へいへいへい!Googleで教えてくれることを覚えてもなんの価値もないぜ!
これからの時代に求められているのはGoogleに聞いて出てくる答えを覚えることではない。
これから必要なのは情報が溢れている世界でより正確な情報をピックアップするセンスと個人が持っている「スキル」そのもの。
歴史上の人物も、方程式もGoogle先生に聞けばすぐに教えてくれる時代。
それでもまだGoogle先生に聞けば出てくる答えを暗記しているのかい?
超ナンセンスだ。
インターネットが繋がらなくなる可能性の方が低くなっている。
山の中?島?インターネットが繋がるようになった。
あと数年で地球上どこにいてもGoogle先生に質問出来るかもしれない。
それほどまでにインターネットは便利で、利用者数は圧倒的。
携帯の充電が無くなっても何処でも充電出来るバッテリーもある。
それでもまだ暗記をするのか。
暗記をさせて個人の能力を図るのか。
その暗記は社会に出て使えるのか。
その暗記だけで世界が本当に必要としている人材を育めるのか。
これから必要なのは多くの情報からより正確なものを早く、的確に見つけるセンスと個人が持つ「スキル」そのものだと考える。
多くの情報から正確なものをより早く、的確に見つけるセンスとは。
ただGoogle先生に質問するだけなら誰でも出来るだろう。
今求められているのは検索窓に言葉を入れるという行動だけではなく、表示された結果とどのように向き合うか。
Googleの検索窓の使い方。
例えば検索の方法。
調べたい単語の語彙力が無いとうまく知りたい情報に辿り着けない可能性がある。
例えば「料理のレシピ」を調べたいとする。
その時に「料理名」がわからないと調べようがないのだ。
そんな時にどうするか。
Googleを使ってどのように検索をしていき、問題の「料理名」に辿り着くか。
そのスピード感が早ければ早いほど良い。
答えまでどれだけ早く辿り着けるかどうかが重要なのだ。
「チンジャオロース」という料理名がわからない時にそのレシピに辿り着く為にはどう検索を活用するのか。
「ピーマン 中華 細切り」と検索することでその料理が「チンジャオロース」であることを知ることが出来る。
検索窓の使い方で料理名がわからなくてもレシピに辿り着けるかどうか。
その言葉が複雑なものやほとんどの人が知らない名前であれば尚更求められる力だと考えられる。
その情報が本当であるかどうか。
例え情報に辿り着いたとしてもその情報が「本当であるかどうか」を確かめる術はない。
表示されているサイトはどのような企業が書いたものなのか、または多くの人が情報を出し合って書かれたものなのか。
信頼性の高い情報である必要がある。
Googleの検索機能についても常に進化している。
信頼性の低い情報を表示させないように常に新しいプログラムを導入している。
それでも全ての信頼出来ない情報を判断出来るようになるまでは時間がかかるのだ。
ネットを通じた詐欺も多発している。
情報の信憑性や判断はまだ私たちユーザーに大きく委ねられている。
「多くの情報から信頼出来るかどうかを見極める力」は間違いなく必要とされている。
比較サイトに頼り過ぎない。
何かを購入しようと悩んでいる時、似たような商品がいくつかあると比較サイトで商品の評判やどの商品が一番いいのか見極める為に情報を得ようとする。
その情報サイトにはありがたいことに商品へのページのリンクが設置されている。
つまり比較した情報を見て、すぐに商品を購入出来るページに移動させてもらえる。
消費者の私たちからはすごくありがたい機能であり、手間を考えるとそのまま購入してしまいがちになる。
確かにそれで何も不自由なく、欲しい商品が手に入り、情報も手に入る。
どこかに変な点がなければそれで完了。
だが、その流れの中に違和感を感じる部分はないだろうか。
商品の比較は出来たかもしれないが値段の比較はしただろうか。
もしかしたらもっと安く買えたのかもしれない。
商品のデメリットの部分やサイズ感はどうだろう。
比較サイトにある情報が本当に全てだろうか。
例えば今回の買い物が大きなものであれば念入りに調べた方がいいだろう。
商品の値段、デメリット、類似している商品の評判、実際に使っている情報やブログ、写真。
Googleではそれらの情報を全て調べられると思った方がいい。
一つの情報に頼り過ぎてもいけないのだ。
その情報を元に自分でも「得た情報の比較」をしなくてはいけない。
点数をつけているサイトが自分が考える点数と同じになるとは限らない。
多くの人が該当のお店や商品やアプリを評価し、点数をつける。
その情報の全てが本当に人々の素直な気持ちに従ってつけられた点数ではない。
その時の気分や求めているもの、好み、性格、性別。
全てが合わさった点数である。
あくまで指標として考えている分にはいいが、全てを委ねてしまうと失敗したと感じる恐れもある。
例えばとても大切なデートで最高得点を付けているお店に行ったが味が好みではなかった場合。
そのお店の点数を自分では何点と評価するだろうか。
そういった評価を含め、平均的にした数字であることは理解しておかなければならない。
医療系のサイトには注意が必要。
これまで説明したような情報の信憑性を含めて考えると医療系の情報には注意が必要だと感じる。
個人的な意見で医療のアドバイスをしているような情報はあまりにも無責任だと感じてしまう。
命に係わる間違った情報が表示されている可能性もある。
医者や専門知識が無ければその情報に対しての信頼度は皆無。
専門的な人が書いた情報なのかどうかを含め、個人的に作られた医療の情報には特に注意が必要。
専門家以外ではその見極めすら難しいことを知っておかなければならない。
個人が持つ「スキル」とは。
昔は「物知りな人は能力が高い」と考えられていた。
その人に聞くことで情報を引き出すことが出来たからだ。
だから今はGoogle先生が常にポケットの中にいる。
世界中ほとんどの場所から検索窓を使い質問出来る。
「物知り」の価値は著しく下がっている。
個人的な価値を高めなければならない。
知識以上の価値を常に持っておかなければならない。
社会から必要とされるものこそ「スキル」である。
一昔前の「物知り」というスキルは今はスキルではなくなったのだ。
私たちが持つ価値は今後どんなところで見極められていくのだろうか。
学歴
今だに学歴という考えももちろんある。
学歴が高くて損をすることなどない。
性格。
個性的な性格が必要とされる場面もある。
良し悪しを簡単には評価出来ないが、求められている性格は企業や社会、そして国によっても違いがあるかもしれない。
考え方。
物事の捉え方はいつでも必要とされる。
どのような状況であってもポジティブな考えが必要とされる場面は多い。
協調性。
世界一周をする仕事があってそれを一人でこなしていくのであれば協調性は必要ないかもしれない。
しかしそうではない場合、ほとんどの場面や状況で協調性を求められる。
協調性があることが高く評価されるとは限らないが、「協調性があるからこそ人に必要とされる場面」はある。
リーダーシップ。
究極のリーダーシップはワンピースのルフィが知っている。
「人が付いて行きたいと思う人」はいつの時代でも必要とされている。
資格。
多くの資格があるが、その中でも常に一定の効力を持った資格がある。
いつでも人々から求められている資格を手にすることはその人の価値そのもの。
私たちの価値はその他がどれだけ出来るかどうか。
インターネットを使っても出来ない事、Google先生が知らない事、尚且つ求められていることやこれから求められるような事。
スマホやタブレットやパソコンで出来ない事。
AI技術でまだ叶えられない事。
それらが今私たちが持てる価値なのかもしれない。
便利になるとは人の手がいらなくなること。
その分どこかで人の手が必要になる。
人の手が必要になった場所にこそ価値を見出せる何かがある。
最近のAIは近い未来まで予想してくる。
進化がすごくて何が人間に必要かどうかもわからなくなってきている。
レジも必要無くなるらしい。
掃除もロボットがするらしい。
運転も自動になるらしい。
家にいても仕事が出来るらしい。
学校に行かなくても勉強が出来るらしい。
一般的に出来る人間がやることがどんどん無くなっていく。
困った。
自分には何もないじゃないか。
不安過ぎて泣けてくる。
どうか感想をください。