持とうとするんだな。
だって、せっかく生きてるんだから楽しみたいじゃん?
どんなにアゲアゲな日があっても、またどこかで下がるんよ。
でもまたアゲアゲになりたくなるんよ。
んで普通になってる。
その波の中で今が「下げ」だとするなら次は何だ?
「上げ」と見せかけての更なる「下げ」か?
それならそれで良かろう。
試行錯誤して、色々試しているうちに、気が付きゃ普通になってんだ。
「下げ」は急に訪れるけど、突発的な「上げ」も急に訪れるんだよ。
ただ、嬉しくて忘れてるだけ。
気分が乗らなくても頑張れる奴は突発的な「上げ」を思わぬタイミングで経験したりするんよ。
結局、今日も、ブツブツ文句を垂れながら、「頑張ってみよう」になる。
それでダメでも、また「頑張ってみるかぁ」になる。
そのうち普通に戻ってる。
気分が乗らない日をガッツリ味わうくらいなら、いつ来るかもわからないアゲアゲな喜びを願おうじゃないか。
どうか感想をください。