日曜日の夜。
なんかちょっと憂鬱な気持ちになる。
明日からまた普段通りの生活が始まるから。
その気持ちは、金曜の夜の「明日は休みだ!」っていうワクワクとは真逆で、「また一週間が始まるなぁ」って、つまらない毎日を予想してしまう感じ。
私はずっとそうだった。
学生の時も、社会人になってからも。
「休みが終わってしまう」って考えるタイプの人間。
でも、その気持ちが変えられれば、期待に満ちた月曜日を迎えられるかもしれない。
今回は憂鬱な月曜日じゃなくて、ワクワクする月曜日の迎え方を伝えたい。
今は憂鬱な月曜日で構わない。
期待に満ちた月曜日を無理にでも迎えようとしたところで、いきなりそれは出来ない。
生活には自分だけのリズムがある。
月曜日ってのはほとんどの人にとって憂鬱なんです。
仕事が始まる。
学校が始まる。
次の休みまで何日もある。
そりゃ嫌になる。
だって本当は働きたくないって思っている人がほとんど。
本当は勉強したくないって思っている人がほとんど。
誰だって、出来るなら遊んで暮らしたい。
好きな事をして暮らしたい。
でも月曜日になればその気持ちを堪えて会社に行く。
学校に行く。
結局どこかで憂鬱な自分を受け入れて、「行かなきゃ」ってギリギリのところで切り替えるわけです。
これって、よく考えたら、ものすごいエネルギーを使っている。
正直、偉いと思う。
行きたくないのに「行かなきゃ」って思うには訳がある。
それが「自分の為」ってどこかでわかっているから。
ちゃんと未来の自分を想像出来る証拠でもある。
そんな人が今後頑張れないわけがない。
もうすでに自分の為に頑張れる基礎的な部分をクリアしているようなもんです。
自分を褒めてやりましょう。
憂鬱な気持ちを持っていても、将来の自分の為に、「行かなきゃ」って思って、ちゃんと行動出来る月曜日。
ちゃんと未来の自分を想像出来るじゃないか。
憂鬱でも行動出来る力を持っているじゃないか。
憂鬱にならない未来の自分まで想像出来るように。
本当は行きたくない。
本当は遊びたい。
本当はもう少し自由になりたい。
本当は自分が好きな事をしたい。
結局自分の思い通りに物事を進めたいわけです。
だから月曜日は憂鬱。
それが「出来ない」って思っているから。
だとしたら、今自分の思い通りにする為にはどうするかを考える。
…。
無理やん。
って思う。
で、結局仕事に行く。
学校に行く。
仕事をこなす。
学校をこなす。
良くないのはこの部分。
憂鬱な気持ちを持ったままでも行動する力を持っているのに、仕事にいけば「こなすだけ」になる。
学校に行けば「こなすだけ」になる。
これは「月曜日をサボった自分のその後」までしか想像出来ていないから。
ちょっと先の未来までしか想像出来ていない。
仕事をサボれば誰かに迷惑をかけてしまうかもしれない。
有給を消化してしまう。
言い訳を考えなくてはいけない。
会社に居場所が無くなるかもしれない。
給料が少なくなる。
などなど。
学校に行かなければ授業についていけなくなるかもしれない。
親に怒られてしまうかもしれない。
友達との距離感が離れてしまうかもしれない。
などなど。
それは「自分の思い通りに物事を進めるのを妨げる結果に繋がる」と思う。
だから結局、「行かなくちゃ」を選ぶ。
ちょっと先の自分の生活が想像出来るから。
それを守る為に仕事に行ったり学校に行ったりする。
でも行ったら行ったでこなすだけ。
「こなす」が問題。
こなし続けても、来週の月曜日はきっと憂鬱だと思う。
だって本当は自分の思い通りに物事を進めたいのだから。
だからもっと先の自分まで想像する。
例えば「一か月先の月曜日に自分が憂鬱にならない姿」を想像してみる。
…。
…。
たぶん、出来ないと思うんです。
だってこれまでそうしてこなかったんだから。
でもね、そこを変えていかなくちゃいけない。
もっともっと先の自分を想像出来るようにならなきゃ。
自分の定時は自分で決めよう。
これまで月曜日は憂鬱だった。
「だからこれからもきっと月曜日は憂鬱になるものだ。」
って想像をして、仕事や学校を「こなす」ようになった。
憂鬱に耐える月曜日になった。
「次の休みまで」頑張る一週間になった。
次の休みまでをこなす毎日になってしまった。
でも本当は憂鬱になりたくない。
自分の思い通りに物事を進めたい。
ワクワクする月曜日にしたい。
そう思った時、まずやらなくちゃいけない事ってなんだろう。
…。
先の先にある仕事をこなしていく事かもしれない。
必要な資格があるかもしれない。
次の困難に準備しておく事かもしれない。
学校であれば先の先にある勉強を先にしておく事かもしれない。
期末テストへ向けて勉強しておく事かもしれない。
受験へ向けて勉強しておく事かもしれない。
…。
次の試練を待っている状態じゃ「こなすだけ」の毎日になってしまうのは当然。
だからこそもっと先を想像して、先にある困難を自ら迎えに行かなきゃ。
「憂鬱にならない月曜日」を作るのは今の自分です。
仕事には定時がある。
学校には定時がある。
仕事の定時を決めるのは会社です。
学校の定時を決めるのは学校です。
社会や法律がそれを決めます。
でも私の定時を決めるのは「自分」です。
こなす毎日を否定しましょう。
一日をこなす自分を否定しましょう。
仕事や学校の定時と自分の定時を一緒にしてはいけない。
寝る時間を削る必要はない。
好きな事を辞める必要もない。
ただ、社会や法律が決めた定時が、自分の定時だと勘違いしている内はずっと月曜日は憂鬱なような気がするんです。
もっと先の月曜日に「憂鬱にならない自分」を送り出すには、毎日をこなしちゃいけない。
家に帰って、テレビを観ている時間はどうだろう。
友達と遊びにいく時間はどうだろう。
ゲームをしている時間はどうだろう。
お酒を飲んでいる時間はどうだろう。
ラインばかりしている時間はどうだろう。
自分の定時は自分で決める。
先の先に訪れる困難を想像して、それをクリアする為の毎日を過ごす。
未来の自分の準備をする。
「憂鬱ではない月曜日」を想像する。
その為に出来ることって何だろう。
きっとめちゃくちゃたくさんあると思う。
そしてそれをクリアする為には、世の中の定時では「時間が足りない」と思う。
たまに売れっ子の芸能人のドキュメンタリー番組などを観るとこんなセリフが出てくる。
「寝る時間が無くて辛い」
そこまで頑張る必要はないと思うけど、少なくても、「仕事しかしてない」と伝わってくる。
芸能人は自分が商品みたいなものです。
自分には定時なんて無い。
「無理をしろ」ってことじゃなくて、「自分がどうなりたいか」って部分だと思う。
自分が最高にワクワクする明日を迎える為に今寝る間を惜しんで仕事をしているのかもしれない。
ワクワクする月曜日を迎える為に。
未来の自分を作るのは今の自分です。
憂鬱な月曜日を作るのは毎日の自分です。
少し先の未来は誰にだって想像出来る。
だとしたら、もう少し先の未来だってきっと想像出来るようになる。
でも毎日を「こなすだけ」になってしまえば、もう少し先の未来は想像出来ない。
だから日々「もう少し先の自分を想像する努力」をしなければいけない。
毎日をもっともっと先の自分から逆算して考えなくちゃいけない。
ワクワクする月曜日ってどんな感じだろう。
それをもっともっとリアルに想像していく。
「思い通り」がワクワクする月曜日を握っているのなら、今の自分はどうしたらいいのか。
毎日の自分は何をすればいいのか。
偉くなることかもしれないし、学校での成績が良くなることかもしれないし、資格を取ることかもしれない、昇給することかもしれない。
自分の人生の定時は自分で決めるべきだと私は思う。
憂鬱な月曜日になってしまう理由は必ず自分の中にある。
それを改善する為には絶対に努力が必要であって、毎日を「こなす」だけでは出来ない。
私の月曜日はまだまだ憂鬱です。
だからこそ、ワクワクする月曜日を想像して今を頑張らないといけない。
だからこそ、毎日をこなすんじゃなくて攻めないといけない。
先にある困難を自ら迎えに行く。
少し先の未来を想像して、憂鬱だけど頑張る力はすでにあるんです。
月曜日は憂鬱だけど会社に行ったり学校に行ったりするんだから。
でもそれをこなすだけじゃ、来週の月曜も憂鬱になる。
それを変えられるのは自分しかいない。
目の前にある困難を迎えに行く。
その先にある困難も迎えに行く。
自分から迎えに行かなくちゃ。
どうせ待ってても向こうからやってくるんだから。
どうか感想をください。