自由人な男ってのは意外に背負うものが大きかったりする。
背負うものが何も無いのに自由を求めないからね。
つまり、背負うものがあるからこそ自由を求めるわけで、何もしない自由っていうのはただ解放されただけに過ぎない。
何にもすることが無いから自由なのではない。
背負うものがあって、守るものがあって、初めて男は自由になろうと思うのだ!
ビシっと言ったる!
男は何かを背負うことで強く、そして自由になるのだ。
自由っていうのは与えられるものではない。
与えられたものなど自由ではない。
欲しがらないと得られないものが自由だ。
もし誰かから与えられた自由があろうものならそんなもの捨ててしまえばいい。
自由っていうのはロマンだ。
男にとってロマンっていうのは常に必要。
ロマンっていうのは自ら迎えにいくものだろう?
でっかく自由を手にする瞬間を語り散らして、半べそ書きながら現実と戦い、半歩ずつ前に進んで手に入れるものだろう?
それを与えられて何が楽しいのだ。
掴まされて何が自由だ。
自由ってのは求めるものだ。
自ら掴み取った結果こそ自由への鍵だと思わんかね。
野心なんてあっても無くても構わん。
でも求めないと進めないでしょうが。
自由を求めるから頑張れるんだ。
何もする事が無ければそれはアホンダラになってしまう。
何もすることが無いのに自由を求めないでしょうが。
なにもする事が無いのは自由ではない。
何もすることが無いって本当に自由だと思う?
背負うこともやりたいことも、守るものも必要だ。
それがあって縛られる部分があって、もがけるから自由を手にしたいと思うんだ。
だから初めから何もすることが無いのは自由ではない。
それはただ単に「何もすることがない」だけだ。
ただなにもしたくない時もある。
それも「何かをしているから何もしたくないって思う」わけで初めから何もしたくないっていうのはただの腑抜けだ。
何かをしていないと何もしたくないなんて思わない。
我慢して、もがいて、休んでの繰り返しだけどその中で「自由へ」って想う気持ちこそがロマンだ。
背負うものが無いのに自由を語るやつはアホだ。
なにも背負ってない、何も頑張ってない、何も結果を出してない、むしろ結果を求めてない。
それで「俺は自由だ!」って言ってる奴が本当にかっこいいか?
アホにしか見えないだろうが。
本当に自由を勝ち取った人間が自由を語るか。
自由になる為に語るのだよ。
自由になりたいからこそ語るのだよ。
それが夢だ。
背負っても背負っても自由を目指すから自由なんだ。
背負ってた方が強えー!
結局背負うものがないと踏ん張れない。
背負うものがあるからこそ前に進めるのだ。
背負ってる方が強えーに決まってる。
負けられない分強いのだよ。
背負っている方が早く走れるのだよ!
守るものがあった方が強えー!
守るものがある方が意地を張るだろう。
守るものがある方が自分を大きく見せるだろう。
守るものがある方が見栄を張るだろう。
守るものがあるから自分を強く見せるのだ。
周りが敵だらけに見えるのだ。
それなら自分がそういう状況になっても戦えるように強くなるしかない。
強くなるしかないのだ。
守るものがあったら強くなるしかないのだよ。
だから結果的に強くなるのだ。
そして自由を掴み取る。
強くなればなるほど自由になる。
背負った方が強くなる。
守るものがある方が強くなる。
自由に近づく。
強くなればなるほど自由に近づく。
本物の自由を手に入れるのだ。
男なら背負える方がいい。
男なら背負う事をすべて突っぱねてはならん。
むしろ一度は背負うくらいの覚悟が必要だ。
背負った分だけ荷を降ろした時の自由は強く感じられるはず。
大きなものを無理やり背負う必要はないが常に背伸びしていたい。
それが男だ。
いつでも強がってみせる。
強がって粋がっていこう。
全て乗り越えれば手に入る自由も大きくなる。
乗り越えられないならそれはそれで潔く謝れ。そして反省する。
それでいいじゃないか。
「ごめんなさい」や「申し訳ない」とちゃんと言える男の方がかっこいいぞ。
そしてそれをバネにしてまた背負う。
それなら負けたことにはならない。
むしろいくらでも負けを取り戻せる程の勝ちを積み重ねるだけだ。
計算している場合ではない。
自分の人生の計算なんていらない。
背負って乗り越えていくだけ。
人生の答えなど未知数なのだから。
慎重でいるのが悪いことではない。
時にダイナミックさが必要になることもあると思うのだ。
男なら守るものを作れ。
極端な話なんでもいいのだ。
守るものがある方が強くなる。
そして守れば守るだけプライドになる。
そのプライドは時にへし折られるだろう。
でも守るものがあればまた立ち上がれる。
プライドなんて捨ててしまってもいい。
でも守るものは維持でも守り抜け。
家族か、恋人か、お金か。
なんでもいい。
とにかく絶対に守るものを持つ。
守るものがあれば男はいくらでも強くなれる。
カッコイイと思う方を選べ。
何かを背負うのと何も背負わない男はどっちがかっこいいだろうか。
守るものがある男と守るものが見つからない男どっちがかっこいいだろうか。
自由を与えられるのと勝ち取るのはどっちがかっこいいだろうか。
結果を出す男と結果を出さない男はどっちがかっこいいだろうか。
「カッコイイ!」と思う方を常に選べ。
結果なんて後からついてくるもんだ。
見返りを求めて一生懸命になるのと見返りなんて無くても一生懸命になれるのはどっちがかっこいいだろうか。
世の中は常に結果を求められるが結果が出るまではがむしゃらでもいいんじゃないかと思うのだ。
結果すら通過点。
結果をゴールにして頑張っているのと結果を通過点にして頑張っているのはどっちがかっこいいだろうか。
可能性なんて無限だ。
目の前の結果に捉われるな。
その100歩先を目指せ。
分野なんてなんでもいい。
分野に捉われるな。
野球でも水泳でも事務でも医者でもなんでもいい。
なんでも背負えるしなんでも守れる男になる。
自分の立ち位置なんて気にしてる場合か。
医者の方がすごい?
野球選手の方がすごい?
どうして?
意味がわからない。
野球も医者も超えていく覚悟があれば分野に捉われることなんてない。
かき分けて進め。
迷って模索して、荒れて修正してまた迷う。
普通だ。
トラブルでもなんでもない。
そうしないと自由なんて得られないのだから。
普通だ。
超えられない壁があっても超えようとする姿が自由なのだ。
超えられない壁を超えようとするからその先に自由があると思えるのだ。
かき分けて進もう。
自由はその先にある。
かき分けて進もう。
平坦な道を歩むのはかっこいいか?
平坦だと思ってる道も先は険しいかもしれないのだ。
引き返す気か?
だせーな。
諦めろ。
人生に平坦な道など一本も通ってない。
かき分けて進め!
たまに休め。
生きるのは疲れる。
だけど人間だけはなぜか笑うことが出来る。
人間だけがそれが出来るように作られている。
どうして人間だけ笑えるのだろうか。
生きるのが大変だからだよ。
だから「笑う」っていうものが備わっているんだ。
いつも険しい道を歩いていれば疲れる。
そんな時は休もう。
笑える事をしよう。
笑える時間を作ろう。
そしたらまた進めるかもしれない。
頑張ってる奴が休んでもいいじゃないか。
頑張ってる奴が笑ってもいいじゃないか。
頑張ってるから泣けるんだよ。
思いっきり休め。
自由を手にしたら後は好きにやれ。
その先に自由があるかもしれない。
もし自由を掴んだなら後は好きにやるといい。
様々なものを背負い、守り、共に歩み、掴んだ自由だ。
その自由を無駄に使うようなことはしないだろう。
必死に掴んだ自由を羨む人なんていないだろう。
そんなに必死に掴んだ自由を奪われるわけがない。
だってそれだけの苦労をしたのだから。
それだけの努力をしたのだから。
それだけのものを背負って、守ってきたのだから。
そういった男になること。
それが本当の自由だ!
どうか感想をください。