ヤフーのニュースやその他のニュース系の記事を見ていると、記事の下にフェイスブックやツイッターのアカウントを使って多くの人がコメントしている。
んで、私はそのニュースを見て、記事を見て、コメントまで見るのが大好きです。
特に好きなのはコメントの部分です。
様々な人の価値観や考えていることがわかるから本当に面白い。
外野的な楽しみ方をしているのでその事をブログで書くのはどうかと思うけど、とにかく好きなんです。
笑えるコメントも考えさせられるコメントもある。
ずっと見ているとコメントへのコメントみたいなのも始まる。
見ていて共感する部分があったり、変わった角度から切り込んでるコメントもある。
どれもこれもすごく面白い。
全然記事とは関係ないコメントがあったり、無理やり集客しようとしているコメントやURLを張るだけみたいなのもいる。
コメント欄から集客を試みるってことはそれなりに効果があるんだろうなと思っている。
で、たまにコメントで見て気になるワードがあるんです。
それはタイトルについて。
「タイトルと内容が合ってない」
「タイトルだけ過剰に表現されている」
「注目されたいだけのタイトル」
タイトルについてのコメントが結構ある。
たぶんタイトルは過激に表現されてるけど内容は違うのかそうじゃないってことなんじゃないだろうか。
私が実際に記事の内容を読んでもそう感じる時がある。
タイトルだけで「釣る」最初の書き出しで「釣る」みたいな。
それが嘘じゃなくても過激過ぎるとダメなのか、そもそも嘘なのか。
でも多くの人に見てほしいわけです。
書いてる方も商売でしょうし。
嘘をホントっぽく書くのはさすがに好きではありません。
今日のスッキリでニュースサイトのタイトルについて触れてたもんで私も考えるきっかけになりました。
タイトルは何かと過激な気がする。
本屋とかに行くと、超大量に本が並んでいるわけです。
もうびっしりっす。
書いている人は満を持して書くわけですから相当気合いが入っています。
でも結局店頭に並ぶと、「今月のおすすめ本!」とか「パワープッシュ!」とかにノミネートされない限りは埋もれちゃうと思うんです。
書いている本人は「売れたい!」って思っているわけです。
そうなると埋もれても目立つようにしなくちゃいけない。
表紙の見た目も大事。
派手にするのか、逆にシンプルにするのか。
手に取ってもらいやすくしなきゃいけない。
タイトル。
過激にしちゃうよねー。って思いませんか。
私は思います。
電車の広告とかもそうだし、本もそう。
とにかく目立つように過激に表現をする。
でも「嘘」はいかん。
それか「過激過ぎる」のもいかん。
そのあたりの線引きがちゃんとしてないとそりゃ叩かれるなって思うんです。
嘘のタイトルに乗せられても中身がそれに伴ってなかったらそりゃ文句も言いたくなる。
ただ、「過剰なだけ」だとしたら…。
やっぱり難しいですわ。
注目はされたいよね。って話です。
私もブログを書きます。
タイトルと全然違うことは書かないですけど、「注目されたい」って気持ちは常にあるわけです。
一応広告を載せてるんだからそりゃ注目されてアクセスが増える方が良い。
てか素直に嬉しいし興奮する。
その考えは商売をしているのとなんら変わらないわけです。
お店を出しても注目されなきゃ売り上げは伸びないわけです。
例えば私がラーメン屋だとして、「この世で一番超絶エロおいしいラーメン」みたいな過激な表現で宣伝してるってことなのかもしれない。
注目されたいがあまりね。
でも味が普通だったら…。
「なんか騙されたわー」みたいなお客さんがたくさん出てくるわけです。
結果的にお店にお客さんが来なくなる。
そりゃ潰れますわ。
ところが、「この世の中とまではいかないかもしれないけど、今まで食べたラーメンの中で一番美味しいって思わせてくれる」お店であれば客足は途絶えない。
だって美味しいから。
「注目されたいなら中身もしっかりしてないとダメだぜ!」って話なんじゃないだろうか。
学生の頃、無駄に金髪にしたことがある。
大して成績も生活態度も良くなかった。
だから叩かれた。
そんな感じなのかもしれない。
あの時私が成績優秀で尚且つ生活態度も良かったら金髪でも…。
叩かれていたでしょうね。
見てる側も書いてる側も楽しいのが一番だと思うのです。
たぶん見てる側と書いてる側の求めていることの差が「過激」になっていく原因だと私は思っています。
「アクセスを集めたい」と「知りたい情報がある」ってのは欲求が違うんです。
だからアクセスを集める為に「知りたい欲求を過剰に刺激する」し、知りたい欲求を満たす為に「過剰なタイトルに惹かれる」んじゃないかと。
それが決して悪いことじゃないけど、問題は中身。
内容は何処にでも書いてあるような事なのにタイトルだけを「過剰」にしちゃうからバランスが取れなくなっちゃうんです。
「なんだこれー!」ってなもんです。
テレビで紹介されるダイエットだって結構ギリギリのような気がするし、電車に張り出される週刊誌の広告だってギリギリのような気がする。
結局ギリギリをどれだけ攻めるかの問題なのかもしれないけど、それを「アウト!」って言ってあげられる人がたくさんいて、正直安心です。
コメントを見る限りでは。
誰かが言ってくれるって期待しているわけじゃないし、自分から正しい発信をしていかなくちゃいけないけど、誰かが気が付いて指摘してくれるってすごく安心感があるんです。
だからインターネットニュースの下にあるコメントが大好きなんです。
まるで代弁者のようなコメントをしてくれるコメンテーターみたいな感じです。
「やっぱり?」とか「そうかなぁ?」とか、見ている私が気が付いたらそのコメントに引き込まれていたりする。
そういうのがあるからこそ自分の価値観の擦り合わせが出来たりする。
コメントの全てが「社会」だと思ってます。一応。
「過剰」なのか「過剰過ぎる」のかの差をコメントで見て自分で納得しているような状態。
一番良いのは、見ている側も書いている側も本気で「楽しい!」って思えるもので溢れること。
インターネットがすごく自由だからつい「過剰過ぎる」に突入しちゃう瞬間があるけど、それを見定めながらお互いが楽しく気持ち良いもので溢れることを祈っております。
祈るだけ。
私もブログをこうして書いている身だから、いずれ、もしかしたら、「過剰過ぎるタイトル」を付けるかもしれない。
てか、もう付けたことがあるかもしれない。
学生の頃の記憶が蘇ります。
だってあの時、「金髪って超かっこいいじゃん!」って変な自信を持っていたから。
見ている先生方は全然楽しくなかったんでしょう。
だから叩かれた。
それを叩かれているのを見た周囲の人はきっと「金髪は叩かれるんだな」って思ったはず。
でもね、叩かれてわかることってたくさんあるんです。
何事も経験なんです。
反省の日々なんです。
注目されたくて、つい、過激になる時だってあるんです。
そこで学んで、次に活かす。
そうやってみんなで育てていくんじゃないでしょうか。
インターネットもブログの記事も。
叩かれたくないけどね。
叩かれたくないけどチャレンジしない人にはなりたくないです。
どうか感想をください。