「感覚」を磨けば「迷い」は無くなり「勘」が冴えわたる説

小言

生きているとこれ以上進むと「ダメな気がする」っていう勘が働くことがある。

肝試しチックな考え方になっちゃったけど、普段の生活や仕事をしている時でも「勘」が働く瞬間があったりする。

「ん?ちょっと待てよ。なんかにおうな。」みたいな。

「勘」っていうのは「嫌な予感」だったり「ひらめき」だったり用途に合わせて感じる何か。

そんな時ありません?

「なんか、○○になるような気がする。」

ってやつです。

これまで生きてきた経験の中で培う第六感ってのがある。

脳が記憶しているものから意図的ではないけど感覚的に「なんか○○な気がする」って瞬間が訪れる時。

それ。

もしかしたら当たっているかもしれない。

予感。

それに頼ってこれから先の何かを選択してみても面白いんじゃなかろうか。

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「誰かが好き」って感覚はほとんど勘な気がする

たまに恋愛相談をされた時に思うことがある。

別に天狗になったわけじゃない。

でも思ってしまうのです。

「この人のどこが好きなの?」って。

自分では絶対に好きにならないのに、どうしてかその人にとっては「大恋愛だ!」って感じで説明される。

わからないのです。

だから実際に「どうすれば良いかな?」って言われても答えがわからない。

どこにでもありがちなアドバイスしか出来ないのです。

それともう一つ。

「誰か良い人紹介してくれないかな?」って言われた時。

これも迷う。

だって「自分が良い人だ」って感じている人が「紹介して欲しい人」にとっての「良い人」なのかわからないから。

「この人だったら合うかもしれない!」って勘じゃん。

でもね。

これが妙に当たったりするんです。

不思議な事に勘に頼ってうまくいくことだってある。

「この人となら幸せになれそうだ!」ってめっちゃ勘。

でも今の私はその勘に頼って、恋をして、結婚して、子供が生まれて、家族がある。

幸せの定義はわからない。

ただ、自分では幸せを感じている。

その幸せは勘が導いてくれたものなのかもしれない。

「顔がタイプ!」とか「性格がタイプ!」とかは理由がちゃんとあるから別なのかもしれないけど、その「タイプ」ってのは勘に近いような気がする。

意味がわからなくなってきた。

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「買う」「買わない」「いる?」「いらない」

コンビニで買い物をする時にそんなに迷う人がいるのかわからないけど、少し大きな買い物をする時になら迷ったりしませんか。

私、迷います。

高い買い物をする時に「買う」「買わない」「いる?」「いらない」って自問自答する。

すでにその商品を目の前にして悩んでいるならそれはもう「勘」じゃない。

問題はそれよりも前。

「どうしてそれが欲しくなったか」ってとこ。

誰かに見せたい。

自分の物欲を満たしたい。

今後それがあった方が便利だし過ごしやすくなる。

少し先の未来に「ピンと来た」ような感じ。

「これがあったら○○になるかも!」って予感。

これが勘みたいなものだと思っている。

実際に買うかどうかは財布の事情とかその他にも色々あるんだろうけど。

「欲しい!」って思った瞬間。

自分の少し先の未来を想像している。

だんだん分析バカになってきてるけど、買って後悔するパターンもある。

そうなると次の「勘」が発動したタイミングで経験として自然に「いらない」って選べたりする。

「前に後悔したし」って経験からね。

「勘に頼って行動したことで勘が鋭くなったような」感じがする。

勘が鋭くなればなるほど人はシンプルになる。

たぶん。

「買う」「買わない」「いる?」「いらない」の選択が早くなる。

迷う時間が短くなる。

その分自分の目標や夢に向かう時間が多くなる。

「買う」でも「買わない」でも決断が早くなれば「迷う」時間は短くなる。

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勘を鍛えるにはどうするか

勘に従う経験を得る

勘が外れると「あら?外れちゃったなぁ」と思う。

勘が当たると「ほら!だから言ったじゃん」と鼻が高くなる。

その経験が勘を鋭くする感覚の第一歩だと私は考えている。

その後に「勘が外れた」って経験になったり、「勘が当たった」って経験になったりする。

「勘が当たったことしかない」とか言う人が現れたらまさに超能力者だと思う。

いや。会ってみたい。

100発100中の占いみたいな感じになるのかね。

結局「勘」って未来を予測する事で、それに沿った発言とか行動をすると自分の「経験」になる。

勘に従って発言したり行動したりの経験が第一歩。

当たろうが外れようがどっちでも構わない。

「勘」に頼った行動や言動をするのが勘を鍛えるスタート。

だと思ってる。

自分の目標に向かって努力する

勘に頼って発言したり行動したりする経験を得ると、「当たってた!」とか「違ってたわー。」とか思う。

そう思うと次はそれを元に何かを考えたりする。

「勘が当たってたってことは…次はこうなるな!」みたいな更に先の予想をする。

自分の先を想像する意識っていうのは「近い未来にこうなりたいな!」って目標になったりする。

勘が当たろうが外れようが、その経験を得てから次の行動を選ぶ。

新しい目標の発見。

ワクワクするやん。

勘を手掛かりに見えた少し先の未来の目標が「今の自分では到達出来ない」って思うと頑張ったりする。

勘が当たっても外れても目標が見つかったらそれに向かって努力してみる。

努力を続けていく内にもっと先の事がリアルに感じられるようになる。

「なんか見えてきた!」

私はいつもそうやって何か「コツみたいなもの」を掴んだりする。

結果を出す

「なんか見えてきた!」って思ってからしばらく努力を続けていると本当に目標に辿り着いたりする。

例えば「サッカーのリフティングが100回出来るようになる」って目標があったとして、勘を頼りにまずは足の色んな場所でボールを蹴ってみる。

100回リフティングをするにはどこで蹴れば一番効率が良いのか考える。

なんとなくわかってきたら何回も練習する。

これは努力っすね。

失敗しながらも努力を続けていく。

結果的に100回出来るようになった。

足の甲で蹴れば100回出来る。

ボールがどこから途もなく飛んできた時、足の甲でならうまく扱える自信がついた。

「こうやって蹴るとリフティングが100回出来る」っていう自信。

次の勘が働くようになる。

「足の甲でどのくらい力を入れて蹴ればどのくらい遠くまでボールが飛ぶのか」って勘。

距離感が掴めるようになる。

結局勘とは言っても経験から得た「感覚」がメイン。

この「感覚」が次の「勘」を発動させるのだと私は思っている。

「勘」の曖昧から「感覚」という自分の中の確かなものへ。

修行みたいだ。