思い出のマーニーの魅力は数回観て気が付く、そして泣く。

小言

1回目と2回目では泣くポイントが変わるって話。

どんな映画でもそうだろって言われると意気消沈しちゃうんだけどね。

子供があまりにも好きだからやたら観る機会があるわけです。

娘は千と千尋の神隠しも大好きなんだけどあれは単純に面白い。

でも何回観てもまぁ同じような感情になるわけですよ。

「面白いなぁ~」って。

一方思い出のマーニーはね。

なんか1回目に観た時は最後に「ふぅ~。」って感じで感動する。

2回目はアンナの心情とマーニーの心情がなんか想像出来ちゃって泣ける。

展開は予想出来るのです。

もう観てるからね。

でもね。

だからこそ感動するポイントがあるんです。

これってなんか。

なんかよく出来てる感じがしませんか。

一発でドカンと「おもしれー!」じゃなくて、何回も観て感情移入して「うえーん。」ってなるわけです。

すごく宣伝しているようであれなんですけど。

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思い出のマーニーは何回か観た方が絶対に感動する。

それを強く言いたいだけ。

どんなところが?って思うじゃないですか。

だから説明したいの。

あれはジブリ改革があってからの作品だし。

あんまりっていう人もいるじゃないですか。

宮崎先生じゃないだけにジブリじゃない的な考えられ方もあるし。

でもね。

いいのよ。すごく。

夢と現実の間が最初はなんだかもどかしい。

これは最初に観た時に感じたことなんだけどなんだか良くわからない出会いがたくさんある。

そして夢でマーニーに会っているのか病的な何かなのかわからない。

でもその間で物語は進んでいく。

物語の最後にその理由もすべて解決させるだけの説得力はあるが、それまでは夢と現実の間を行ったり来たり。

最後のネタ晴らしまではなんだかごにょごにょした感じ。

マーニーの透明感が凄まじい魅力。

そんなごにょごにょしている中でもマーニーの透明感はピカイチである。

とんでもなく透明感がある。

どのくらいあるかっていうと掴みづらい性格なんだけど明るくて憎めない容姿になんとも絶妙。

絶妙な透明感である。

男女共にその魅力的な透明感を感じられるような人物になっている。

透明と言うよりも聡明。

聡明と言うよりも透明。

掴めないけどなんかすごく魅力的に描かれている。

1回目は最後のアンナの「おばあちゃん。」でグッとくる。

お屋敷の写真の裏の名前を見てからの「おばあちゃん。」ね。

ここが間違いなく最大のグッとポイントである。

1回目はここで全てがドワっと来る。

これまでの夢と現実の間もすべてが「ワーっと」一つになってドワっと来る。

この瞬間の為の久子さんの思い出話が妙に詳しいのは置いておこう。

幼馴染なのだから知っていてもいいとは思う。

良いとは思うんだけどすごく詳しいのです。

そしてその説明を受けてからの、

 

「おばあちゃん。」

 

ドワっと。

グッとくる瞬間を演出しているのです。

2回目はマーニーの「許してくれるって言って!」でグッとくる。

2回目になると、思い出話がすでに頭に入っている状態になるわけですよ。

娘も何度も観るもんだからつられて観る。

これは父親としてのあるあるでしょ。

でも2回目でグッとくるポイントが変わるんですわ。

マーニーの生い立ちとかを知ってる状態。

完全にオチもわかってる。

だから最後の「おばあちゃん。」でドワって来ない。

来ないというか薄い。

って思ってたら、

その手前の

 

「許してくれるって言って!」

 

っていうところでドワっとなる。

グッとくる。

だって、そう言いたくなる気持ちを知ってしまっているんだもん。

1回目は正直「そんなに大袈裟!?」って言いたくなるような感じなんです。

オーバーリアクションというか、「そんなに必死になることかね?」って感じで少し引いて見ちゃう。

でもね。

2回目なんです。

「そのくらい大袈裟にもなるわ!」

その大袈裟なまでの感情の起伏にドワっと来るわけです。

「そりゃそうなるわな。うえーん。」

って感じです。

2回目以降はお互いの心情が良くわかる。

もうオチ的な部分がわかっているとどうしても場面ごとの心情が伝わってしまうのです。

夢と現実の間のアンナも、想いが溢れているマーニーも。

オチがわかっているからそのギャップを埋めてしまうのだ。

凸凹だと思ってた物語の流れも平坦にしてくれる。

そしてすんなり入って来る。

その状態からの、

 

「許してくれるって言って!」

 

ドワっと来ますな。

3回目以降は「母です!」でもグッとくる。

ここね。

1回目なんて気が付かないレベルかもしれないけど頼子さん涙拭ってるから。

 

「母です!」

 

その一言で頼子さんは涙を拭っているのだよ。

それも4回目以降になるともっとわかる。

もっと頼子さんの気持ちがわかる。

だって、冒頭のアンナのあの態度からですよ。

最後に明るく

 

「母です!」

 

ドワってなるでしょ。

グッとくるでしょ。

もういいから3回は観て。

必ず観てよ。

そういうのすごく散りばめられてるから。

隠し要素とかではなくて、ちゃんと初めからそうやって作られてるから。

原作を読み込んで映像にするってすごく大変な事なんだと思うけど目で見せる分そういった部分も作り込んでいるから。

作り込んでるからこそ何回か観ないと全部伝わらないのです。

全部伝わったからこそ絶賛したいのです。

4回目になると冒頭の電車でアンナを見送るおばちゃん(頼子さん)の姿にグッとくる。

「頼子さんはずっとずっとアンナに対して最大の愛情を注いでいた」と思わせるシーンが冒頭からある。

なんとなく流し見しちゃうじゃないですか。

でもね。

ここでしっかり頼子さんのアンナへの想いが詰め込まれているのですよ。

力になれない自分がすごくもどかしくて、悔しくて。

でも「何とかしたい!」っていう気持ちが溢れているシーンなのです。

4回目にそれに気が付く私。

なんて、なんて愛情が溢れているシーンでしょう。

そして最後の最後に

 

「母です!」

 

ここだ。

もう感動し過ぎて涙が出るというよりも安堵感が圧倒的に勝る。

すごく安心するシーン。

いや、むしろこれがあって初めて思い出のマーニーは完結するのだろう。

頼子さんがいるからこそアンナもマーニーも安心出来るのだ。

5回目以降になるともうラストのトマトの絵でグッとくる。

なんで5回も観てるの?って思うでしょ。

娘が観てるから。それだけ。

でもね。

もう笑えることに最後のトマトの絵を見て思う。

「もう思い出のマーニーが終わりを迎えようとしている。」

この気持ち。

何回観ても名残惜しいのだ。

マーニーと離れてしまうと思うとなんか名残惜しい。

なんか寂しい気持ちになる。

これが感動なのか何なのかわからない。

でもジブリってなんだか最後に登場人物がいない絵を見せるじゃないですか。

あれってすごく寂しい気持ちにさせません?

そしてそれにまんまと引っかかってるというか。

喪失感に襲われる。

「思い出のマーニーが終わってしまう。」

観過ぎるとそう感じるだけでなんだかグッとくるものです。

それ以上になるとプリシラアーンに敬意を払う。

ラストの曲の入り方ね。

あそこであの曲が入るもんだからまたなんか寂しくなるわけです。

娘はあの曲のなぜか

「あああーあ!あああーあ!」

ってとこをひたすらリピートする。

ギャグだよ。

俺にしか効かないギャグ。

でも物語の最後に流れ出すタイミングも含めて浸る。

最高に「浸る曲」だと思うのです。

そして予告編を観るでしょう。

あえてね。

あえて公開前の予告編を今見るのです。

そうすると気が付くのです。

本当に心を込めて作った人たちが作った予告であると。

最後にあえて予告を見る。

これが思い出のマーニーが好きな理由です。