生放送には「特別な価値」と「魅力」がある

生活

サッカーの試合のライブ中継はやっぱり興奮する。

スポーツを生放送で観るっていうのは特別な興奮を味わえたりする。

今、画面の向こうで実際に同じ時を過ごしている感じ。

音楽だってライブ会場に行って観るのとイヤホンで収録された音楽を聴くのでは全く違う雰囲気を持っている。

目から入って来る情報によっても違いは生まれるんだろうけど、イヤホンで音楽を聴いていても、「街中を歩いている自分」や「考え事をしている自分」とマッチする瞬間もあるし、どちらが良いっていうことでもないけど、音楽の楽しみ方の一つとしてライブはある。

いつもはイヤホンで聴いている音楽が目の前で実際に演奏される特別感。

生放送やライブっていうのは、
それだけでもちょっと「特別」になる。

「特別」を味わえる価値が生放送の魅力だと思っている。

生放送やライブから感じる特別ってなんだろう。

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「今」「その時」、生放送に感じる特別感。

同じ時を過ごしている距離感。

画面の向こうとそれを視聴している私の距離。

物理的には近いんだけど、実際には離れているような感覚を持っている。

その距離感っていうのは完璧に編集された映像であればあるほど遠く感じる。

本当の距離ではなくて、心の距離とでも言いましょうか。

例えば音楽でも、PV映像とテレビ番組で実際に歌っている姿を同じ画面で観る違い。

同じ曲だとしてもちょっと違う。

感覚的なものなんだけど、まだテレビ番組の中で歌っている姿の方が距離感は近いように感じる。

それがどうしてなのかわからないけど、子供の頃からテレビは馴染みのあるもので、常に何かが放送されていて、いつも身近にある存在。

テレビの画面から流れて来る映像が「当たり前」になっていて、最近ではネットを通じても様々なジャンルのチャンネルを楽しめる。

放送されている番組は基本的に編集されているけど、スポーツに限っては生放送に寄っていたりする。

好きなスポーツや応援している選手がいるとして、その試合に「今まさに挑んでいる状況」と「結果が出ている過去のもの」との差。

これが実際の距離ではなくて、感覚的な距離を広くしているような気がする。

感覚だからうまく説明するのが難しいけど、生放送の方が圧倒的に距離が近く感じる。

それはきっと「今、自分が過ごしている同じ時間に起きていることだから」じゃないだろうか。

サッカーワールドカップの試合は深夜に行われていても多くの視聴率をマークした。

特別な試合というのはもちろんある。

あるけど、さらにそこに生放送である事実が大きな価値を生む。

今、一緒に頑張っている感覚、その今を一緒に応援している感覚。

その距離感が生放送をさらに特別なものにする。

テレビでもスポーツを生放送にするのは、距離感だけではなくて演者や台本が無いから「放送事故」的なものも映りにくいからだとは思うけど。

発言するのも実況アナウンサーと解説の人くらいだし。

私はスポーツの放送が過去のものであればダイジェストの方が楽しいと感じる。

過去の試合なら珍プレーや好プレーをまとめたものが観たいと感じる。

やっぱり生放送は特別。

何が起きるかわからないドキドキ感。

画面の向こうだとしても、今そこで、自分と同じ時間が流れている生放送。

それは、「編集出来ない放送」になる。

編集出来ないっていうのはどんなNGを出しても進む。

放送事故を期待しているわけではないが、ミスが許されない状況であることは間違いない。

スポーツであっても、バラエティでもニュースでも。

基本的にミスが許されない状況。

それを画面越しに観ているこちら側は少しドキドキする。

「何が起きるかわからない!」

このドキドキ感が録画や編集されている画面を見続けてきた視聴者には特別な感覚だったりする。

これまでテレビで観てきた多くの番組が録画であって編集されているものだった。

だからこそ生放送に感じるドキドキ感が特別に感じたりする。

本当にたまにだけど、ドラマの一部分だけを生放送にしたりする特別仕様の放送日があったりする。

セリフを間違えてはならない感覚とドラマである以上本人ではない役を演じなくてはいけないあの感じ。

さながら舞台を観に行ったかのようなドキドキ感がある。

その特別は私に「観たい!」と思わせてくれる。

間違いを期待しているわけではないけど、「間違えてしまうかもしれないドキドキ感」が特別を演出する。

編集された映像だったり、すでに収録された映像を見続けてきたからこそ価値を感じるのかもしれない。

映像のほとんどが「過去」だからこそ。

世の中にある映像のほとんどが「過去」になる。

youtubeだってちゃんと編集された動画だし、テレビはいつも通りの平常運転が当たり前。

たとえライブで配信されている映像だとしても1秒後には過去になる。

すでに収録された映像になる。

私達は世の中で放送されるほとんどの映像が「過去」であると認識している。

ネット上には生放送を売りにしているサービスもあるけど、実際に放送している方はそれなりの労力を使う。

だから常に生放送というわけにもいかないのかもしれない。

私達視聴者もそれがわかっている。

だからこそ編集の技術が磨かれてきたし、収録の技術が磨かれてきたんだと思う。

「過去の映像」が面白くないわけではなくて、映像は過去であるのが当たり前だからこそ特別な価値を持つ生放送になる。

実際に編集するのが良いのか、生放送をするのが良いのかはわからない。

でも間違いなく「生放送」の方が特別感を得られる。

その「特別感」こそが生放送の価値であって魅力なんだと私は思っている。

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心優しきあなたにお願いがあります。

お見苦しい点が多々ある私なりの文章をここまで読んで頂き、本当にありがとうございます。改めまして、執筆者のdaimaruです。

この度、DONGURILOGという日記サービスを共同運営させて頂く事になりました。

シンプルに伝えると、「みんなで日記を書くスペース」になります。

かれこれ数年このブログを続けて思った「ひとりで更新し続ける難しさ」を解消しつつ、多くの価値観を共有しながら楽しめる場所です。

まだ始まったばかりのチャレンジではありますが、多くの方に使って頂きたいと思っています。

ここまで私が書く、しがない文章を読んで頂き、目もお疲れかと存じますが、どうか、最後に、私の渾身のワガママを聞いて頂けないでしょうか?

無理なお願いをしているのかもしれません。

でも、「日記を書く」には多くのポジティブな効果があります。今日一日を振り返るだけで多くの気付きがあります。

じらしてすみません。

一緒に日記を書いて頂けないでしょうか?

私は多くの人と日記として記録を残す毎日を過ごしたいと思っています。

そしてそれがきっかけで多くの人が救われる瞬間があるんじゃないかと思っています。

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本来「日記を書く」は一人で行う趣味的な存在なのかもしれませんが、それを多くの人と同じスペースで書く楽しさを大声で主張したい。

「うおー!」です。

是非一緒に、DONGURILOGで、日記を書きましょう!

自分の為になり、誰かの為にもなる。

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あれんじ

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