「頑張れない」を「頑張る」に変える想像力

メンタル

何かの選択に迷ったり、どうしても言い出せなかったりすることがある。

そのほとんどが咄嗟に選択しなければいけない時。

そういった時は「本当は迷いたい」のに直ぐに答えを出さなければならない状況になる。

だから「本当は選びたくなかった方」を無理やり選んだりする。

後で後悔する。

 

どうしてあの時違う選択が出来なかったのか。

 

後悔しながらも「自分が選んだ」責任を感じ、それをやる。

嫌々やる。

 

自分が本当に選びたかったことを選べない時、ちゃんと答えを出す前に選んでしまった時。

 

いつも気持ちがバラバラになる。

 

「なんで自分がこんなことをしなくてはいけないのか。」

 

「やらされている」ような感覚になる。

 

「やらされている」という意識で取り組む全てから得られる経験値は、

「やりたい」と自分で決めて取り組むよりも遥かに少ない。

 

例え達成したとしても、

その経験値には差がある。

 

と、思っている。

 

子供の頃は「みんながやっているから」という理由だけで、

どこかで納得しながら服従していた。

 

その時に色々な事をそれなりに学んだ。

 

人間関係。

勉強。

集団生活。

恋。

プライド。

 

色んな事を学んだけど、

大人になって思う。

 

やっぱり「自分で選んで決めた事」が一番頑張れる。

 

「やらされている」という感覚があるからどうしても100%の力を出し切れない。

 

この感覚が、

自分で選んで「やりたい」と思ったことなら100%の力を出し切れるような気がする。

 

大人になって、こんなわがままを言うのはあまり良くないかもしれない。

それでも我慢して毎日頑張っている人もいると思う。

 

ただ、私はそういうタイプの人間ではない。

 

「やらされている」という感覚を持っているとやる気は半減。

そんな状況でも100%の力を発揮出来る人を見ると本当に尊敬する。

 

「誰かに無理やり与えられたものでどうしてそんなに頑張れる?」

 

未だにその謎が解けない私は子供なのでしょうか。

 

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何をしても頑張れない理由。

先が見えない。

今日一日を頑張る理由は人それぞれだとしても、

「今日」の先に何があるのか想像して頑張れる人がいる。

それがたとえ「やらされている」とわかっていても、

「未来の為」と信じて100%の力を出し切る。

 

自分の未来を上手に想像出来ている人がいる。

 

未来の自分から逆算して、「今日一日」を頑張る理由を見出せる。

やらされていると感じていてもその先に「やりたい」を選択出来る自分の姿が想像出来ている。

だから今、「やらされている」と思っていない。

そもそも自分の「やりたい」に精通しているから。

 

後輩がそんなことを言っていた。

 

私はまるで説教をされているような気持ちになった。

正直単なる精神論であるにも関わらず、どこか、

「自分にはそういうのはないな。」

と肩を落とした。

 

そういうのが「やりがい」に繋がっているのかもしれない。

 

「今」やっている事、「今」それなりに頑張っている事が「未来」の自分にどう繋がっていくのか。

逆算しろと言われても、そもそも未来の自分がほとんど想像出来ない。

 

「どんな自分になりたい?」

 

って聞かれれば、

 

「わからない。」

 

って答えるか、

 

「なるようになるのでは。」

 

と、消極的に答えてしまう。

 

そしてそれを、

「それじゃダメっす!」

と後輩に叱られる。

 

叱られても叱られても、

やっぱり想像出来ない私は、一体どうすればいいのだろうか。

 

その内想像出来るようになるのだろうか。

 

優し過ぎる。

もう一人。

その場で叱られているような気持ちになった同僚がいる。

いつも何かをお願いされると断れない人。

断れないから自分の仕事ばかりが増えていく。

自分の「やりたい」を後回しにしてしまう。

本人曰く、

 

断れないわけじゃなくて、期待に応えたいと思っているらしい。

 

でも、自分の「やりたい事」はしっかり後回しにしているという自覚はある。

たぶん、

 

優し過ぎるのだと思う。

 

こうして隣で一緒に後輩にダメ出しされている姿を見ているとそれが「欠点」だったんだと気付かされる。

そして自分もこの人に数々のめんどくさい事をお願いしていたことを思い出す。

なんだか申し訳ない事をしていた。

 

でも自分の欠点は今もわからない。

「先が見えない」問題は何も解決しない。

他人の「欠点」には気が付くのに自分の欠点には気が付かないのだから困る。

 

それもそのはず。

 

自分をうまく客観視出来ていない。

他人から見た自分の姿を上手に想像出来ない。

偏った想像になっているのかもしれない。

 

だからこの人は優し過ぎるし、

それを自分の中で「良し」としてしまっているんじゃないだろうか。

 

自分が「良し」としていることを他人は「良し」としないくせに、

その逆のパターンもある。

実にめんどくさい状況。

 

結局他人の事を気にし過ぎているっていうことなのかもしれない。

 

もしかしたら他人から見た自分を「意識し過ぎている」のかもしれない。

 

意識し過ぎるがあまり、過剰に他人の評価を気にしてしまっている。

 

だから優し過ぎる選択をしているのではなかろうか。

 

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何をしても頑張れる理由。

自分の未来が一番大切。

私が抱える問題。

先が見えない。

だから頑張れない。

 

これもきっと他人の評価を気にし過ぎているからかもしれない。

 

先が見えないのは「他人」に多くの選択を委ねてしまっているから。

その全てが悪いってわけじゃなくて、

調和を大事にするし、人と人の繋がりを大切にしている。

 

でも全ての選択を「自分の為にじゃなくて誰かの評価の為に」してしまっているのなら問題。

 

いつも他人から見た自分を考え過ぎて、「自分らしい選択」がわからなくなってしまっている。

そんな状態で自分の未来を「はっきり」想像出来るわけがない。

 

これまでそういう選択をしてこなかったのだから、

いつも他人に合わせて自分の選択をしてきたのだから、

「ぼんやり」しか未来を想像出来ない。

そんな気がした。

 

自分らしい「強い意志」を持った選択をしていかなくてはいけない。

 

それをすることで「自分の未来」が想像出来るようになるかもしれない。

はっきり未来が想像出来るなら、「今」目の前にある選択肢も速攻で選べるのではないだろうか。

 

だって、「行きつきたい場所」が決まっているんだから。

 

遠回りしてしまいそうな選択をしなくなるのだと思う。

 

「私はこれ!」

と自信を持って選びたい。

 

迷わない。

はっきりと自分の未来が見えているとしても、全ての選択がうまくいくわけじゃない。

全てが思い通りに、希望している方向へ進むわけではない。

 

むしろうまくいかない事の方が多い。

 

うまくいかない事があると、

「本当にこれでいいのか?」

という迷いが生じる。

 

普通は迷う。

 

うまくいかないのだ。

自分が思い描く未来が間違っているような気がしてくる。

もし私が、はっきりと自分の未来を想像出来たとして、

その後、うまくいかないことが連続して起こりようものなら。

 

またぼんやりしてしまう。

 

先が見えなくなってしまう。

 

とても、迷う。

 

と思う。

 

実際にまだはっきりと未来が想像出来るわけじゃないから、

全てを想定しきれない。

 

それでも迷う自信がある。

 

たぶん、

自分の目標に辿り着く人は、

「迷わない」んじゃないかと思う。

 

「うまくいかないこと」を「うまくやる」為に考えたり、悩んだりはするかもしれない。

 

でも自分が思い描いた未来に疑いは持たないんじゃないかと思う。

 

「想像した未来」は絶対に達成するとして、「うまくいかない」をどう乗り切るか。

 

そんな考え方なんじゃないかと思う。

 

そうやって目標や夢に到達する人がいる。

未来を支える「幹」みたいな部分を変えることは決してない。

 

うまくいかない事を悩んだり考えたりしながら解決していくが、自分の未来がぼんやりすることはない。

 

全部通過点。

 

そのくらい迷わない。

 

簡単に未来の自分を想像するとして、

それが「お金持ち」だとする。

 

その目標を目指す中で、

もしうまくいかないことが続いたとしても、

「お金を稼ぐことは絶対に止めない」

っていうことなんだと思う。

 

一歩でも目標へ向け「今日」を進む。

 

自分の未来の目標は揺るがない。

 

そういう意味の「迷わない」。

 

自分の未来の為の選択は迷わない。

 

私はそういう人になりたい。