私は「自分らしさ」を絶対に諦めない。失ったら取り戻す。

メンタル

今まで本当にたくさんの挫折をした。

今まで本当にたくさんの事を諦めてきた。

ほとんどが後悔になっている。

でも私は自分の人生だけは諦めたくない。

別にギラギラしてるつもりはない。

成り上がろうと思っているわけでもない。

ただ、このままで終わるなんて絶対に嫌なんです。

欲しいものだってある。

住んでみたい家だってある。

やってみたい事だってある。

それが贅沢な事なのかどうかは置いておいても、それをひとつも達成していない状態で満足出来るわけがない。

だから私は思うんです。

絶対に諦めない。

夢が破れようが希望を失おうが、絶対に自分の人生は諦めない。

自分の人生に一生懸命立ち向かえばきっと活路は見出せる。

どんなに追い込まれても、どんなにアホみたいに言われても。

絶対に自分の人生は諦めない。

「人生を諦めない」ってのは具体的にどういうことかって言うと、「一生懸命生きる」ってことです。

凄くシンプルだけど、原点でもあるような気がするんです。

悩んだり考えたりして、失敗して挫折して、なんか「一生懸命生きる」のがバカバカしく思えてくることってありませんか?

騙されたり、騙したり、争ったり戦ったり、世の中がすごく嫌に見えてくる時ってありませんか?

私はあるんです。

世の中がどうでも良いって言うか、自分が何を考えたところで、何を実行したところで、変わらない。

結局変わらない。

そう思えてくる。

そんな時、自分の人生すらも適当に進めようとしてしまうんです。

生きてりゃ色々ある。

色んな事が起きる。

それは知ってる。

それでも嫌になることがあるんですよ。

それでも私は諦めたことはないんです。

自分が自分として生きていくこと。

これだけは諦められなかった。

むしろ無力を実感する度に強めていったかもしれない。

自分が自分として一生懸命生きることに。

社会の中にいると自分の価値ってのが手に取るようにわかる時があるんです。

それで自信を失ったりする。

「もう嫌になるわー」って思ったりする。

あんまりそういうことが続くものだから私は思いました。

「あれ?今もしかして社会の為に生きてる?誰かの為に生きてる?何かの為に生きてる?」

そういうことか。

その時、「自分らしく生きてないかもしれん!」って思ったわけです。

周りの目、気になります。

誰かの噂、気になります。

自分の評判、気になります。

「今楽しい?」って聞かれると楽しくないです。

社会の中で生きているんだから誰かに迷惑をかけるのは良くない。

でも、社会に合わせ過ぎて窮屈になっていませんか。

なってるかもしれません。それじゃあ面白くないに決まってる。

私は自分の人生を諦めない。

それは死ぬまで「自分らしく」いるってことじゃないかって思うんです。

また前置きが長くなってしまいました。

すみません。

自分らしく生きるにはどうしたらいいのか。

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人には合わせるけど言いたい事は言う。

私の中で自分らしさっていうのは、「言いたい事はハッキリ言う」が含まれます。

でも言いたい事を言っているだけでは誰かに嫌われる。

多くの人に嫌われるかもしれない。

または誰かと本音で話が出来なくなる可能性を秘めている。

「何を話しても自分が言いたい事しか言わない人」と話が弾むわけがないからです。

だから「言いたい事を言うだけ」ではダメ。

誰とも話が出来ない状況ってのは「自分らしくない」わけです。

それでも言いたい事を言う為には「人に合わせる」のも必要。

「言いたい事を言う」のが自分らしさだと感じるからこそ、「言いたい事を言える状況を作る」努力は絶対に必要なんです。

自分らしくいる為に誰かに合わせる必要があるんです。

私は出来るなら誰とでも本音で話をしたい。

そうじゃないと本当の事が見えなくなるから。

だからこそ相手が「本音を言える環境」を作り出さないといけない。

「話しやすい態度」だったり「聞く姿勢」だったり、「まずは自分から本音を言う」だったり。

誰かに合わせる事で結果的に自分らしくいられる環境を整えていくんだと思う。

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全員に好かれるなんて無理。だけど好かれたいとは思っている。

出来るなら「自分らしくいる為に」多くの人から好かれたい。

それは「自分らしく」が多くの人に嫌われている状態では叶わないから。

言いたい事を言ったとしても、聞いてくれる人がいなければ意味が無い。

影響力を持っていなければ「自分らしく」いられないから。

だとすると、「誰かに合わせる」のと同じように「誰からも嫌われないようにする」のが好ましい。

のにも関わらず、「言いたい事は言う」のだから誰からも嫌われないようになんて無理なのです。

その間にいると、どっち付かずだって思うかもしれない。

「我慢したり窮屈な想いをするのが自分らしさか?」って言われるとそれも違う。

だから中間の気持ちでいることにした。

「出来るのなら全員に好かれたい。でもそれが無理なのはわかっている。」

なんとも中途半端な答えだと感じるかもしれない。

でもこれが私の答えでした。

自分が自分らしくいる為には中間にいるのが最も良いと判断しました。

確かにどっちかに振り切った方が「自分らしさ」ってのは前面に押し出されるような感じになるかもしれない。

だけど私には「嫌われることで自分らしさを失う部分」もあるんです。

これからも社会の中で生きていくつもり。

だからその社会の中で必要な事は知っておきたいし、守りたいんです。

その上で自分らしさを大事にしたいと思っている。

これは自分らしさを「諦めたわけじゃなくて守っている」感じなのかもしれない。

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貫く勇気と折れる勇気。

普通に生活をしているだけでも今自分が持っている「自分らしさ」を否定される場面がある。

社会の中にいると多くの人と関わりながら生きていく。

自分の意志を貫き通せない瞬間だってある。

それを貫く「自分らしさ」を持ち合わせているのならそうするんだと思う。

私の場合、「折れた方がこの先自分らしくいられるパターン」もあるんじゃないかと考えている。

結局のところ考え方なのかもしれないけど、「この先も自分らしくいたいから」折れる場合もある。

貫き通すを選ぶ時があれば、「折れよう」と思う時だってある。

どれもこれも「この先も自分らしくいたいから」だと私は思っている。

だから「貫くことが正義」だとは思わない。

「折れることが正義」だとも思わない。

どっちも勇気を持って「自分らしさ」を守る為の決断なら構わないんです。

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たまには笑ったり泣いたりしたくない?

普段の生活の中で自分らしさを守るとは言え、我慢を続ければストレスだって溜まる。

ストレスばかりを溜めるのが自分らしさではない。

「自分らしく」いられるように我慢する。

それが嫌になるほど訪れる。

今日だって明日だって、ストレスは溜まる。

バランスを取ってるつもりが、ストレスが多い方を選んでいる時だってある。

そんな時は息抜きをしたい。

映画を観て泣いたり、好きなことをやって笑ったり。

「自分らしさ」を意識し過ぎて溜まったストレスを発散しなくちゃいけない。

生きていくのって大変なんです。

だけど私達は泣いたり笑ったり出来る。

自分らしさってのが「今感じているものを素直に表現すること」だとすれば、「泣いたり笑ったり」を素直に行うとなんかスッキリするものなんです。

「最近感動してないな」とか「最近笑ってないな」って思っている人がいるなら、感情通りに行動しても許される時間を作ってみてほしいんです。

泣いたり笑ったりってのは「自分らしさ」を一番味わえる瞬間じゃないかって思っています。

感情に最も素直な行動をすることで「社会の中で自分らしさを守る為の我慢やストレス」を発散出来るかもしれない。

てか、「たまにはそのくらい良くね?」って感じっす。

我慢はする。だからたまには好きな事させてほしい。

ってことです。

どれもこれも「自分らしく」いる為に。

私は自分らしさを絶対に諦めたくないんです。

失っても取り戻したいんです。

それが「生きる楽しみ」に繋がるって信じているんです。

「自分らしさの活かし方」をいつだって探していたいんです。

自分の為に。