つまんない時間を楽しくする方法なんて知らなくていい。

生活

少し期待して誘われるがまま着いて来た。

でもつまんない。

場所もメンツも想像以上につまんない。

つまんないかもしれないと思ったがやはりつまんない。

スポンサーリンク

面白いことが無いとつまんないのは当たり前。

自分にとって面白い事がないとつまんないのは当たり前。

無理やり楽しもうと思ってもつまんないのは当たり前。

一度つまんないと思うとそれを面白くする努力をする事がつまんない。

連鎖。

つまんないの無限ループ。

そこからは無駄な時間だと感じる。

それなら面白い事をしたいと考え出す。

そしてさらにつまらなくなる。

場所もメンツも。

全てがつまんない。

「なんかつまんなそうだな!」

と言われると

「別にそんなことないけど。」

少し焦った。

顔に出てしまっているのかと思った。

出来ればつまんないを隠したい。

つまんないがバレるとめんどくさい。

つまんないとめんどくさい。

似ている。

めんどくさいと思うとつまんなくなる。

つまんないと思うとめんどくさくなる。

自分はその「つまんない」に良く耐えている方だと考え始める。

そしてやっぱり自分は偉いなと感心し始める。

「つまんない」に堪える自分がかっこいいと思い始める。

つまんないのに良く頑張っていると感じる。

その後めんどくさいと感じ始める。

やっぱりめんどくさい。しんどい。

出来るならこの場から去りたい。

「マジでつまんない」

と言ってやりたい。

自分だけ違う空気感を醸し出したい。

でもそれをする方がめんどくさいから結局なにもしない。

そしてやっぱり「つまんない」に戻る。

「つまんない」を超えると至高の時間が到来する。

誰かと一緒にいる時につまらないなら一人の時間が至高。

一人でいる時間がつまらないなら誰かと一緒にいる時間が至高。

外に出ている時間がつまらないなら自分が好きな場所に辿り着いたら至高。

逆も同じ。

今の「つまんない」を超えた先がいつもと同じ景色でもなぜか至高の時間に思える。

外で誰かと一緒にいる時間が本当につまらない時。

家で一人でテレビを見ている時間が想像以上に至高の時間となる。

だが長くは続かない。

一人でテレビを見る至高な時間を続けるとそれがつまんなくなる。

そしてまた違う至高の時間を求め始める。

つまんないのおかげで至高の時間を求めるきっかけを与えられる。

つまんなかった時間すら結果的に至高の時間になる場合もある。

回りまわって楽しくなる。

全ては「つまんない」おかげ。

つまんないに感謝。

今つまんないおかげでこの先の当たり前の時間を幸せだと感じる。

待ち遠しく感じる。

感謝しよう。

今日はこのつまんない時間に感謝してみよう。

いつもよりも耐える。

まるで大好物を目の前にお預けを食らっているよう。

でもつまんないおかげでどんどんお腹が空く。

お腹が空き過ぎて目の前のめしが卵かけご飯でもご馳走になる。

なんでもつまんない時間のおかげでご馳走と感じられる。

つまんない時間をどれだけつまんなくするかでそのあとの時間のご馳走感は高級になる。

最高級のご馳走にありつく為には最低最悪のつまんないを体験する。

だから感謝してみる。

くそ程つまんない時間をあえて過ごす。

そのつまらない時間を最低最悪の時間として過ごす。

それ以外の時間が全て天国モード。

超絶幸せに感じられる。

身近にある「つまんない」ですでにご馳走を経験している。

子供の頃、授業が終わった放課後はどうだったか。

土日にかけて友達と遊ぶ時間はどうだったか。

普段の学校というつまんない時間を耐え抜き、つかぬ間の自由時間を満喫した。

社会に出て、仕事をするようになっても同じ。

仕事が終わった後にプライベートの時間はどうだ。

仕事が休みの休日の気分はどうだ。

普段の程よい緊張感から解放され、休みを満喫する。

すでに誰もが経験している。

それが「つまんない」時間。

このつまんない時間のおかげでレジャー産業が盛んになる。

経済効果もある。

「つまんない」最高。

つまんない万歳。

逆に毎日が休みという経験はほとんどの人が経験したことがないはず。

そうなると「つまんない」は逆転する。

休みを満喫出来なくなる。

休みが「つまんない」時間になる。

つまんない時間を楽しくするなんて絶対に無理。

つまんないをギリギリ耐えるくらいしか出来ない。

つまんない時間を無くすなんて無理だ。

必ずつまんない時間は訪れる。

必ず訪れるのだ。

それは楽しい時間があるから。

自分の中で一番楽しい時間を持つことでつまんない時間も自動的に作られる。

趣味を持ち、すごく楽しい時間を自分で演出したとそればそれ以外の時間はつまらない。

他の事でも同じ。

自分が楽しいと感じる時間を作る限りつまんない時間を無くすことは出来ない。

楽しい時間を作れば間違いなくつまんない時間がもれなくついてくる。

もはや付録。

いらないと思っても雑誌を買うと必ずついてくるアレ。

必ずついてくるのだ。

例えば「ずっと仕事をしていたいと思う人」がいるとする。

ずっと仕事をしていたいのだからそれ以外の時間がつまんない。

本格的に仕事が好きな人であれば仕事をしていない睡眠時間はつまんないと感じる。

つまんない時間なんて、結局そんなもん。

欲しくないのに与えられるんだから一度は必ず受け取るしかないわけ。

付録をその場で破り捨てるか店員に「いらないです。」と伝えたところで、購入した際は必ず一度手にしたことになる。

誰かにあげるにしても一度は必ず自分で手にするもの。

それが「つまんない」の正体。

無くせない。

無くせないから受け入れるしかない。

つまんない時間を楽しい時間に変えようとすればするだけストレスを感じる。

その場を凌ぐことは人間の力量的に可能だとしてもストレスが溜まる。

結局それ以外の時間を有意義に使おうとする。

普段のつまんないが多い程それ以外の時間を有意義に使おうとする。

自然現象のごとくそれは普段から当たり前に行われている。

あえて口に出すまでもないくらいに当たり前。

つまんないを呼吸と同じくらい自然に受け入れている。

というか普通。

すごく普通の事なのだ。

たまたま今日がいつものつまんないより、さらにつまんないだけ。

そうなるといつもより大きな見返りが欲しくなる。

次の自分の為だけに使える時間に、自分自身をいたわる。

そのくらいしか出来ない。

頑張って耐えた分だけ贅沢をすればいい。

つまんない時間をつっぱねたところで結局つまんない時間になる。

それならいつもより更につまんなくても早めに受け入れてしまう方が良い。

つまんない時間に反抗してもその後に待っているのが楽しい時間とは限らない。

諦めろと言っているわけではない。

つまんない時間に反抗してみればわかる。

反抗した後に楽しい時間が訪れるとは限らない。

楽しいと思っていた時間さえつまんなくなる可能性もある。

例えばズル休みをする。

会社であればその後に仕事が山積みになっているかもしれない。

上司に嫌われてメンタル攻撃をされるかもしれない。

同僚に口を聞いてもらえなくなるかもしれない。

ズル休みをしたところでその日を思いっきり満喫出来ない。

自分だけがという後ろめたさもある。

これはつまんない時間に実際に反抗してみればわかる。

かと言って全てを受け入れろというわけでもない。

むしろ「つまんない時間」をいかにうまくこなせるかが重要。

嫌でも付録として付いてくる。

なんなら「やっほー!」と喜んであげるくらいの気持ちの方がつかぬ間の休日を思い切り楽しめる。

つまんないに反抗するくらいならうまく立ち回る方が効率がいい。

残念がることはない。

肩を落とす必要もない。

溜息を吐く必要もない。

なぜなら付録だから。

さらっと受け入れてさらっと過ごすくらいの方がいい。

更につまらない時はさらに楽しい時間を過ごせるきっかけだと思うくらいがいい。

程よく反抗する。

がっつり反抗するとその反動もがっつり。

諸刃の剣。

それならさらっと過ごしてしまう方がその反動は少ない。

大きな反動を求めているなら別。

知り合いに思いっきり反抗してその反動を受けて海外に行き、消息を絶った人がいる。

まだ生きているのだろうが、それが本人にとって楽しい時間を演出する反抗だったのだろう。

消息は掴めないがきっと海外生活の中でまた「つまんない時間」を存分に味わっている頃だ。

その後連絡もないがきっと戻って来た時に今の「つまんない時間」の話でも聞かせてもらおう。

爆発的につまんない時間に反抗する事で運命を捻じ曲げる

一度キリの人生。

当たって砕けてもいいのではないだろうか。

無茶を承知でつまんない時間に攻撃を仕掛ける。

まるで運命に逆らうようにつっぱねる。

楽しい時間の為。

もはや夢の為に。

つっぱねる事で夢が叶う人だっている。

と思う。

たまにこんな夢を耳にする。

「将来自分のお店を持つためにお金を貯めています!」

どうやって?って話だ。

仕事しかない。

やりたくない事でお金を貯めて、自分のお店を持ちたい。

つまんない時間に耐えて、溜めて、店出すぞ。

応援しないわけにはいかない。

つまんない時間を超えようとする方が多くの声援を得る。

つまんない時間が無く、好き勝手やっていると嫉妬される。

世の中がよほど「つまらない時間」で汚染されていることがわかる。

実際に自由人として生活をしている人がいれば間違いなく

「羨ましい」

と思う。

そういう人に限って多くの「つまんない時間」を耐え忍んでいるかもしれない。

つまんない時間に爆発的に反抗して自分がやりたい事を始めたとしても必ずつまらない時間はついてくる。

運命を捻じ曲げる事は出来たとしてもつまんない時間から逃げる術はない。

もはや結論。

運命を捻じ曲げようと必死になる時間はつまんない。

つまんないから逃げる術などない。

でも戦う必要もない。

いかにうまくその時間を過ごす事が出来るかがカギ。

もはや人生のマスターキー。

最後のカギだ。

そのカギを握りしめていれば開かない扉などない。

つまらない時間をいかに早く通過出来るのか。

いかに早く自分が望む楽しい時間にありつけるようになるか。

無くすことが出来ないなら早く通過するしかない。

ごく自然に、通過する術を身に付けていくしかない。

受け入れる。

通過する。

楽しい時間が待っている。

のループ。

マスターキーを持っていれば、

通過する速度が早い。

立ち止まる時間が短い。

つまんない時間をぶち破るのではなく、うまく通過する。

ぶち破り続けても手が痛む。

鉄拳にする方法もある。

でも手じゃ開かない扉もある。

やっぱり必要なのはマスターキー。

つまんない時間を楽しい時間に変えるなんてやっぱり無理。

どうしても嫌なら鉄拳を使うといい。

手を痛めたくないなら静かに扉を開けてあげればいい。

扉が残っているなら閉められる。

閉めてしまえば次に同じような「つまんない時間」が来ることはない。

つまり反省をしてそれを忘れない。

それが扉を閉める。

ぶち壊したら閉められない。

扉があるならマスターキーで逆側からもカギを閉めてやれ。

同じようなつまんない時間なんてまっぴら御免。

もっと楽しい時間を増やしたい。

だからことつまらない時間の向き合い方が大事。

超絶大事。

反省して同じような思いをしないように扉を閉める。

これこそつまんない時間の過ごし方。

楽しい時間をより有意義にする方法。

何度も同じようなつまんない時間を過ごしている内は扉を閉め忘れているかぶち壊している証拠。

思い出そう。

あのつまんない時間。

時間は誰しも平等だ。

ぶち壊してもいいけどそのあとまた同じつまんない時間を過ごすのか。

出来るならその先の楽しい時間を満喫したい。

つまんない時間はどうしてもつまらないのだ。

泣いても笑ってもつまんない。

怒っても優しくしてもつまんない。

寝ても起きてもつまんない。

それがつまんない時間。

勉強が嫌いなのに将来好きになるっていう話は嘘。

あれはつまんない時間を繰り返さない為に問題の解き方を学んだから。

予習をするのは扉を早く開ける為。

復習するのは扉を閉める為。

そのコントロールが上手くなった結果、勉強が得意になっただけ。

得意なものが好きだと感じるのはもはや普通。

普通に過ごせる時間が嫌いなわけがない。

誰もが普通に過ごしたい。

普通に過ごしたいからこそつまらない時間をどうするのか。

もう壊すのはやめだ。

優しく開けて優しく閉じる。

そのあと後ろから鍵をおもくそ閉めてやる。

「ガシャコン!!」

って音が響き渡ったら。

その時楽しい時間へ一歩近づく。

あまりにつまんないから次のの扉は蹴破る事にする。

たまにはいいと思う。

生活
この記事を共有する
daimaruをフォローする
心優しきあなたにお願いがあります。

お見苦しい点が多々ある私なりの文章をここまで読んで頂き、本当にありがとうございます。改めまして、執筆者のdaimaruです。

この度、DONGURILOGという日記サービスを共同運営させて頂く事になりました。

シンプルに伝えると、「みんなで日記を書くスペース」になります。

かれこれ数年このブログを続けて思った「ひとりで更新し続ける難しさ」を解消しつつ、多くの価値観を共有しながら楽しめる場所です。

まだ始まったばかりのチャレンジではありますが、多くの方に使って頂きたいと思っています。

ここまで私が書く、しがない文章を読んで頂き、目もお疲れかと存じますが、どうか、最後に、私の渾身のワガママを聞いて頂けないでしょうか?

無理なお願いをしているのかもしれません。

でも、「日記を書く」には多くのポジティブな効果があります。今日一日を振り返るだけで多くの気付きがあります。

じらしてすみません。

一緒に日記を書いて頂けないでしょうか?

私は多くの人と日記として記録を残す毎日を過ごしたいと思っています。

そしてそれがきっかけで多くの人が救われる瞬間があるんじゃないかと思っています。

私が求めているのは募金や署名ではありません。

シンプルにあなたが持つ価値観や考え方です。

本来「日記を書く」は一人で行う趣味的な存在なのかもしれませんが、それを多くの人と同じスペースで書く楽しさを大声で主張したい。

「うおー!」です。

是非一緒に、DONGURILOGで、日記を書きましょう!

自分の為になり、誰かの為にもなる。

そんな最高のスペース作りにご協力ください!宜しくお願いします!

あれんじ

どうか感想をください。

タイトルとURLをコピーしました