海外旅行のチケットは「まだ」いらない

小言

つくづく私の行動範囲は「狭いんだな」と実感した。

まず言葉。

世界にはいくつもの言葉があるのに、そのほとんどが理解出来ない。

最近では翻訳機も発達しているが、それでも世界のあらゆる言葉を全て訳すことは出来ない。

そして私は言葉が通じないことに「恐怖」を感じている。

 

だから言葉が通じる範囲で行動をする。

 

面積的に言えば母国で精いっぱい。

肝心な母国ですら地域によって言葉が通じないところもある。

だからそういうところには行かない。

 

「何を言っているのかわからない」はやっぱり怖い。

 

伝えたいことも伝えられない。

どんなに狭い行動範囲だとしても、

何とか生きていくことは出来る。

 

狭い行動範囲の中だけで人生を全うすることだって出来る。

 

たまに、「どうして海外にいかないの?」と言われる。

単純に「言葉が通じないと思っているから。」と伝えると、

 

「どうして英語を勉強しないの?」

 

と言われる。

それはそもそも海外に興味を抱いている人に言うならわかる。

私はそうではない。

それなのに勝手に話を進めて、

まるで「グローバル化の波に乗っていない」と言わんばかりに「言葉の壁にビビッている場合ではない」と、真っ向から否定されたりする。

 

どんなに狭い行動範囲と言われようが、私は、今、満足している。

 

それなのに「世の中がグローバル化へ進んでいるのにあなたは遅れている」と言われるのは心外。

違う。

今の状況で、私は十分な満足感を得ている。

 

無理に私を連れ出そうとするのはやめてくれ。

 

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海外旅行に行かない理由。

「知りたい」の衝動。

私は「海外旅行へ行きたい!」と熱く願うことはない。

今後、その気持ちがどうなるかわからないが、今のところ、全くない。

 

「海外旅行に行く」と考えても、

準備をするのがめんどくさいと感じるタイプ。

 

もちろん周囲には否定される。

「行けば絶対に楽しい!」と言われる。

 

楽しいを決めるのは私自身なのに、

「価値観が変わる!」とまで言われる。

 

「行けば絶対に楽しい」とか「価値観が変わる」とか、

それは「自分が行ってみた感想」なわけで、

私の「行動範囲が限定されている重たい腰」を上げる理由にはならない。

 

そもそも自分をワクワクさせてくれるような「知りたい」を海外旅行に見出すことが出来ない。

 

世界遺産ならDVDで見る。

焼肉なら韓国じゃなくても食べられる。

冒険気分を味わうならゲームでいい。

 

それを、

その辺りの感覚が「冷めている」と表現されるといささか腹も立つ。

 

私はサッカーが好き。

でもワールドカップを「現地で観戦したい!」とは思わない。

テレビで、周りを気にせず、ゆっくりと、お酒を片手におつまみを隣に置いて、勝利や敗北の感動と衝撃を味わいたい。

 

現地には現地なりの歓喜の渦があるんだと思う。

 

テレビで観戦するより熱狂的で感動するのだと思う。

 

それは想像出来る。

想像出来るから、「知りたい」にはならない。

 

想像も出来ないようなワクワクが待っているのなら話は別。

 

確実に「1000万円」を手に出来るとか。

「好きなベンツを一台プレゼント」とか。

 

なんとなく想像出来る衝動であれば、

「行きたい!」とは思えない。

 

それは海外への熱が冷めているわけじゃないと思っている。

 

行ったら行ったで模索する。

今は「海外旅行に行きたい!」とは思っていないから、

自分が海外旅行に行っている姿を想像出来ない。

 

ただ、行ったら行ったで楽しもうとはするはず。

 

言葉が通じないのなら通じないなりに身振り手振り頑張る。

それか言葉が通じる場所をメインに散策する。

もちろん行く前に多くの情報を得ておく。

 

行くなら行くで最大限楽しもうと努力をする。

 

私はそもそもみんなでワイワイやるのが得意じゃない。

その場にいればそれなりに楽しむけど好きではない。

そういう場所に行くと、大概帰って来た時にドっと疲れが押し寄せてくる。

 

あんまり疲れるものだから「次は行きたくないな」と思ってしまう。

 

でも誘われるがまま、たまにそういう場所に行くこともある。

ただのタイミングなのかもしれない。

 

タイミングが合えば行くかもしれない。

 

「今」じゃないだけ。

私の中では「今じゃない」は自分を正常に維持する為の感情。

それを乱されると全てが楽しめなくなる。

せっかくの海外旅行で終始テンションが低い。

ノリが悪い人になりかねない。

 

せっかく楽しみにしていた旅行で他の人に迷惑をかけたくはない。

 

かと言って一人で行く程の「知りたい」は見つからない。

 

でも行ったら行ったで精いっぱい楽しもうと努力はする。

 

その結果テンションが下がったりもする。

 

たぶん私は、めんどくさい人なのかもしれない。

 

行動範囲外の主導権。

私がいつも行動する範囲を「テリトリー」とするのなら、

自分の力を存分に発揮出来る領域と言える。

その領域の外では力が全く発揮出来なくなる。

ような気がしている。

 

そしてあまりにも頼りない存在になる。

 

自分でもそれは納得がいかない。

力が発揮出来ないと誰かに主導権を握られる。

 

現地のガイド。

その他の商売人。

詳しい友達。

 

誰かに主導権を受け渡してしまえば自分は完全に雑魚と化す。

そんなのは許せない。

むしろ経験が無い。

だから怖いのかもしれない。

 

テリトリーの外に出ると主導権を握られてしまう。

それに抗う術を持っていない私。

 

怖い。

それなら力を存分に発揮出来るテリトリーを徐々に広げていった方が安心。

一度も行った経験が無いのにいきなりテリトリーを大きく離れる海外。

無理。

自分にとって主導権を握れない環境に身を置くのは危険と察知した。

 

つまり、私はビビッているのだと思う。

 

海外にではなく、

自分のテリトリーを離れ、何者かに主導権を握られてしまう恐怖。

 

憧れは人一倍ある。

私は海外の雑貨を見ると、

「オシャレだなー。」

と感じる。

 

家具にも食事にも。

オシャレさを感じる。

「何か」を感じる。

 

その「何か」に価値を感じている。

 

現地の人にとってはそれが「普通」なのだからその文化や考え方に興味もある。

恐らく人一倍興味がある。

 

そして憧れている。

 

海外が醸し出す、自分のテリトリー内にはない雰囲気に心惹かれることも多い。

 

テレビでもそういった海外の様々な価値観に触れる番組がある。

 

その番組をすごく楽しみにしている。

なんなら録画をして何回か見る時もある。

 

その憧れが、

私の前に大きな壁として立ち塞がっている。

 

見たこともない雰囲気を醸し出す雑貨や家具。

食事に文化。

 

これがあまりにも違うと逆に警戒してしまう。

 

テレビではそれを魅力たっぷりに「行ってみたいでしょ?」と紹介している。

 

それを見て、私はなんと。

 

引いてしまう。

 

興味は湧く、楽しそうだし、美味しそうだし、住んでみたいと思う国があったりする。

 

だからそれを悠々と選択する人が羨ましかったりする。

 

私は、「出来ないものは出来ない!」と言いたくなる。

 

人生を損しているわけではない。

海外旅行を真っ向から「行かない」と言うと、

「人生を損している」と言われたことがある。

 

そこまで言うか。

 

行ったことが無いから「損しているか?」もわからない。

でも実際に行った人がそう言うのだから損をしているのかもしれない。

でも損をしているような実感は全くない。

 

私には行く目的が無い。

 

温泉旅館に泊まっても「めんどくさいから」と大浴場に行かずに部屋のシャワーで済ませるタイプ。

楽しみにしているのは風呂よりも食事だったり、夜にカーテンを開けて、その場にいる雰囲気だけを味わうタイプ。

 

でも否定されたいわけじゃない。

 

そういう人もいると思ってほしい。

 

少数派なのかもしれない。

 

楽しみ方が独特なのかもしれない。

 

少しズレているのかと心配になることもある。

 

仲間外れ感を味わう時もある。

 

でも自分が充実していないことにはどれもこれも魅力的には見えなかったりする。

 

誰かがどんなに「良い!」と言おうが、

自分にとって都合が悪いこともある。

 

多くの言い訳を並べてみる。

初めてというのは勇気が必要。

言葉の壁はやっぱり大きい気がする。

価値観が違うような気がする。

揉め事に対処出来ない。

心の準備が整っていない。

 

今の自分じゃ、

海外旅行のチケットはまだ買えそうもない。