成功者の証明とは何か。
私の中で成功者っていうのはお金を多く手にしている人。
お金に余裕がある人だと思っている。
だから自然に自分が成功者になる為には、
「お金を多く稼げるようになる」
が答えになっている。
ただ、世の中にあるお金の絶対量っていうのはあまり変わらない。
それを変えてしまうとお金の価値が変わってしまう。
だから世の中にあるお金の最大量っていうのは大体決まっている。
ってなると、
成功者がお金を多く稼げば稼ぐ程、
誰かのお金が無くなっている。
奪っているとまでは言わないが、間接的に誰かのお金を得ている。
私達は食べる為にお金を食料を交換する。
お金を出して食べ物を買う。
じゃあ。
お金はどうやったら手に入るのだろう。
子供の頃に先生に教えてもらった勉強。
その中に買い物を例とした問題はいくつもあったけど、
お金を手にする方法は全くなかった。
お金の稼ぎ方は教えてもらえなかった。
先生は「教師」っていう仕事をしてお金を稼いでいる。
だから「教師」になってお金を稼ぐ方法しかわからなかったりするのだろうか。
世の中には何通りもお金を稼ぐ手段があって、
さすがの「先生」にもどれが確実かなんていうのはわからない。
だから資格があったり、時給っていう考え方があったりするのだと思う。
学校で出される問題に「答え」はあっても、お金を稼ぐ方法の「問題」すらない。
私は時給っていう一番分かり易い方法しか知らない。
それは自分の時間を企業に差し出す代わりに、お金をもらう方法。
すごくシンプルだけど、時間を差し出せばお金はもらえる。
だとするとお金も何かを差し出すことで手に入るんじゃないかと思ってしまう。
多くの食品と同じように、
多くの売られている物と同じように、
差し出す物の「価値」が高ければ高い程、多くのお金を得られる。
成功者は多くのお金を受け取れるだけの「価値」を持っているのかもしれない。
成功者と価値。
時間以外の価値。
時間は誰にとっても平等。
平等だからこそ、「時給」として自分の時間を差し出す代わりにお金を得られる。
業種や資格の有無によってその人が持つ時間の価値が変わったりする。
資格がある方が、その人が持つ時間の価値が上がったりする。
単純に時給が高くなる。
そう考えると、時間以上の価値を持っている方がより多くのお金を稼げたりする。
時間の価値と自分が持っている「何か」の価値によってお金を多く得られる。
となると、時間は平等なのだから、それを使って自分の価値を高めていかなくてはいけない。
「どんな事が出来るのか」「どんな価値を持っているのか」「これまでどんな結果をもたらしたのか」で自分が持つ時間の価値が変動する。
そしてそれが「その人」にしか無いものであればさらに価値が上がる。
ただ、「その人」にしか出来ないことだけではなく、誰かが求めている物でなくてはいけない。
多くの人が求めてればいる程価値は高くなる。
必要とされればされる程価値は高くなる。
私は残りの人生で、どれだけ、平等に与えられた時間を使って、誰かに必要とされる自分の価値を高めることが出来るだろうか。
自分に時間を使う。
平等に与えられた自分の時間を使えば、お金に交換することが出来る。
目いっぱい時間を捧げればそれだけでもお金を手にすることは出来る。
ただ、時間を捧げている分、価値を高める時間は無くなる。
自分の時間をお金と交換しながら価値も高めていかなくてはいけない。
それが俗に言う、「頑張った人」なのではないだろうか。
テレビで貧乏だった芸人が賞を取り、サクセスストーリーを完成させていた。
どれだけの時間を自分の芸を磨く為に費やしたのだろうか。
資格も同じ。
自分の時間を費やして、資格を取る為の勉強をする。
資格を手にすれば今後の自分の時間の価値は高くなる。
時間は平等だけど、自分の価値を高める為には、
それをお金を稼ぐ以外に使わなければならない。
その間は時間をお金に交換する量が少なくなる。
多くの成功者がその時間を「下積み」という。
ほとんどの成功者が「下積み」を経験しているのではないだろうか。
多くの人が求めている価値を手に入れる為に平等な時間を自分に費やす。
芸を磨くのか、
資格を取るのか、
ひらめきを持って挑むのか、
新しい何かに挑戦するのか。
価値は時間を費やさないと高くならない。
私は今どれだけの時間を自分の価値を高める為に使えているだろうか。
お金を出す価値。
人気者には価値がある。
人が集まるところには価値がある。
テレビを観ている人が世界にどれだけいるだろうか。
人気者の影響力はどのくらいあるのだろうか。
世の中は消費で成り立っている。
だから結局消費させないといけない。
洋服、食べ物、家具、おもちゃ、
なんでもそう。
物を作って消費させる。
お金が無ければ新しい物は作れない。
消費もされない。
だから何かを作ればどうにかこうにか売らなければならない。
本当良い物は勝手に広まっていくのかもしれないが、そのきっかけは必要。
百貨店やスーパー、インターネット上に並んでいなければ誰も買うことが出来ない。
並んでいても売れるかどうかはわからない。
だから宣伝する。
テレビのCMや人気者に使ってもらう。
いわゆる広告。
この広告業界はいつも大きなお金が動いている。
それだけの価値があるから。
時間以上の価値を持っていると判断されている。
実際にその通りだと思う。
例えばどんなに良い商品でも私が使って、知り合いに「これいいよ!」と言って回ってもたかが知れている。
作った量に見合わない売れ行き。
作った側は大赤字になる。
それならテレビのCMや人気者に使ってもらった方が圧倒的に効果がある。
そして人気になるスピード感も桁外れ。
人が集まるイベント会場も同じ。
多くの人の目につく。
宣伝になる。
大きな街の看板も同じ。
人が集まる場所の看板はいつもデカデカと何かを宣伝している。
その価値を手にしている人こそ成功者なんだと思う。
今の私はその看板がある土地を持っているわけじゃない。
人気者なわけでもない。
新しい商品を作り出す資金もない。
八方塞がりのように見える。
でも時間は平等。
その時間を使って、価値を高めていかなくてはいけない。
土地を買う為のお金を得るのか。
人気者になる為にどんなスキルを得るのか。
誰かがお金を出してでも欲しがる価値が必要なんだと思っている。
今、何も持たない私は、平等に与えられた時間の中でその価値を得ていくしかない。
価値を高める努力を続けなければならない。
最優先すべきは価値。
自分の価値を高めなければ時間をお金と交換し続けなければならない。
でも平等な時間を自分の価値を高める為に費やせば生活の質が落ちるかもしれない。
生活を維持しながら自分の価値を高めていくのは難しい。
単純に時間と引き換えにお金を得ていく方が楽なのかもしれない。
それぞれの感じ方次第な部分はある。
私はどちらかと言うと自分の価値を高める為に時間を使いたい。
だから生活が窮地に追いやられることがある。
普段はイライラしないタイミングでもイライラしたりする。
なかなか価値が高まらない事に苛立ちを感じている。
それでも価値を高めたい。
誰かに偉そうな口を叩きたいわけでもない。
多くのお金を見せびらかして優越感に浸りたいわけでもない。
自分が自分らしくいる為にそうしたい。
ただそれだけ。
私の中で自分が自分らしくいられるのは好きな事を好きなだけ考えて、実行して構わない時間。
そこに価値があるとは思えない。
その時間でお金を稼ぐことが出来るとは思えない。
だからこそ頑張って、努力して、誰かに必要とされるだけ自分の価値を高めないといけない。
どれだけの時間を自分の価値を高める為に費やせたか。
好きな事ばかりやってられない。
でもそうしたいから自分の価値を高める必要がある。
どうか感想をください。