どんなに我慢をしていても爆発してしまう事もある。
日頃の生活の中で、小さな我慢がある。
その時はほとんど気にも留めない。
気にも留めないからそれが自分の中に蓄積されているのにも気が付かない。
我慢の限界を迎える。
些細な事が起爆剤。
正直、そんなに怒ることでもない。
でもそこで爆発したのはこれまで溜まった我慢だったりする。
だから些細な事でもめっちゃ爆発する。
ドドドドドドド。
と、これまで溜めてきた我慢が次々と誘発されていく。
「あの時も言ってたよね!?」
「そういえばこの間のさ!」
と、ついでにと言わんばかりに畳みかける。
連鎖だ。
爆発の連鎖。
なんなら今まで溜めてきた我慢も一緒に吐き出す。
そして自分はまた白くなる。
燃焼した後の白。
何も言いたいことが無くなる。
もう我慢も、それに対する怒りも収まっている。
自分の中では、
「全部言ってしまったぁ…。」
「余計な事も言ってしまったぁ…。」
と起爆剤となった事よりもはるかに上乗せして爆発したことを少し後悔している。
自分でも気が付くのです。
言い過ぎた…。
我慢し過ぎてしまっているんだと思う。
本当は小さな爆発で撤去出来た爆弾を、わざわざ貯め込んでしまう。
でも爆弾は爆弾。
どこかで爆発してしまう。
それが些細な事が切っ掛けだったとしても同時に爆発させてしまうのです。
言い過ぎて後悔。
怒り過ぎて後悔。
そんなに怒るようなことではなかった。
わかってはいたけど貯め込んだ我慢という爆弾も同時に爆発した。
大事故。
無理に我慢をしているといずれ大爆発を起こす。
我慢はどうやら自分でも気が付かない内に溜まっていくものらしい。
それを表に出さなくても、いずれ、出てくる。
出てきた時に他にも我慢を貯めているなら一緒に大爆発を起こす。
大爆発を起こすと多くの人を巻き込んでしまうかもしれない。
家族、友人、同僚。
小さな爆発なら自分だけで留められるかもしれないし、被害者も出ない。
かもしれない。
爆発の被害を最小限にする。
我慢なんて誰かと誰かが交わるか、自分と誰かが交わるかで生まれる。
その時に生まれた我慢を出さずに溜めていくことで大きな爆弾になっていく。
たぶん自分の性格なんだと思う。
たぶん我慢してしまうタイプなんだと思う。
これまでずっとそう思ってた。
でもやっぱりいつか些細な切っ掛けで爆発してしまう。
その時に後悔する。
なんでこんなに爆発してしまって、余計なことまで言ってしまったのだろう。
だからなんとなく人を避けるようになる。
爆弾を貯めたくないから。
我慢をしないようにすればこの爆弾の溜まるペースは遅くなる。
間違いない。これだ!
と思って、休日もあまり人に会わないようにしたり、お呼ばれしてもなるべく断る理由を増やして対応。
気が付けば誘われなくなる。
今はそれで良いと思ってずっとそういう生活を続けている。
爆発する程の我慢をしなければ問題ない。
そう思っている。
今もそうしているが、最近どこか違うのかもしれないと感じ始めている。
我慢がゼロ。あり得ない。
どんなに人付き合いを避けてもゼロにすることが出来ない。
なぜなら、
生きていかなければならないから。
学校に行ったり、会社に行ったり、どこかに出かけたり。
家族がいたり。
ずっと一人というわけにはいかない。
むしろあんまり一人でいると「誰かに会いたい」を我慢してしまう。
どんなに我慢を貯めないようにしてもそれが窮屈で結局我慢になってる。
全く我慢をしない。
というのも面白くない。
面白くないというか無理。
たぶん無理。
我慢ゼロ。無理。
溜めた我慢爆弾を小型の内に爆発処理。
ある程度の我慢は必要になる。
結局我慢を貯める。
それなら我慢爆弾が小さな内に処理してしまおうじゃないか。
爆発させないで我慢を消す方法を考えてみた。
考えてみたけどどうしても見つからない。
我慢しない方法もあるとは思う。
あるとは思うけど今は思い浮かばない。
だから我慢はするものとして、貯まった我慢は消せないとして。
それなら爆発させて処理する。
それしかねー。
今後はもっと大人になって、人格が神化したらそれ以外の特殊能力も使えるかもしれない。
我慢を力に変える方法とか。
今の自分はそんなこと出来ない。
出来るわけがない。
我慢を貯め込んでしまう。
爆発させるしかねー。
爆弾が小さい内にやってしまう方が被害が少ない。
無駄な事言って後悔することもない。
一度「小さくちゅどーん」ってやっとく。
それが今の自分に出来る一番マシな方法と考えた。
自分、今、我慢したな。
そう思った時。
可能な限りすぐに爆発させる。
爆弾が小さな内に。
めんどくさい事を頼まれて、それを我慢してやったとしたら。
「次はやりたくねー!」
引き受けてしまったものはやる。
でもその時に貯まった我慢。
それを小さな内に爆発させたい。
「出来ればやりたくない仕事ですわー。」
とかで済む。
これを「はい!喜んで!」とか言ってやる。
もっと我慢が溜まるきっかけが出来る。
何なら好んで指名されるかもしれない。
誰もやりたくない事を喜んでやってくれる都合の良い奴。
そうなれば我慢の瞬間は増え続け、いつか大爆発することでしょう。
だから我慢して溜めた爆弾は小さな内に処理していく。
世の中には適材適所という都合の良い言葉がある。
これを我慢すれば「きっと良い事がある!」そう思って我慢して頑張るのは悪いことじゃない。
我慢して続ければ出世するかも。
我慢して続けていれば評価が高くなるかも。
あり得る。
可能性はゼロではない。
だが自分には無理。
世の中には適材適所というのがある。
自分よりも我慢せずに「それ」を実行してくれる人がいる。
「自分しかいない。」
っていう考え方はやめた。
「自分ならやれる!」
っていうやせ我慢はやめた。
もっと向いている奴がいるんだからそいつにお願いすりゃいいだろ。
自分には向いていない。
これも小さなな爆発を起こして爆弾を処理した結果。
自分が力を発揮出来る部分で最高の結果を出し続ける。
これは我慢じゃない。
自分には普通に出来ること。
そういった場所が見つからないからって我慢を続けるのも違う。
いや。
自分には出来ないのです。
だから出来る人がやればいいじゃん。
って話。
我慢して、我慢して大爆発させて、家族は友人に迷惑をかけてしまうより小さめに爆発させて投げちまった方が自分的には都合が良い。
俺は我慢する為に生まれてきたわけじゃない。
幸せになる為に生まれてきたと思っている。
「我慢する事」を知って「我慢しない」を選んだから「我慢出来ない」ではない。
これが重要だと思うのです。
初めから我慢もしたことが無いのに我慢しない奴。
これはただの「我慢出来ない」奴だから。
そうじゃない。
「我慢する事」を知っているけど「我慢しない」を選んだだけ。
我慢は出来るけどそれを「する」「しない」は選ばせてほしいのです。
甘い考えかもしれない。
「なんでも我慢してやれ!」って言われるかもしれない。
でも言いたい。
「我慢したから!」
それでも理不尽な結果に納得出来なかったり、それを言わないことでさらに我慢してややこしい気持ちになったりするし。
終いには大切な人も傷つけてしまいそうになるのです。
傷つけてから後悔して、一通り、それを経験して。
やっと一時的な我慢なら小さな爆発で済ませられるようになってきた。
だから甘くない。
甘いと思うなら思っとけばいい。
自分には合わないのです。
甘じょっぱいくらいでないとダメなんです。
味の好みってあるでしょ。
それと一緒だ。
とにかく。
俺は我慢する為に生まれてきたんじゃなくて幸せになる為に生まれてきたのだ。
それだけはわかっている。
どうか感想をください。