大学生になるといきなり「何もかも自分で決める」状況になる。
だからなんとなく大学生活を過ごすと4年間もなんとなーく過ぎ去る。
「なんとなく」を自分で選んだから。
もし、
「なんとなく大学に行くことを決めた。」
って人がいるなら気を付けた方がいい。
4年間は人生において莫大な資産に成り得る。
その貴重な4年間を「なんとなく」過ごすなんてもったいない。
人生の無駄遣い。
中には「大学に通いながらこれからのことを決めていきたい。」と考えている人もいる。
それはそれで「これから決めたい!」っていう目標があるから良いと思う。
問題は「なんとなく」のまま過ごしてしまう場合にある。
大学も特待生などでなければ学費がかかる。
お金を消費して「学ぶ」場所である。
高校卒業の時にやりたいことが決まっている生徒は専門学校に行ったりする。
それが大学でしか専攻出来ないのであれば大学を選ぶ。
本来進路は自ら選ぶ。
それを周囲の流れに従って、なんとなく大学に進学してしまうと「自ら選んだ進路」じゃなくなる。
こうなると「なんとなく」過ごす。
「なんとなく」なら家にいても考えられることはたくさんある。
せめて「大学に行きながらやりたいことを見つける。」くらいの考えが必要だった。
そう。
過去形。
私はそれがなかったから、その後に苦労の連続になる。
これは私の大学生活の後悔の記録。
それとちょっとした自分らしさの発見である。
大学生活での後悔。
ふらっとサークル。
入学説明会の時にふらっと寄ったサークル員募集の集まり。
テニス。
賑やかだったから「なんとなく」な私はそこに寄ってしまったのだろう。
テニスなんてやったことはない。
なんなら興味すらほとんどない。
ただ、「なんか楽しそう。」という理由でそこでお菓子やジュースを頂きながら話していた。
入学説明会も「ほどほど」に後はキラキラしているサークル内のメンバーに囲まれて過ごすことになる。
サークルに所属することが悪いとは思っていない。
むしろ生活をしていく上で「これからやりたい事を決めたい」と考えているなら入った方が様々な価値観や情報や人間関係も築ける。
今後の自分の為になると思う。
ただ、私はそんな事は全く考えていない。
大学に行けば「意味がわからない授業」に出席すると思いきやサークルの連中と部室や食堂でワイワイ楽しく話をするだけ。
目的が無い。
もしこの世にタイムマシーンがあって、あの時の自分に会えるなら言ってやりたい。
「なんでこの大学を選んだの?」
進学する大学に「行く理由」を持っているなら、そもそもサークルの存在なんて関係なく、学ぶべきことがわかっている。
本来サークルがメインではなく、学業がメインであって、進学を決めた主な理由はそこにあるはず。
私はその時、自分が何を学べばいいのかわからなかった。
なんとなく必修科目とそれ以外の科目を選んで、単位を取得すると2年生になれる。
そんな軽い気持ちだった。
それって、大学に行く理由が無いのと同じ。
だからサークルに染まる。
まるで毎日が遊びのように染まる。
大学に行く理由はサークルの連中と楽しく過ごせるから。
結局サークルの仲間と遊ぶってのが一番の目的。
大学は「自ら学ぶ」場所。
今でもまだ後悔している。
私は今、30代後半。
まだ、あの時を後悔しているのだ。
大学に「価値」を見出せていなかった。
後ろに座る。
なぜか授業で後ろに座る。
一番後ろに座って、「我関せず」みたいなオーラを纏う。
今考えたら、ちょっと不良ぶって、超ダサい。
それこそ何のために授業を受けているのか意味不明だ。
一番後ろの方が逆に「授業に集中出来る」っていうのならわかる。
でも私はそうではない。
ちょっと悪ぶってる反抗期の子供。
それに茶髪にしてパーマもあてがってた。
調子に乗った世間知らずのガキとも思えない年齢の子供。
自分の未来の為に、やりたい事を決めたいなら、「一番前」で懸命に教授が言っていることを聞くべきだった。
多くの「生きていくヒント」を与えてくれていたのに、それにも気が付かないなんて愚か過ぎる。
後ろに座ってはいけない。
「なんとなく」大学生活を送っているなら誰よりも前で、一生懸命授業を受けるべき。
「なんとなく」を変える為にも。
あの時の私に会えるなら首根っこをつかんで最前列の席に座らせるだろう。
「授業の内容が分からない」ことは問題ではない。
それを解こうと一生懸命になれない自分に問題がある。
興味が「ある」「ない」の前に、諦めてる。
わからないなら質問出来る時間を使って、周囲がどんなに「恥ずかしい」と感じる質問でも投げかけるべきだった。
教授と話が出来る時間は貴重。
社会に出れば現実が目の前を分厚く覆う。
そんな時間は無くなる。
大学生活が送れる「今」という貴重な時間を精いっぱい自分が出来ることに費やすべき。
ただ、後からそれに気が付いても遅くはない。
いつ気が付いても悪いってことはない。
でもどうせ気が付くんだからあの時やっておけばよかった。
授業は興味があろうがなかろうが、一番前に座る。
わからないことがあって当たり前。
それを自分で解く為になにが出来るのか考える。
目の前にその答えを知る人物が立っていたかもしれない。
それを悪ぶって「俺知ってるからー。」みたいなオーラを出して有意義に時間だけを潰すバカ。
生きるヒントすら聞かないでその後、苦労をするアホ。
それが私だ。
アルバイトに明け暮れる。
大学に「やりたいこと」や「学びたいこと」を自ら見出しもせず、それでもお金が欲しいからとアルバイトに精を出す。
この圧倒的な矛盾を完全にスルーしていた私は異常。
それなら大学を辞めて、学費として消費することをやめ、仕事をすればいい。
それなのに「大学もバイトも忙しいからさー」とか言う。
愚か者としか言いようがない。
お金が欲しいならアルバイトだけを一生懸命やりながら自分で生活の基盤を作り、その中でやりたいことを見つければいい。
それをしないで「忙しそう」にしている意味がわからない。
なんの為のアルバイトだろうか。
そこに精を出すなら「自分の今後の人生」に精を出すべきだった。
「今日バイトだからさ!また今度!」
友達の誘いやそれ以外の人間関係すらおろそかにする。
じゃあ大学で授業をサボっている時間はなんだ。
圧倒的に無意味になるじゃないか。
それにも気が付かないなんて、
私はとんでもない間抜け。
この時のアルバイトの店長は喜んでいた。
大学生なのにやたら仕事をしてくれるから。
「辞めちゃえば?うちで社員になれば?」
と言われたが、調子に乗っていた私は、
「それはないっすよー」
と断っていた。
今考えれば失礼極まりない返事。
高台から見下ろしながら言うセリフだ。
「ない」のは自分の生活態度だ。
意味がわからない価値観を持ち、「それでも自分はうまく両立してやっている」とか思っていた。
両立する理由がなんなのかも考えず、
「周りがそうしているから同じように」
くらいの感覚だったんだと思う。
もう一度店長に会えるのなら謝りたい。
あの時生意気な口をきいてしまったこと。
あと、
「今からでも社員になれますか?」
これ。
なんとなく過ごした結果。
単位も常にギリギリで、1年間をなんとかクリアしていく私に訪れたのは就職難。
大学を卒業すれば「仕事に就ける」と思っていた。
でも圧倒的に、絶望的に、
そんなことはなかった。
大学で何を専攻してきたのか。
自分はどういった勉強を経て、企業に対してどのような力になれるのか。
どうして「この企業を選んだのか?」
結局4年前に戻ったような感覚だった。
大学ってのはテストの点数によって、目標や専攻したい何かが無くても入れる。
そういう「商売」だから。
生徒を入学させて、学習させる代わりにお金を得る、ビジネス。
企業は違う。
私たちが企業に力を注ぐ対価として「お金」を受け取る。
卓越した何かを持っていなければ企業の力にならない。
力にならなきゃ「必要ない」と考える。
大学とは全然違う。
テストに受かっても必要なければ就職出来ない。
「この企業を選んだ理由」なんて見出せない。
ただ、思うのは、
「なんとなく」
それだけ。
そんな状態で就職活動がうまくいくわけがない。
頑張ったのはバイト。
それ以外は皆無。
やっぱりあの時のアルバイト先の店長に会えるなら謝りたい。
ただ、それでもカッコつける自分は「なんとかなるっしょ!」と考えていた。
どうにかなる。
今までそうだったから。
大丈夫。
自分なら出来る。
そもそもやれば出来る子だから。
…。
どうにもならない。
最後の最後に目の前に現れた壁は「なんとなく」過ごしてきた私には超えられない壁。
自分で選んだ道を、努力して、失敗して、勉強して、決断して、得た力が無いと乗り越えられない。
これからそれをやらないといけない。
そう思った。
私が大学で学んだこと。
目標を持って一生懸命生きること。
目標が無いなら誰よりも懸命に目の前にあることをやる。
時間は戻らない。
取り戻せない。
気が付いた時から他人の何倍も懸命にならなくてはいけない。
努力しなくてはいけない。
学ばなくてはいけない。
力をつけなければいけない。
誰かに必要とされる存在にならなければならない。
それを自分で選んで、決めなくてはいけない。
これから作っていく。
遅いなんてことはない。
でも気が付くのは早い方がいい。
誰よりも自分が、「自分の人生」に一生懸命にならなくてはいけない。
どうか感想をください。