さぁ、これから紹介する全てを合わせれば、まるで使い慣れた自分の携帯のように料理が出来るようになるぞ。
何を作る?
何味にする?
食材は?
料理が苦手な人って逆算して考えるでしょ。
いらんいらん。
そんな考えはいらんのだ。
英語圏に住む住人が英語を話す時に「料理って英語にするとなんだっけ?」って考えるか?
考えないだろ。
日本語圏だから考える。
英語に慣れてないから考えてしまう。
英語がペラペラの奴は考えない。
毎日の歯ブラシと一緒。
歯ブラシを持って、磨くだけ。
生まれて初めて歯ブラシを見て、歯を磨く道具だと知って、歯磨き粉ってのをつけて、歯の間を意識して磨くならまだわかる。
それでもやってればすぐに慣れる。
新しくした歯ブラシでも数回で慣れる。
料理だって慣れる。
やってりゃ慣れるんよ。
別にピアニストになれって言ってるわけじゃない。
そんなに難しくない。
今回は料理に慣れる為と、苦手意識を無くす為に5つ改善法を紹介したい。
すこぶる偉そうに説明するけど、歯の磨き方を誰かに説明する時にめちゃくちゃ丁寧に教えるか?
そんなの歯医者さんに行った時くらいなもんだろ。
だから私はまるで友達に歯磨きを教えるくらいのテンションでその5つの改善法を伝えるつもりだ。
そのくらい楽勝だって事ね。
苦手意識などいらん。
やるだけだから。
おし、いこう。
料理にビビらない。
料理が苦手な人は基本的にビビっている。
包丁が怖い。
生の食材が怖い。
火が怖い。
レシピがなきゃ怖い。
怖い怖い怖い。
最初に言っておこう。
私は、持って生まれた才能として、料理が苦手って人はいないと思っている。
だって、人類は必ず飯を食うからね。
生きる為の必須条件なんよ。
あなたは「料理が苦手だから克服したい」と思ってるんだろうけど、食べる事に苦手とは思わないはず。
嫌いな食べ物はあるんだろうけど、腹が減ってどうしようもなければ食べるでしょ?
私達はよっぽどな理由がない限り食材を口にする。
で、味を感じる。
人によって好みはあるけど、飯を食って、味を感じて、「旨い」や「不味い」を知ってるなら、料理は誰でも出来る。
だって、これまで食べたものを再現するだけなんだから。
「もうちょっと味が濃い方が良いな」って思った時、あなたならどうする?
塩を足す?
醤油を足す?
コショウか?
お酢か!
いや、マヨとケチャップか!
ソーーース!
って感じで味を調整しようとする。
それは、すでに「料理」です。
元々ある食べ物に自分のお好みで調味料を足したりするのはすでに料理なんよ。
で、ラーメン屋なんかの卓上にある豆板醤を生まれて初めて入れたとしよう。
「か、カライ…」
失敗した。
だから次は使わない。
辛いのが好みなら、使う。
経験として積み重なった調味料の使い方。
その先に料理があるだけ。
必要以上に料理を苦手と感じる事はない。
ビビり過ぎだ。
我々は外食でも日々調理しているではないか。
経験を重ねていく事で、まるで自分の携帯を操作するように料理は出来る。
まず、苦手意識をぶん投げて、失敗する事を前提に始めよう。
帝国ホテルの料理長でさえ数々の失敗の上に立ってると思うぞ。
自分で作った料理がクソ不味かった過去を持ってるはずだ。
失敗しなきゃ上手くなるはずがない。
包丁捌きはキーボードだと思え。
包丁を初めて使う人の手つきって、見てるこっち側はめっちゃ怖い。
手を切ってしまうんじゃないかとヒヤヒヤするんよ。
自分は出来るからね。
でも、最初はみんな一緒だ。
包丁は切れるから危ないと思うけど、初心者でも上級者でも切れ味は変わらん。
同じものを使ってるんよ。
さっきも言ったけど、経験の差ね。
パソコンのキーボードで「あ」って入れる時、探す?
それとも感覚的に見なくてもわかる?
携帯でも一緒。
文字を入れる時に感覚的にわかるのは、これまでたくさんの文字を入れた経験があるから。
ブラインドタッチってのがあって、キーボードを見ずに文字を超高速で打っていく人っているじゃん。
包丁は見ないと危ないけどね。
あれってたくさんの経験の上に成り立ってる技術なわけよ。
って事は、包丁も同じ。
経験。
でも切れるものだから初心者の動きはどこかおっかない。
それはね、基礎が無いから。
ブラインドタッチだって指の置き方にスタンダードポジションがある。
全てのボタンに指が届くようなポジションね。
まずはそれを徹底的に癖付ける。
包丁も一緒。
怪我をしない切り方のポジションを徹底的に体で覚える。
そうすると、包丁を持って食材を切る時に自然にそのポジションになる。
後は様々なものを切って更に経験を積んでいくだけ。
食材によって切り方は違うし、料理によっても違うけど、安全な切り方を体が覚えていれば、怪我をしないような手の形になるもんだ。
決して安全ではないから油断は禁物だけどね。
硬いものは本気で気をつけよう。
「切る」に意識が集中すると、「安全に」が抜け落ちる。
優先するのはいつも安全。
で、後はスタンダードポジションを体で覚える。
料理人が「トントントントン!」って素早く切れるのは、特殊な技術や才能じゃなく、体で覚えているだけ。
調味料は使って覚えれば良い。
さっきのラーメン屋の卓上にある調味料の話なんだけど、使ってみて、経験しないと使い道がわからないでしょ?
でも使ってみたら次に「どう使うか」がわかったりする。
味も覚える。
それをいくつか合わせたものが料理の味になる。
絵の具と一緒。
赤と白で、ピンクだ。
青と赤で、紫だ。
初めてそれを経験した時に、「なんで!?」って思ってビックリした。
そこからいっぱい足したら黒になってガッカリした。
失敗。
調味料も全部混ぜれば黒になる。
不味いのです。
カオスの味。
エメラルドグリーンって何色と何色をどのくらい混ぜたら出来ると思う?
私にはその経験が無いからわからない。
きっと何度か黒を作ってしまう思うんです。
調味料も「ホイコーロー」の味となれば、経験している人からすれば「あれとこれとそれ!」とすぐに混ぜて出来上がり。
が、知らない人は「味噌と…」くらいになり、その先はチャレンジコースだ。
カオス味になる可能性も高い。
幸いネットでほぼ全世界の料理レシピがちょっとググればすぐに出てくるからその通りに作れば問題ない。
が、それじゃあ料理への苦手意識は無くならない。
味付け、これもやっぱり経験を積み重ねていくしかないのです。
混ぜ過ぎてもダメ。
足りなくてもダメ。
それは料理だけじゃない。
なんでも一緒。
バランスが大事。
そのバランスを感覚として養うには、やっぱり経験ですな。
混ぜ過ぎのゴールはいつもカオス。
火加減は最後の最後。
ある一流の料理人は言いました。
包丁も使えて、調味料も覚えて、食材も完璧なら、後は何が必要か。
それは火加減。
正直、最も難しい。
確かに経験が全てだけど、その中でも火加減は最も難しい。
調理器具だけじゃなく、食材の火の通り加減も気にしなくちゃいけない。
肉は火を通し過ぎれば硬くなる。
野菜は食感を失う。
水分が蒸発して味が変わる。
焼く、煮る、蒸す。
その全てにおいて火加減は重要。
でも、料理を極める上では1番最後で良いと思う。
プロになりたいわけじゃないので。
なんなら苦手意識だけを克服出来ればいい。
だから火加減は最後の最後。
苦手意識を克服してからでいいでしょ。
様々なレシピの中でも1番文字にしにくい存在だと思う。
「野菜がしなっとしてきたら中火に」とか、「最後は強火で煮詰めて出来上がり」とか。
火加減はレシピでも感覚的な事を言ってくる。
だからこれは料理への苦手意識が無くなって、更に「もっと料理を学びたい」と思ってからでいいと思うのです。
揚げ物を作る時の油の温度くらいは調整出来るようにしたいけどね。
経験の更に先にある火加減までマスターしようものなら、きっと小料理屋でも始められるレベルじゃないだろうか。
そうなったら、もう苦手じゃないな。
「最初はレシピに書かれている火加減まで気を使う必要はない」って言いたいのです。
料理が愉しくなる時。
前にも少し言ったけど、レシピに頼りっぱなしでは料理への苦手意識は無くならない。
むしろ、料理の本当の楽しさもわからない。
最初はレシピが必要だろうけど、それだと料理を作るのが勉強のようで、なんか面白くないのです。
参考書を開きながら答えを導き出しても、勉強の結果を感じられない。
テストへ向けて書いたり、覚えたりして、本番はその知識を活かして問題を解く。
その点数は食べた時の「美味しい!」だ。
結果が良ければ嬉しい。
カンニングペーパー無しで良い点を取ってこそ勉強の成果を感じられる。
料理はレシピ無しで作って「美味しい!」と言われる結果を得られた時こそ嬉しいし、楽しいのです。
料理に苦手意識がある内はレシピを手放せないかもしれないけど、何度も同じような料理を作っていればきっと覚えていく。
料理名で使っている調味料がわかっていく。
気が付けば何も考えず勝手に手が動いて、作りたい料理が、作りたい時に、作りたいだけ作れるようになる。
で、食べた人は「美味しい!」と評価する。
そうなると、料理は楽しい。
ブラインドタッチだって、出来るようになれば文字を打つのが楽しくなる。
ピアノだって楽譜を見ないで弾けるようになれば別世界だ。
アレンジだってお手の物だ。
失敗しながら経験を積んでいく事で料理は苦手どころか楽しくなる。
苦手だと思っているからこそどんどん挑戦していこう。
失敗は挑戦の結果である。
料理どころか何でも一緒かもしれない。
何かを極めるって、やっぱり経験あってこそ。
失敗してなんぼだ。
包丁には十分気をつけないといけないけどね。
どうか感想をください。