男と女は、たぶん、すれ違うように出来ているんだと思う。
そもそも他人っていうこともある。
あるけど、同性よりも遥かにすれ違う可能性を秘めているような気がする。
男同士だと分かり合える価値観があって。
女同士だと分かり合える価値観があって。
男女だとすれ違う価値観がある。
恋愛をしていく中で、それが高い壁だと感じることもある。
たとえ家族になっても、ある。
新たなすれ違いが生まれたりする。
このすれ違いを何とか出来ないものかと悩んだり話し合ったりしたこともある。
その結果。
未だに解決していない。
どんなに時間をかけても、一度は「決定」したことでも、
時間が経つとまたすれ違ったりする。
だからまた話し合う。
話し合わない時間が続くと、すれ違ったままになる。
内に秘めた想いが熟成される。
そうなると、ほんの少し揉めただけの衝撃でも爆発したりする。
お互いが爆発してしまえばその後の修復はどんどん難しくなっていく。
不思議と溝が深まっているような感覚はない。
でも、話し合わない時間が長引けば長引くほど、「確認」の作業が出来ない。
お互いが「これはどうなの?」「それともこっち?」とすれ違っている部分を上手に確認しながら進めていかなければ溝は深まる一方。
気が付かない間に溝は深まる。
だから男女の「すれ違い」を解決する方法を妻と一緒に考えてみた。
いつも、解決方法が「ひとつ」とはいかない。
すれ違う度に解決する方法が違う。
めんどくさい。
めんどくさいけど、我が家では「話し合う」という結論に至っている。
解決策よりも「確認」と「理解」が必要と感じているから。
男と女が「すれ違う」意味。
あくまで、我が家なりの話し合いの結果。
価値観は合わせない。
そもそも男女の価値観は絶対に合わないと思っている。
それでも相手を好きになる。
恋をしてしまう。
憧れを抱いてしまう。
独り占めしたいと思ってしまう。
なんでかわからない。
でも好きになってしまうものだから仕方がない。
恋はどうしようもない衝動。
その後、価値観が合わないことなんて少しも考えないで全力力で恋をする。
むしろ「価値観なんて関係ないぜ!」っていう気持ちでいる。
でもやっぱりすれ違う。
価値観の差。
考え方も違ったり。
欲しいものが違ったり。
求めているものが違ったり。
家族の中で立場が違ったり。
役割が違ったり。
どれもこれも違っていたりする。
ただ、我が家ではその違いを話し合うようにしている。
答えを出すわけではない。
ただ、
「自分はこう思う!」
って主張する。
その主張が圧倒的に間違っていると感じるならぶつかり合う。
譲り合うことはない。
でも私たちは夫婦。
だからどこかで折り合いをつけなければいけない。
これを価値観の違いと言い切れるかはわからないが、
いつもお互いの主張が一通り出揃ったところで更に煮詰めていく。
子供が生まれてからは「子育て対して」の討論ばかりになったが、
結婚当初はまさに男女の差とも言える価値観討論を繰り返していた。
結局未だにすり合わない価値観が家庭内のありとあらゆる場面で現れる。
なんなら解決したはずの違いも再び現れたりする。
「これまた話すの?」
と言っても「話したことはない!」とか言い出す。
だからもう一度話し合う。
そして、解決はしないが、前回と同じような結論に至る。
そういった時間を繰り返していると、
お互いの価値観を理解し始める。
「価値観を理解しても合わせない」という選択が出来るようになる。
これは話し合いを重ねなければ辿り着けないと考えている。
多くの話し合いを重ねて、価値観を認めるわけでもなく、合わせるわけでもなく、
理解する。
言ってしまえば理解する「だけ」。
理解すると、
「またか!」
「そういうのばっかだな!」
と文句を言っても、
なぜかお互い笑える空気感になったりする。
お互いに「良い部分」や「ダメな部分」を理解しているから。
いまだにそれなりの討論バトルを繰り広げることはあるが、
その割には一緒に笑える時間も増えてきていると思っている。
すれ違うからこそ得られるもの。
我が家では「すれ違っている」と感じれば話し合う。
話し合いをしてもすれ違う。
それでも話し合う。
話し合ったところでいつも何かが解決するわけではない。
でも話し合いをすることで得られるものがある。
お互いの価値観や考え方をそれなりに知れる。
話し合えば話し合う程、本音がすぐに出て来るようになる。
大きな収穫は「本音」にある。
すれ違う度に話し合うことで、
お互いが納得のいく部分に辿り着くまでの時間が短くなっていく。
それは、モヤモヤを残さず、疑問を解決するまでに必要なものがわかってきたからだと思っている。
それが本音。
話し合いを始めた矢先から速攻で「本音」を言えるようになった。
我が家の話し合いに「建て前」はいらない。
「結局何が言いたいのかわからない」っていう無駄な時間を省けるようになった。
短い時間で話し合い、それなりの答えを一時的に導けるようになった。
もちろん今もすれ違う。
それはもうしょうがない。
「誰かを好きになる」「恋をする」くらい当たり前だと思っている。
すれ違わない方法を考えるよりも、手短に解決へ導く方法を一緒に考える。
そうすることで夫婦間の溝は深くならない。
すれ違ったとしても早めに解決へ向かう。
すれ違い続け、話し合いを続け、
だからこそ一言目から「本音」が言えるようになった。
すれ違いを繰り返したからこそ得られたものだと感じている。
共に成長する。
誰かを好きになって、一緒にいるようになって、これからも一緒にいたいと思う。
初めは些細な恋心が、いつの間にか一緒に生活するようになっている。
家族になる。
たまにすれ違って、言い合って、譲り合って、ねじ伏せ合って、価値観を理解していく。
自分が知らなかった相手の事を知る。
話し合うことでさらに理解を深めていく。
まだまだ自分に足りないと思うことが出てくる。
まだまだ成長過程にいることに気が付く。
互いに指摘し合って、反省して、改善して、挑戦していく。
基本的には「自分の思い通り」に物事を運びたいだけなのかもしれない。
ただ、「自分の思い通り」に物事を運ぶ為に必要なことがある。
それこそ互いの成長。
思い通りに物事を運ぶにはお互いの理解と成長は必要不可欠だと思っている。
それはレストランの「新人アルバイト」と「ベテランアルバイト」の差のようなもので、
新人の頃はありとあらゆるものがどこにあるのかわからずに質問を繰り返す。
徐々に仕事内容や「どこになにがあるのか」を覚えていく。
ベテランになると、次に起こる事をある程度予測出来るようになる。
物が置いてある場所だけじゃなくて、シェフの様子、混む時間、在庫の管理。
同じアルバイトでも出来る仕事の量が多くなる。
誰かと恋に落ちて、これから一緒に暮らしていくのは、レストランで働くのとはわけが違うかもしれない。
ただ、何も知らずに現場に放り出されたとしても、多くの質問をしたり、失敗を繰り返したり、学びながら慣れていくものだと思う。
お互いに新人であれば、相談しながら、最も効率の良い方法だったり、新しいアイデアを取り込んでいく。
一緒に成長していく。
楽しくなったり、つまらなくなったり、喧嘩したり、仲直りしたり。
そもそも違う人なんだから一緒にいて平坦な道を歩けるはずがない。
長い時間をかけて平坦にしていく。
いきなり全ての価値観が同じなんてことはあり得ない。
どうせあり得ないなら互いに成長する喜びくらい分かち合えた方が良い。
あーだこーだと文句をたれながら。
小さな失敗を大きな失敗のように大げさに非難してみたり。
直接関係ないのに相手のせいにしてみたり。
本当に些細なことで喧嘩してみたり。
それが出来るから互いに成長出来るんだと思う。
我が家ではそう考えるようにしている。
家の居心地が良いからこそ「外」で起きるネガティブを我慢出来る。
本音で話し合える人がいるからこそ「外」で受けたネガティブを乗り越えられる。
共に成長出来る喜びを知っている。
今でもお互い新人アルバイト。
どれもこれも、
男女のすれ違いがあったからこそ気が付いたのだと思う。
どうか感想をください。