「嫌われる」と「好かれる」

人間関係

生きていれば嫌われることも好かれることもある。

必ずある。

誰かと自分との間に起きる様々な事。

誰かと自分とまた違う誰かの間で起きる様々な事。

そのまた誰かとさらに違う誰かとの間で起きる様々な事。

 

人と人の間で起きる様々な事が原因で自分が嫌われたり好かれたりする。

 

もしかしたら「自分はなにもしていないのに。」と感じる時があるかもしれない。

濡れ衣のような嫌われ方をするかもしれない。

またはその逆でなにもしていないのに好かれるかもしれない。

 

どちらにしても誰かと誰かの間で起きる自分が直接関係していない事をコントロール出来ない。

身に覚えのない事を全く知らないところで噂されているようなもの。

 

「噂されないように良い子にしていよう。」

 

と思っても嫌われるか好かれるかは他人の評価であって、

自分が思う「良い子」は実は誰かにとっては「悪い子」かもしれない。

意識していても真逆の効果が出てしまうかも。

 

考えると心配になってくる。

 

きっと自分は気にし過ぎている。

誰かにとって「良い子」でいようとすれば、

その他の誰かにとっては「悪い子」になってしまうかもしれない。

 

自分で作った「良い子」のルール。

 

それは全ての人にとって本当に「良い子」なのだろうか。

 

誰かに嫌われて初めてわかることがある。

誰かに好かれて初めてわかることがある。

 

嫌われること全てが「悪い」わけじゃない。

好かれること全てが「良い」わけじゃない。

 

今だに勘違いしてしまう時がある。

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嫌われて気が付くこと。

相手による。

たった一言で、

たった一つの行動で、

誰かに嫌われてしまうことがある。

 

「なんでこれだけで嫌われなくちゃいけないの?」

 

そう感じることもある。

中には、

 

「自分は何もしていないのに。」

 

と感じる場合もあって、

自分が直接「何を」したから嫌われたのかわからないこともある。

そこから、

 

「どうして嫌われてしまったのだろう。」

 

と悩んだりすることもあれば、

 

「そんなの気にしない!」

 

と開き直ることもある。

 

きっと「どうして」を解明しようとするのも、「気にしない」と決め込むのも間違ってはいない。

その時の感情で左右される決断だと思っている。

その部分を変えることは出来ない。

自分らしさだとも思っている。

 

この決断に大きく関わっているのは、

「相手に対して自分がどう思っているのか。」

だけ。

 

その度合いによって自分の態度が変わったりする。

 

大好きな相手から嫌われたら、何とか元通りにしようと頑張るかもしれない。

そもそも嫌いだった相手から嫌われたら「別に構わない」と気にしないのかもしれない。

 

そもそも相手をどう思っているのかでその後の決断が変わるのなら、

全ての人に嫌われることが無ければ、全ての人に好かれることもない。

 

私は世界の全てを愛せるような器を持ち合わせていない。

 

だから「嫌われても良い」って思ってしまう人もいるし、

「嫌われたくない」と思ってしまう人もいる。

 

きっと、誰かを好きになればなるほど、嫌われることに恐怖を抱く。

きっと、誰かを嫌いになればなるほど、好かれることに興味が無くなる。

 

自分が相手を「どう思うのか」で人は恐怖を抱いたり、愛情を感じたりするらしい。

 

でも、「全くなにも思わない」っていう選択は出来ない。

 

どうしても、好きな人がいれば嫌いな人もいる。

 

子供の頃からずっといる。

今になってもまだそのまま。

 

嫌いな人もいれば好きな人もいる。

 

だとしたら、もうどうすれば良いのかわからない。

その都度判断する以外に方法を知らない。

 

私は世界の全てを愛せるような人ではないから。

 

どうしても好きになれない人もいる。

 

本当に必要な人。

もしかしたら明日には嫌いじゃなくなっているかもしれない。

人は何処かで必ず繋がるようになっていて、

その繋がりを持つことで大きなものを動かしたりする。

 

世の中には一人では成り立たないものがたくさんある。

 

道路を走っている車を一人で作ろうものならどれほどの時間がかかるのか想像もつかない。

でも、

「車を作ろう!」と思わなければそれを作ることに時間を使わない。

いきなり「車を作ろう!」なんて言われたら、

「気まぐれだな」って思う。

 

自分の中では「やるぞ!」と長い間時間をかけて構想したことなのかもしれないが、

他人にとっては単なる「気まぐれ」になったりする。

 

もしかしたら「それいいね!」と気まぐれに共感し、協力を得られるかもしれない。

 

結果は違えど、どっちも気まぐれに違いない。

 

気まぐれで人は嫌われることもあるし、好かれることもある。

 

だけど人と人は繋がりながら生きていく。

 

あの時は「車を作る!」に対して嫌悪感を抱き、めんどくさい奴だと思っていた。

それが後に車が必要になって、「誰よりも車に詳しい」からと力を借りることになった。

 

その時、相手をどんなに嫌いになろうが、どんなに嫌われようが、

どうせ人と人は繋がっている。

 

その時必要と感じる人が傍にいてくれさえすればそれで良かったりする。

 

じゃあ自分にとって本当に必要だと思える人は誰だろう。

 

私はいつも必要な人を勘違いして誰かを傷つけてしまう。

 

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好かれて気が付くこと

本当にそれでいいのか。

今自分にとって大切な人が傍にいる。

と思っている。

相思相愛。

まさにこの言葉がぴったりな状況だと思っている。

 

誰かと良い関係を築けていればその他の関係は「どうでもいい」とまで思ってしまう事がある。

 

世の中はそんなに甘くない。

それだけで良いわけがない。

誰かと築く良い関係を守る為に、大切な誰かを傷つけてしまうことだってある。

 

そもそも「好かれている」を確認するにはどんな方法があるだろうか。

 

その方法で本当に相手の心の内の内まで知れるだろうか。

 

相手に「好かれている」と感じているのは自分。

相手を「好きになる」のも自分。

 

相手に「好かれている」と感じてから相手を好きになる。

相手を「好きになった」から行動や言動が変わる。

 

誰かを好きになる力はすごい。

自分をあっという間に変えてしまう。

 

「嫌われた時」とは全く違う力が働く。

 

この力が巨大過ぎるからこそ、慎重にならなくてはいけない。

「好き」っていう力に溺れて自分を見失う。

 

これが厄介。

 

好かれるのは気持ちがいい。

だからこそ自分を見失いがちになる。

 

私は「好き」っていう感情に溺れて数々の失敗をした経験がある。

 

それは今になっては「恥ずかしくて」誰にも言えないレベルの失敗ばかり。

 

「本当に」これでいいのか。

って、いつも自分で確認するようにしないとわからなくなる。

 

「好き」っていう感情はやけに溺れやすいように出来ているらしい。

 

好かれるのは難しい。

好かれるのは嫌われるよりも遥かに難しい気がする。

たった一言で、

たった一つの行動で、

嫌われることはあっても、

好かれることは滅多にない。

 

自分が誰かを好きになるのは簡単なのに、

誰かに「好かれる」のは簡単じゃない。

 

むしろ、「好かれたい」と思えば思う程嫌われたりすることがある。

 

かと思えば忘れた頃に好かれたりする。

 

そもそも相手の感情なわけで、コントロールは難しい。

それはわかるが、難し過ぎると思えば簡単になったりもする。

 

誰かに「好かれる」っていうのは、

きっと誰かを好きにならないとわからない。

 

好かれる気持ちがわからなければ「好かれる」為に何をすべきなのかがわからない。

 

かと言って「自分が好かれる」為にやることが正解かどうかもわからない。

相手にとっては「嫌いになる」要因になっているかもしれない。

 

人の気持ちがなかなか掴めない。

 

自分の気持ちだけが前のめりになったりする。

 

でも、私はどこかで、

嫌われて、知って、反省したり改善したりを懸命に繰り返していく姿を「好き」になってくれる人もいるんじゃないかと思っている。

 

懸命さとその結果。

 

真の自分の姿が誰かの目にどう映るのか。

 

何も意識しなくても多くの人に好かれるような存在になりたいと今でも思っている。

 

根っこから変えなくちゃなれない憧れの自分がいたりする。