生まれて初めて首都高に乗る時の心構え

小言

免許を取って、高速道路や自動車専用道路に乗る事は多々ある。

高速道路なんざハッキリ言って真っ直ぐ走ってるだけなら楽だ。

車の燃費も良くなる。

目的地までの移動も場所によっては電車より早くなる。

そんな使い方によっては最高に便利な有料道路に、多くの初心者の行く手を阻む最強の難所がある。

それは、首都高速。

生まれて初めて首都高速道路に挑む時、多くの人が緊張する。

そして多くの人が躊躇する。

多くの人が不安になる。

私はその中の一人だった。

だから、そんな人達に伝えたい。

大丈夫だ。

落ち着け。

問題ない。

今回は生まれて初めて首都高へ挑む人と、必要以上の苦手意識や恐怖心を持っている人へ適切な心構えを伝えたい。

首都高への恐怖をやっつけよう。

ナビはフルに使った方が良い。

私の親は団塊世代。

若い頃、カーナビは無く、あるのはカセットの入り口とラジオ。

スマホの普及なんか考えられず、私が小学生の頃、父親がポケベルを使っていた記憶がまだ残っている。

車の中にはいつも地図があり、少し遠くに行く時はその地図を助手席の母親が開き、指示する。

子供の頃、そんな姿を後部座席から見ていた。

今、私の両親はガラケーを使っている。

カーナビが付いている車に乗っているが、目的地を入力しているのを見た事がない。

「使い方がわからない」と言うか、「いちいちうるさいから使わない」と言う。

今や車にカーナビが搭載されていなくても、スマホがあればGoogleマップで最新のナビ機能を使える。

GPSの機能が向上したおかげで必要十分だと思える。

が、それでも首都高は複雑に入り組んでいる。

初めて乗ったらまず「自分が今どこにいるのか」がわからなくなる。

ナビ無し初見なら右往左往で方向感覚を失うだろう。

地図を目視するだけだと複雑で現在地を見失ったりする。

でもナビがあればまず大丈夫だ。

フルに使うべき。

私の両親に言い換えれば助手席で地図を開いてこの先の道を正確に教えてくれる母親だ。

「使い方がわからない」とか「いちいちうるさい」とか言うが、そもそも母親はナビだった。

それを今は機械がやってくれるだけ。

どんなに道に詳しくたって、最初は誰でも知らない道。

昔からそれは変わらない。

最近じゃナビが付いてて当たり前になった。

古いDVD式のナビでは新しい道に対応していない場合もあるけど、結果的に目的地に辿り着ければ問題ない。

首都高は普通の道路じゃ考えられない左右からの合流や、トンネル内の分かれ道がわんさかある。

少し先の情報を予め教えてくれるナビが最も力を発揮する道路と言っても過言ではない。

もし、車に搭載されているナビが旧型で心配なら、スマホでGoogleマップを起動しよう。

近くにいるナビゲーターをフルに使うべき。

めちゃくちゃ頼れる相棒になる。

私が初めて首都高に挑戦した時、多少古いナビだったけど、目的地には着いた。

無事に目的地に着いた時、ナビの事がすごく頼もしく思えた。

ナビに「あざーす」ってした。

あの頃、助手席で地図を広げる母親以上に頼れる存在だった。

ナビは首都高攻略には欠かせないパーティーメンバーです。

後は無理をしない。

一度や二度ナビに従わなくても目的地に着く道を再検索してくれる。

地図のページをめくるスピードは私の母親よりよっぽど早い。

安全運転に集中してりゃいつの間にか目的地に着く。

ナビはそうなるように開発されてる。

最高のパートナー。

道を間違えても焦らなくて良い。

ナビの部分でも言ったけど、もし道を間違えてしまったとしても、すかさず再検索してくれる。

「だから安心しろ」と言っても、相手は首都高。

「やばい、間違えた」と思った時にはもう別の方向へ向かっている可能性もある。

首都高は青看板や電光掲示板だらけなのにも関わらず、急に道が分かれる「焦りポイント」で溢れている。

初めてだと看板に書かれている地名の場所すらわからなかったりする。

「ナビが再検索してくれる」と思っても焦るものです。

道の作りからして初見で間違えれば誰でも焦る仕様になってる。

が、安心してほしいポイントが2つある。

まず、首都高は、一応、ぐるっと回れるように作られてる。

間違えたところでまた回って同じ所にこれる不思議仕様になってる。

そのおかげなのかルーレット族と呼ばれたりする走り屋さんが今でも夜な夜なスピードを出して首都高を駆け抜けたりしてる。

グルグル回れる仕様だからまるでサーキットのような使い方をする奴らがいるわけです。

私は最初の首都高が夜中だった。

初見でそんな走り屋と出会うなんとも衝撃的な日になった。

ちなみに、奴らはめちゃくちゃスピードが速い。

すんごいスピードで追い抜いていく度に「超はえー!」って声に出るレベル。

まぁ、超危険だし違反なので絶対にダメなんだけど、「間違えてもどうせ戻って来れる」ってのは、首都高初見攻略中の安心ポイントでもある。

何周しても首都高を出なきゃ料金は一緒。

そんな使い方をする人は走り屋以外ほぼいないだろうけど、グルグル回る事も出来るって事です。

で、もう一つの安心ポイントは、「首都高は出口だらけ」な部分です。

少し走れば次々に出口が現れる。

初見ならどうせ地名などわからない。

道を間違えて焦ってしまうようなら一度降りて、心を落ち着かせる意味で休んでも、またすぐ乗れるのです。

出口が沢山あるってのは入り口も沢山あるって事。

「ヤバ、間違えた」と思って焦って運転に支障が出るくらいなら、一度降りてゆっくり走るなり、ルールを守って路肩に車を停めて休んでも良い。

「高速道路は止まれない」っていう使命感が焦りに繋がったりするけど、首都高の作りは普通の高速道路とは違う。

高速道路と言うより「信号が無い東京専用道路」って感じ。

だから「高速道路だ!」と気合いを入れて焦ってスピードを出す必要はそもそもない。

安全第一。

疲れや不安を感じたら降りればいい。

またすぐに乗れる。

嫌になったら下道で行けばいい。

出口がいっぱいあるんだからいつでもリタイヤとリベンジ可能。

だから焦らず行こう。

私はトイレが我慢出来ず、あえなくリタイヤした事がある。

普通の高速道路であれば次のサービスエリアまで我慢しなきゃダメなのかもしれないけど、首都高は出口がいっぱい。

それにすぐ混む。

進まないのだから私の選択肢は「漏らす」か「降りる」だった。

私は「漏らした恥ずかしい武勇伝」を作るより「素直に降りる」を選びました。

車は多いし道は狭いがそれは今後の運転人生の修行なり。

どんなに考えても、首都高は普通の高速道路とは違う。

車は多いし、道は狭い。

道はうねうね、左右からの合流。

正直、怖い。

普通の道路と比べても、圧倒的に怖い。

何度か首都高に乗って思った事がある。

それは「首都高以外の道路に対する安心感」です。

首都高をドキドキしながら走ったからこそ、普通の道路になった時、妙に安心する。

そして、不思議と「あれ?全然怖くない」と思うようになる。

首都高に乗るまではいつもの道路や、いつもの高速道路へ対する恐怖心が常にあったが、一度首都高に乗ってみると、いつもの道路がいかに走りやすいかを実感する。

決していつもの道路を舐めている訳ではない。

ただ、「首都高のドキドキ感と比べると」余裕が生まれるのです。

初めての首都高という極限の緊張感から解き放たれただけなのかもしれないけど、どの道もスイスイ運転出来るようになる。

一般道よりもスピードを出しながらも、一般道より車が多く、狭い道を走る難しさと緊張感を味わいながら事故無く通過出来たなら、恐らく運転が上手くなっている。

気がする。

特に、初めての首都高の経験はもはや修行。

私はいつも首都高を使う訳ではないので乗る度に緊張モード全開になるが、首都高を無事に通過する度に「あれ?ちょっと自信が出たかも」と思うのです。

思い込みかもしれないけど、実際にいつも通ってる道に戻って来た時に感じるのです。

「運転って楽しい」って。

初めての首都高は怖い。

圧倒的に怖い。

ただ、そんな首都高を一度でも経験したなら、きっと運転は上手くなる。

そして運転が楽しいと思えるようになる。

初めての首都高とは、私にとって、いつも、修行だ。

もっと運転が上手く、楽しくなりたいなら、迷わず首都高に挑戦するだろう。

もちろん、超安全運転で。

やっぱり経験に勝るものはない。

絶対に気を抜くな。

過信や油断は事故の原因になる。

もし、今後、首都高を経験して、運転が上手くなって、自信が湧いて来ても、過信したら事故る。

過信は油断。

私は自分の車幅感覚に自信があった。

それがいつしか過信に変わり、どこに行くにも「大丈夫大丈夫」と思うようになった。

そして、事故る。

幸い怪我はなかった。

その時は駐車場で軽くぶつけた程度で済んだけど、間違いなく「車幅感覚への自信」が招いた過信と油断が原因だった。

この事故がもし駐車場じゃなくて首都高だったらと思うと、軽くぶつけただけで済むわけがない。

自分は気を付けていても、誰かの過信と油断による「もらい事故」の可能性もある。

誰でも言うような事だけど、教習所で必ず言われる事だけど、絶対に気を抜いてはいけない。

車やバイクや自転車、「運転」は気を抜いちゃダメ。

気を抜いて良い瞬間なんて1秒もない。

運転が上手くても、自信があっても、気を抜いて良い瞬間があってはいけない。

もし今後起こしてしまった事故の原因が過信や油断なら、超ダサい。

学生の頃イキってる奴が後輩にマジでダメ出しされる瞬間を目撃した時くらいダサい。

ダサいと言うか、しょぼい。

そんな奴を今後尊敬するような事はない。

運転以外にも気を抜くと思わぬ事故を招く瞬間が沢山ある。

気を抜くな。

自分の人生なんだから、気を抜かず、責任を持っていこう。

無事故無違反ってのは誇れる結果だけど、気を抜いて一度でも失敗すりゃ終わり。

後悔は絶対に先には出来ないのだ。

うむ。

「怖い」という感覚があってこそ。

どんなに考えても、これから先、車は無くならない。

今後、空を飛ぶ可能性はあるかもしれないけど、その前にまず電気自動車の普及。

世界中に道路が張り巡らされてるんだからこれからも車社会が続くに決まってる。

だから車に乗る人も乗らない人も道路がある生活は避けられない。

それがわかっているから道路や乗り物がどんどん進化している。

私が免許を取ってから20年くらい経つけど、未だに運転が怖いです。

首都高も怖い。

事故が怖い。

世界はこんなに車社会なのに、いつも怖いです。

この「怖い」って感覚が気を抜かない運転に変わるのなら、あって良いと思っている。

多くの運転手から「怖い」を取ったらどうなるだろう。

たぶん、事故が増える。

運転が好きな人だって少なからず「怖い」って感覚は持っているはずなんです。

だから道を譲りあったり、歩行者に気を付けたり、交通ルールを守る。

車社会の安全は「怖い」という感覚があってこそ成り立っている。

首都高速への初めての挑戦。

「怖い」って感覚はあって当然。

逆にそれが無い方がヤバイ。

私はそう思っている。

怖いからこそ気を付けたり「運転が上手くなりたい」と思うんじゃないだろうか。

怖くていいのです。

「怖い」って感情を持ったまま、私達は車の運転をするべきなんです。

首都高?

ずっと怖くていいんです。

怖くなければ安全を意識しないんだから。

どうか感想をください。

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