本物の貧乏を見た事があるかい?

生活

あれは間違いなく貧乏だ。

そう自分の中で決めつけてしまうと態度に出る。

貧乏だから。

その人の何を知っているというのだ。

貧乏っていうのはなりたくてなるものじゃない。

勝手に他人が決めて出した評価だろ。

正義感があってこんな事を書いてるわけじゃないんですよ。

先日youtubeで本当は大金持ちなのにいかにもお金が無さそうな格好をして人接する的な動画を見たわけです。

初めてあった人は全然相手にしない。

むしろ毛嫌いをしているようにも感じるわけ。

でもそこに高級車でお出迎えが来る。

接していた人の態度が急変。

「私実はそうなんじゃないかなって思ってたんだー!」

とか言うわけ。

大金持ちだったわけですよ。

見てるこっちがちょっと気持ちがいい悪戯だった。

とは言えですよ。

その悪戯をする人も悪戯をされる人もどうかと思うわけです。

実際に接した人はマイナスなイメージがつくわけじゃないですか。

そして悪戯を仕掛けた方はそれを暴いたということで評価を得る。

悪戯を仕掛けた方が評価を受ける?

って思いません?

むしろみすぼらしい格好で話しかけられたら誰だってちょっと警戒するものだし。

それをわざわざ動画にして楽しませているわけですよ。

本当の貧乏ってなんだ?

悪戯を仕掛ける方も相手の反応を誘発しているし、それに対して一般的な反応をしただけで叩かれてしまう人。

例えばその反応が誰にでも隔たり無く接する人だったら?

動画にならなかったでしょう。

それを動画にしてしまったら悪戯を仕掛けた方が叩かれる可能性があるからね。

それに見ている方は楽しめるかね。

楽しめないでしょ。

誰にでも均等に接する事が出来るっていう人を特集したような動画になるわけですよ。

それって一般の人は見るかね。

見ないでしょ。

オチが無いドッキリみたいなものですよ。

ドッキリでしたー!

って発表する瞬間が見ものなわけじゃないですか。

だから面白くない動画になってしまうんですよ。

特に疑問を持たない人だっているし純粋に楽しい動画だなって思う人もいるはずだから何とも言えないんですけどね。

そう思ったわけですよ。

テレビとか動画って面白いから拡散されたりするわけじゃないですか。

物語になっているわけじゃないですか。

誰かの幸せだけを放送するなんていうのは別にしないんですよ。

だって面白くないんですもん。

一般的に面白くないんですよ。

だから仕掛けをする。

あえて仕掛けてそう仕向ける。

そしてそのオチが幸せでも不幸でも楽しいと思わせる。

仕込まれているんですよ。

仕込まれているから楽しいんですよ。

最高の仕込み人がいるんでしょう。

感じ方は人それぞれかもしれないですよ。

でもね。

ほとんど同じ方向に誘導されている事は間違いないんです。

だから高評価なんです。

人の感情とかを揺さぶるのが得意で、尚且つ誘導させるのもうまい。

だって悪戯したら怒られるのがセオリーでしょ。

それを捻じ曲げて楽しいものにしちゃうんだからすごいじゃないですか。

逆に一般的な反応をした方が叩かれるくらいに操作しているんですから。

そしてその誘導力でお金を稼いでいるんですよ。

もう何がなんだかわからない。

悪戯を公開する。

それで人々が楽しむ。

そしてそれでお金を稼ぐ。

もう何がなんだかわからない。

でもその動画のおかげでちょっとした印象にも変化があると思うんですよ。

見た目が…でも貧乏かどうかはわからない。

わかります?

この絶妙な印象。

見た目が…でもですよ。

その人が本当に貧乏なのかわからないんです。

それが本当かどうかを疑うんですよ。

「見た目だけではないかもしれない。」

これ!

すごくいいと思うんです。

すごく良い意味で疑おうよ。

もう悪戯を仕事にしてしまうような時代なんですよ?

「まっとう」なんて言葉の意味も無くなるくらいに。

疑いが無ければ搾取される社会になってる。

こりゃすげー。

騙し合い。

私達が正しいと思っていたことも覆してくるんです。

小さい頃から教えられてきた事が覆されるんです。

人を騙しちゃダメなんて言っている場合じゃない。

それも正しいと正当化されてしまうんです。

強い。

超強いです。

それがネットの世界でもテレビの世界でも雑誌の世界でも行われているんですよ。

強いわけですよ。

じゃあそれに流されないようにしたらいいんじゃないか。

これテレビで言ってました。

ネットの情報を鵜呑みにしないとか。

自分で判断出来るようにならないといけないとか。

でもさすがにこれだけの情報があるのに難しくない?

むしろ精神的な状態によってはそれを

「信じたい」

「信じたくない」

っていうのもありません?

ネットで検索して救いを求めたいって思いません?

思うっしょ。

そういう時だからこそ思うっしょ。

お金に困ってるならお金を増やす情報をネットで調べるでしょ。

精神的な状態によるけどそれを実行してしまう人は必ずいるでしょ。

その結果さらにお金が無くなった。

でも情報源はネットで、「全てを鵜呑みにするな」って言ってる。

高い勉強料ですな!

でもね、そのお金を取り戻すためにっていうネットの情報もあるわけですよ。

さらに追い打ちモードね。

お金があるとか無いとかもう関係なしに搾取される。

絞り取られるっていうね。

取り締まろうにもなかなか難しい現状。

ネットだし。

自分の今見ているものが全てじゃないっていうのは前から意識はしているんだけどメンタルの状態によっては何か刺さるものがあったり逆に興味が全く無いものがあるんです。

だから結局自分の事を信じるしかなくなる。

それでも一致団結しようと頑張っている人がいる。

すごいことになってるよ。

どれを信じていいのかわからないですわ。

見た目が…でもお金持ちかもしれない。

悪戯してもそれでお金が稼げるかもしれない。

ネットの情報をすべて鵜呑みにしてはいけない。

疑い過ぎても孤立する。

ヤバ。

どうすりゃいいん?

どうすりゃ正解なんか。

正しいって捻じ曲げられるんか。

マジかよ。

正しいと思って進もうと思っても驚異的な力でねじ伏せられちゃうっていうことっす。

でもどの時代でもそれを逆にねじ伏せた人もいるんです。

そろそろ必要になってくるんじゃないですかね。

革命を起こす人が。

自分がなるべきなんじゃないですかね。

革命を起こす人に。

その革命によって今のお金持ちと貧乏が真逆になるかもしれないんですよ。

そりゃもう何が貧乏かわからないくらいにね。

革命を起こせる人が貧乏人ですかね。

革命を起こした人に

「貧乏人!」

って言えますかね?

成功した芸人の実家が貧乏だったってよく聞く。

「だからこそ頑張れた」

そんな話をよく聞きませんか?

有名な人に限って昔は貧乏だったみたいな話。

それすら本当かどうか疑いたくなるけどね。

もう疑い出したらキリがない。

でもそれが作り話だったら嫌なんです。

それは本当であってほしいんです。

信じたいんですよ。

さすがに。

自伝とかも嘘だったらって思うとなんか怖いっす。

だからそのくらいは信じたい。

サクセスストーリーは信じたいんです。

その人の心理に触れたいんです。

でもそれがわかるのって本当に同じ生活をしてきた家族や同級生の仲間達じゃないですか。

その人達が生い立ちのすべてを共有しているわけです。

真実です。

自分の目で見た偽れないもの。それが真実。

それを信じようじゃないか。

偽れないものが真実なんです。

偽れるものってなるとめちゃんこいっぱいあるから。

だから偽れないものだけを信じてみることにします。

それ以外はどれも一度は疑ってみようと。

新しい情報に関しては必ず一度は疑おうと思う。

寂しいって感じるかもしれないけど、

疑って、疑って、疑って、疑って疑って疑って疑ったら。

信じられるかもしれないじゃないですか。

信じるまでの道のりを長くすればいいんじゃないかなって思う。

もしですよ。

本当に信じてほしい事があれば一生懸命説明するでしょ?

説明して説明して説明して説明して説明して説明して説明したら。

信じてくれるかもしれないっていうこと。

ちょっとその距離が増しただけ。

だから「あの人は貧乏だ!」って感じた事も疑って疑って疑わないといけない。

その人が本当に貧乏かどうかっていうのはその人の周りにいて、一緒に育ってきたような人達でないとわからないものなんだから。

だからめんちゃんこ疑ったろうと!

信じてほしい時はめちゃんこ説明したろうと!

そういう営業マンが来たらちゃんと信じてやろうと。

何度も何度も何度も何度も何度も同じように、一生懸命信じてもらえるように熱心になって誰よりも真面目に説明をしてくれる人だけね。

そしてその内それが当たり前になってくるんじゃないかなって。

だから今の何を信じていいのかわからない社会への小さな革命です。

別に反対をしているわけじゃありません。

正直ルンバとかマジで便利だと思います。

マジで役に立ってくれています。

でも使わない人もそれが必要ない人もいることでしょう。

悩んで決めたんです。

安いものではないですし。

掃除なんて人の手でやった方がキレイになるってわかっています。

実際端っこの方にゴミが残っていることもありますし。

拭き掃除は出来ないですし。

でもね。

今は本当に助かるなーって思う事の方が多いんですよ。

買った方がいいっていうわけじゃないんですけどね。

ただ、ミーハーだから買ったわけじゃなくて、「うちにはルンバがあるぞ!」って自慢したいわけでもないんです。

ちゃんと悩んで、本当に必要なのか吟味して、それでも値段に見合った効果があるって信じて買ったわけですよ。

人との接し方もそうなってくるのかなってことっす。

お掃除ロボットが必要なのかどうか真剣に悩んだように、人との繋がりも本当に必要なのかどうかすごく悩んで、考えて、決めていかないといけない社会になっているんじゃないかなってこと。

そんな気がするんです。

圧倒的に批判をする人もいるかもしれません。

でもね。

信じてほしいならくそ程説明するわけですよ。

熱弁すればいいだけの話なんです。

信じてくれるまで。

その人が自分には必要だって感じたら一生懸命説明を繰り返すんです。

もし今自分に必要な人がルンバがある事ですごく便利な生活を送れるってなったらめっちゃ説明するってこと。

そうした方が絶対にいいから信じてくれるまで一生懸命説明してみたいって思うわけです。

それがデフォルトになってほしいなって思うんです。

どんなに仲がいい人でも新しい情報を持ちだしたら一度は疑う。

なんでも鵜呑みにしないってそういうこと。

ネットだけじゃなくて、全てに関してそうしてもいいんじゃないかなって思うんです。

ネットは鵜呑みにしなくても直接ネットの情報を伝えられたらそれは信じるってことになっちゃうからね。

それはそれでおかしな話じゃないですか。

だから全てにおいて疑う。

信じてほしいならめっちゃ説明する。

一生懸命やる。

今あるものでも本当に疑って必要なものなのか吟味する時間が必要だと思う。

信じたいから疑うんです。疑うから信じられるんです。

このバランスが崩れないようにしていかないといけない。

○○さんが言っているから。

とか

みんな○○してますよ!?

とか

そんなものも疑うべ!

一度は疑おう!

そうやってちっちゃい革命を起こしていかないとなぜかネットだけが叩かれてしまう形になってしまうじゃないですか。

そんなのは違う。

だったら訪問販売はすべて買うってことかい。

新聞に書かれている事が全て真実かい。

知人が紹介した商品は本当にいいものかい。

自分の目でその真実を見出さないと搾取される一方じゃないか。

ネットは嘘ばっかりって言っている人のことを信じているだけじゃないか。

それを言ってるのはテレビとか雑誌でしょ。

テレビは信じてネットは信じないのかい。

おいおい。

どれも同じだよ。

決めるのは自分なんだから惑わされないようにしたい。

だとしたらやっぱり信じれるまで疑いたい。

信じてくれるまで疑ってほしい。

両方とも自分で決めなくてはいけない。

だから本当の貧乏なんて知らない。

見た目?

誰かが言ってたから?

毎日公園にいるから?

だから貧乏なのか。

って信じない。

信じてほしいならめちゃんこ確実な証明をしてほしい。

だから自分の目に入ることもそれが真実だとは思わない。

一回は疑う。

最近じゃ医者も疑われる時代なんでしょ?

医者も頑張って自分が正しいって証明しないといけない。

それってどう思いますか?

医者は信じろよ!って思いますか?

でもですよ。

医者の中にもいろいろいるわけですよ。

医者の言う事は絶対ってなったら一部の医者は問題を起こすかもしれない。

だってなんでも信じてくれるんですよ?

今のネットの世界と変わらねーです。

それすら鵜呑みにしないくらいがちょうどいいんです。

なんでも言う事を聞くとどうしてもそれに甘えてしまう人がいるんですよ。

疑って当然。

みんながそうなりゃそれが普通。

作ろう!

疑う習慣と信じる基準。

我らは革命家じゃ!

ブロックチェーンってそれに近い気がするよ。