私をやる気にさせた言葉は屈辱的な「フェイズが違う」でした

小言

これまでの失敗の数を数えようと思ったら、正確には数えられないことに気が付く。

それでも生きている、今がすごく大切なんだということにしている。

過去の失敗を経て今があることは間違いないけど、実際にどんな失敗をして今があるのかどうかは定かじゃない。

でも今があるのはきっとあの頃の失敗や屈辱があったおかげなんだと思う。

 

経験値。

 

知らない間にレベルアップしてきた人生なのに、自分よりも遥かに上の存在がゴロゴロいることに気付かされる。

テレビや雑誌、芸能人に実業家。

 

同じ歳なのに「こうも違うか!」と感じる人がたくさんいる。

世の中が広いのか、自分のレベルが低いのか。

良くわからない。

ある実業家の人に質問をした時に、

「フェイズが違う。」

と言われたことがある。

 

結果的に答えてもらえなかった質問だったけど、

後で調べたらフェイズっていうのは階層を表すらしく、

その人は、私に

「同じ階層にいる人の質問ではない。」

と一蹴したんだと気づいた。

 

なんか腹が立った。

 

ただ質問したいことを投げかけて、

「それには答えられない。」

って言ってくれればいいものを、

わざわざ「フェイズ」という言葉を引っ張り出してきて、

「あなたと私ではレベルが違う。」

「退屈な質問だ。」

と言われたような感じ。

 

今でも悔しい。

 

もしかしたら質問した事が失敗だったのかもしれない。

でも、

この悔しい想いっていうのはなんだろう。

その人とフェイズが同じになったらわかるのだろうか。

 

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屈辱への感謝。

人は成長する。

生きていれば悔しい想いもする。

悔しい想いをした時に、

「うおー!」と奮い立ったり、

「がーん。」と落ち込んだり、

「やめた!」と諦めたりする。

 

私はどの感情にも経験がある。

これまで奮い立って何かを努力したり、

落ち込んで飯がのどを通らなくなったり、

連絡もせずに姿を消したりした。

 

今考えたらどれも経験しているはずなのに、

結果的に今でもその経験が生きているのは「奮い立った時」が多い。

 

奮い立ってから、「逃げる」っていう選択肢もあった。

 

結局失敗や悔しさを味わった方がショックは大きい。

このショックの大きさが経験値になるのなら、大きな失敗や大きな屈辱を味わう方がよっぽど良いのだと思う。

 

私はビビり。

 

だから失敗してもなるべく怒られない方法を探す。

失敗してもせめて屈辱は味わいたくないと思う。

失敗を隠そうとする方法を探してしまう。

努力の方向が少し違うのだと思う。

 

それなら失敗を認めて、めちゃくちゃ怒られて、ボロカスに言われた方が悔しい想いをするんだと思う。

それがもし、片思いをしている人の前であれば屈辱感は倍増。

カッコ悪い姿を見られてしまった。

 

屈辱過ぎて言葉を失う。

 

でも、その屈辱のおかげで、奮い立ったりもする。

なにくそ精神というか、悔しい気持ちを晴らしたいと思う瞬間もあったりする。

 

それが多くの人に認めてもらう切っ掛けになったり、

周囲の人達の関心を自分に向ける手段だったりする。

 

結果が必要。

 

フェイズが違うのなら、同じフェイズに行くしかない。

誰かに屈辱的な何かを与えられたのなら、それはGOサイン。

 

殴りかかるわけじゃなくて、

自分が成長過程にいて、さらに上の存在やステージが用意されている証拠。

 

今自分がいるところよりもさらに上のステージが用意されている。

その場所を一度見てみる。

挑戦してみる。

劣等感を感じる。

さらに頑張る。

 

繰り返し。繰り返し。

 

一つ上のステージの存在を知って、そこに挑戦していく。

 

ゲームと同じ。

新しい場所で、更に強い相手がいて、倒せば大きな経験値が手に入る。

 

得られる経験値が大きくないと小さめの経験値を稼いでいかなくてはいけない。

戦闘回数ばかりが増える。

人生の時間は限られている。

だから成長するスピードは速い方が良い。

 

勝てるわけがない敵に立ち向かおうとして敗れる。

 

笑い者になる。

無謀だと言われる。

 

屈辱。

 

でも、

人は成長する。

実際に成長速度が速い人はいる。

同世代で結果を出している人がそれ。

 

勝っても負けても経験値は得られる。

勝ち続ける人は負けることを妙に怖がったりする。

でも負け続けている人はどうだろうか。

 

負けることは想定内になる。

 

勝つ方法を必死に考える。

勝利の為に必死になって努力をする。

負けて、負けて、思い知らされていく内になにか切っ掛けを掴むかもしれない。

 

たった一度のきっかけで人生は大きく変わったりする。

 

人生は短い。

だから多くの選択を全て成功させるなんて出来ない。

でもただ一つ、大きな勝利を掴んだら、変わるかもしれない。

 

全てが出来るようになるかもしれない。

 

それなのに私は。

 

私は戦う前から「負けることを考えてしまう」臆病者。

理由は明白。

負けるのがダサいと感じているから。

負ける勝負をしたいと思わない。

 

たった一歩。

そして最初の一歩。

 

それが出来ないままなんとなく倒せる敵を倒して経験値を積んできた。

だから今がある。

 

もしあの時の一歩を踏み出していれば。

どんな今がある?

 

負けたらどうなっていた?

勝ったらどうなっていた?

 

そんな事を考えているから一歩が出ない。

 

どっちでも得られる経験値はでかい。

経験値が大きい方が成長は早い。

 

こんなに単純な事もわからないなんて、

私はやっぱり臆病者。

 

負けても勝っても経験値が大きいのならチャレンジするべき。

たった一歩。

新しいステージに足を踏み入れるだけでいい。

 

生きる世界が変われば、

生活が変わり、考え方も変わる。

人間関係も変わり環境も変わる。

 

失う恐怖よりも新しく得られる物にワクワクしなきゃいけない。

 

勝っても負けても新しい一歩に価値がある。

 

あの日の屈辱に感謝している。

あの日。

私はとりあえず質問に答えてもらうわけでもなく。

何も知らされず、レベルが低いと言われ、

フェイズが違うから話もしたくないと一蹴された。

 

その屈辱は質問に答えてもらってアドバイスを受けるよりも遥かに経験値は大きかった。

 

言われた通りにやって、もしそれが出来なかったらどうなっていただろう。

その人のせいにして「自分には非が無いと感じた」かもしれない。

 

それじゃあ挑戦した時間も無駄になってしまう。

 

雲の上にいるあいつは、

「私と同じステージに上がってこい」

と言っている。

 

「話はそれからだ。」

と言っている。

 

まるで王様にでもなったような気分でいるのかもしれない。

それとも同じような質問ばかりで飽き飽きしていたのかもしれない。

そんなのはどうでもいい。

 

私は屈辱を受けた。

ありがとう。

 

おかげで火が付いた。

 

私は雲の上に行きたい。

自分の力で、自分の判断で、自分の経験で。

本気で。

 

そして王様と対等に話がしたい。

 

相手はすでに大きな経験値を得ている。

だから雲の上にいる。

雲の下からの提案に「自分に徳をもたらす情報がない」と思っている。

 

同じ立場になればきっとわかるはず。

同じ立場になればきっと大きな徳が得られる情報を持っていると実感する。

 

どのくらい時間がかかるかわからないけど、

そこに向かって一歩進む。

もう一歩。

もう一歩。

チャレンジしていく。

無謀だと言われても経験値が大きい方へ。

少ない戦闘で、少ない時間で、レベルアップして、より早く雲の上に行く。

 

その為には経験値は大きい方が良い。

 

もう屈辱を受けた事に対して恨みなどない。

恥ずかしい想いもない。

 

感謝ばかり。

私に火をつけてくれたのは、

私を本気にしてくれたのは、

 

優しく相談に乗ってくれるような言葉じゃなかった。

同じ立場になって考えてくれるような人じゃなかった。

迷った時にもらえるヒントやアドバイスじゃなかった。

 

「お前のレベルはめっちゃ低い。雑魚。」

 

という屈辱感だった。

 

優しい言葉に誘われて、乗っかって、流されて、

誰かのせいにして、「今回騙されちゃいましたわー」とか平和な事を言っている場合じゃない。

 

雲の上にいるあの人に、

「あの時の○○です。覚えていないかもしれないけど、その時の屈辱でここまで来ました。ありがとうございます。」

って言いたい。

 

全部解決。

 

「フェイズが違う。」

これは私にとって圧倒的に劣等感や屈辱感を与えた言葉。

 

でも誰よりも大きな火を灯してくれた言葉。