それが純愛であるかどうかはもう決まっている。語るなら愛にしろ。

恋愛

純愛の位置の不透明さが引き起こした小さめのいざこざだと思ってください。

純愛かどうかを決めるのはお前じゃない。

全世界の多数決だ。

だから勝手に決めると揉める。

勝手に言い切る方がめんどくさい。

そもそも純愛ってなんすか。

純粋な愛?

すごいね。

形のないものに純粋を付けたらもうわけがわからないじゃないか。

愛を考えてもなかなか答えが出ないのにそこにさらに純粋だと!?

マジか。

考えてみようか。

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純粋な愛っていうのはどんなものなのか。

愛っていうのは何となく理解しているつもりです。

たぶん誰もが言葉にすると「愛」なんだけどそれをちゃんと説明するとばらつきがありそうではありませんか。

だから「これ!」っていうものがなかなか掴めない。

自分の信じたものが愛ってことでなんとなく説明をする程度のものです。

そこにさらに純粋っていうのが入って来てるものだから更なる深み。

愛よりもさらに純粋っていう。

深みだ。

深過ぎて考えがまとまらない。

そこであるものをまず愛と仮定しよう。

それはリンゴ。

リンゴが愛だとすると純粋なリンゴっていうのはどんなものか。

自然に生息しているリンゴっていうことになるわけですよ。

たぶんね。

人が作ったものではなくて山とか森とかに自然に出来たリンゴっていうこと。

そうなると純愛もなんとなく見えてきました。

野生のリンゴとかって甘いのかどうかわからないけど市販されているものよりも甘いのかな。

どうなんだろう。

でもおいしいリンゴもありそうですよね。

中にはおいしくないリンゴもありそう。

純愛ってそういうことになるんですかね。

愛が完璧なものに対して純愛は完璧ではないというか、自然そのままみたいな感じのイメージになってきました。

つまりですよ。

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完成されているのは純愛ではなく「愛」。

人々が好んで想像出来る味。

それが愛。

だからなんとなく想像がつくし自分なりの答えみたいなものを持っている人もいる。

だが純愛はまだ完成されていないもの。

つまり誰も本当は想像出来ないんだけど、未完成である若い感じのイメージ。

そうなるとやっぱりみんなの口に合うのは純愛ではなく愛の方ではないか説。

純愛を通ってから愛になるっていう話になるわけです。

純愛の方がピュアだと感じるのはそのせい。

まだいびつな形だけど愛に近い。

だとするとですよ。

今の自分は純愛ですやん!

ってなりました。

ありがとう。

実は私、まだ純愛なんです。

愛っていうのは完成した状態のことを言うのであれば。

まだまだ甘くておいしい愛を経験したことがないような気がします。

いや。

むしろですよ。

完成してはいけないものなんじゃないでしょうか。

リンゴだとしたら今だに改良を重ねてもっとおいしいリンゴを作ろうと頑張っている人がいます。

愛も一緒だと信じたい。

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愛に終わりはないのです。

完成しない方がいいものなんです。

きっと完成をしてしまえばこれ以上の愛を求めなくなる。

納得してしまう。

だとすると答えが出てしまう。

愛に答えがあったら面白くない。

愛は一人ひとりが認識が違っていいし、答えが無いところが面白い。

はかない。

でも追い求める。

年齢関係なく愛を常に追い求めるわけです。

永遠ですね。

そう考えるとやっぱり愛は永遠です。

誰かが言っている通りなのかもしれないですね。

誰かは忘れてしまいましたけど。

きっと後100年したら愛の考え方が変わっているかもしれない。

そう考えると面白くないですか?

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100年後の愛は形が変わっているかもしれない。

今みんなが想像している愛が形を変えているかもしれないんですよ。

現在進行形ですからね。

答えなんて出せないですけどなんとなくの共通意識ってあるじゃないですか。

その共通の意識が少しずつ変わっていくんです。

例えばですよ。

今から500年前ってどうだったんだろうって思いません?

愛ってみんなが共通の意識だったんですかね。

わからんけど。

わからんけど逆にずっと変わらないものなんですかね。

ずっと変わらない説もあるわ。

変わり続けるし変わらない。

深い。

もう完全に深いですね。

愛は永遠の後に続く言葉ですよ。

「愛は永遠変わりながらも変わらない。」

またリンゴを出しましょう!

リンゴはだいたい赤いっていう認識じゃないですか!

でも食べたらメロンの味がするやつが生まれるかもしれないっていう話です。

可能性ですよ?

もちろん可能性なんですけど、そういう事ってあり得ると思いませんか。

それが

「リンゴという形はずっと変わらないけど味は変わるかもしれない」

これっす。

でも純愛はそのリンゴのオリジナルの味になるから変わらない。

ずっと想像しているリンゴなわけですよ。

それが純愛。

純愛があるからこその愛なんです。

混じりけのない愛ってことですね。

英語にするとピュアラブですから。

きっとそういう意味で使われるんだと。思いたい。

そうなるとですよ。

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純愛は変えられなくても愛は変えられる。

純愛は自然に出来上がっているものですからね。

リンゴね。なぜかずっとリンゴですけど。

ここで例えが変えられないもので。すいません。

野生です。

つまり野生。

ずっと純粋な野生のまま。

それが純愛なんです。

それ以外の事を知る術もないくらいの野生。

ずっと野生なんです。

地球の環境が変わったら純愛も変わりそうですけどね。

さすがにそれはもう宇宙レベルで開発が進んだ場合っす。

火星の純愛と地球の純愛が違うとかならありえますけどね。

なんだか恥ずかしい気持ちになるのがやっぱり純愛なんだって思います。

初めて手をつなぐ感覚だったり。見つめ合ったり。

恥ずかしいです。

ドキドキと胸がときめきます。

純愛っす。

だけどそこからどんどん色々な部分が磨かれたり、欠損したり、大きくしてみたり、合体させてみたり、いろんな配合を試してみたり。

愛になります。

だから答えがありません。

本当に答えが見つかりません。

愛はそれぞれが今持っているものだと。

そう感じます。

でも純愛は胸のときめきが教えてくれます。

今!

ときめきました!?

寝る前とか電車の中で想像してときめきました!?

デートして、手が触れて、ときめきました!?

ああ。

それが純愛だ!間違いない!

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純愛というのは胸のときめきが教えてくれるんだよ。

それが純愛なんだよ。

ときめいたら純愛。

歳を重ねると

「ときめきが少なくなる」

って聞きません?

勝手に歳を取ってる設定にしましたけど若くてもそういうのがあったりってすると思うんです。

それは愛に変化を遂げようとしているからではないかなと。

「ときめきが欲しい!」

っていう人もいますけどね。

それはそれで純愛をもう一度。

みたいに思うんです。

これまでときめいたことありますか?

あの胸がキュンってするやつです。

あれが純愛じゃないならなんだ。

あの想いや想像が純愛じゃないならなんだって思いませんか?

別に相手が人に限るわけでもない。

ただ、胸がキュンとする。

それ!

純愛っしょ!

そういうことにしましょうよ。

それが最近はさっぱりないっていうならそれは「愛」に進化しようとしてるからで、その先はもう誰もわからないレベルになるんです。

逆に純愛以上の胸キュンがあるかもしれないし、違う感情として生まれ変わっているのかもしれない。

これが愛っす。

きっとそうっす。

気が付けばそこにあるやつ。

そいつが愛なんじゃないかなって思います。

純愛があってからこそですけどね。

絶対胸キュンってみんなが経験する事じゃないのかな。

違います?

ちょっとこの変はもう少し周りにも聞いてみます。

というかさりげなく聞いてみてもらえません?

胸がキュンってしたことある?って。

初恋とかそういうので。って。

あるっしょ。

そしたら言ってあげてください。

「それ。純愛。」

って。

だから純愛なんて語れないんですよ。

純愛はもう胸キュンに限ります。

気持ちもなんだか落ち着きます。

「はぁ。」

ってなります。

初恋の時の溜息なんて最高に純愛してる時ではないですか。

その「はぁ。」ってやつ。

いいなぁ。

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純愛はもう答えがあるから語れません。だから愛を語りましょう。

純愛を経てからの愛。

語るならこれに限ります。

だってもう圧倒的な個人的感情が渦巻いてますからね。

どんな形であれ他人の愛に触れるっていうのはすごい発見があるわけですよ。

信じられない発見だったり自分が違う愛を求めたり。

より自分の愛が強くなったり。

本当にすごい効果があるんです。

愛っていうやつは本当にすごいんですよ。

まさにリンゴの形をしたメロンみたいな、目からうろこの話が聞けるかもしれないんです。

その個人差がまたすごいギャップだったりするんです。

マジかよ。

っていう発見があったり。

それいいね。

っていう発見があったり。

愛は未完です。

常に進化をしながら見つけていくものなんですよ。

たぶんですけどね。

愛に答えなんていらないんです。

でも純愛っていうのは胸がキュンとするやつ。

そういえば歪んだ愛っていう言葉があるけどあれはあれで愛って言っちゃってるし。

愛と認めているんでしょうね。

それでも歪んでいるって判断したのは一般的に見て違うからっていうことでしょうね。

一般的な愛かぁ。

それって純愛っていうことですかね。

わからん。

誰かに迷惑をかけてしまうのは違うと思うんですけどね。

それは害だから。

愛と害は違うから。

歪んだ害だから。

その辺りは純愛を起点にしてるんだからわかりそうなものですけどね。

改良し過ぎて原型が残っていないのに愛って呼ぶのはおかしいじゃないですか。

つまりですよ。

リンゴの改良をし過ぎてもうリンゴじゃなくなってるっていうことっす。

かぼちゃの形をしてもリンゴ味でなくてはリンゴって言えないじゃないですか。

リンゴの形をしていて醤油味ならリンゴってまだ言えるじゃないですか。

だからそのオリジナルでもある純愛っていう原型をとどめていないのであればそれは愛じゃない気がするのです。

だから純愛っていう胸キュンの感覚っていうのは様々な事を教えてくれているんだと。

全ての愛はそこが入り口ではないかと。

だから愛を呼ぶものは純愛の原型を必ず残しているものなんだと。

そう思いたいわけです。

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純愛で何を学んだんだか。

だんだんだんって感じになっちゃいましたけどね。

あの頃の自分は恋が全てだったじゃないですか。

あの頃の自分は胸がキュンとなる瞬間をすごく楽しみにしていたじゃないですか。

そればかり考えていたじゃありませんか。

今考えたらものすごくピュアだったなって。

勉強も運動もそれどころじゃなくなるくらい。

相手との幸せを常に想像してた。

今考えるとそればかりだった。

その時に愛へのきっかけを学んだ気がするんです。

その時の恋を経て感じた純愛によって今の愛があるようなものです。

私はまだ30代。

これからたくさんの愛を育んでいくんだと思います。

まだまだ愛については知ったばかりのひよっこです。

これから大きな愛を育んでいきたいなって思っています。

その全てのきっかけが純愛という胸キュンだったことに偽りはありません。

誓います。

誓いまっせ。

あれが入り口で人を好きになることを覚えました。

それのおかげで今の生活があるようなものです。

今の生活に愛が溢れているのかどうかと言われれば正直溢れてはいないと思います。

だって今は仕事とか子育てとか、お金とかお金とか。

そういう現実的な問題が山積みだから。

そのせいにしてはいけないと思うんですけどね。

でも間違いなく、学生の時。

勉強も部活もそこそこしかやっていなかった自分はヒマだったからこそ純愛に気が付く事が出来たのでしょう。

むしろ勉強も部活もそこそこに恋愛を頑張っていたのかもしれません。

恋愛にもそれなりの努力が必要です。

まるで純愛に導かれるように恋をしてきました。

その純粋な恋へのストレート。

スピードを出し過ぎて止まれなくなったこともあります。

ギャグです。

それでも今はそれなりに愛があるというか、すごく満足している部分もある生活が出来ているのはきっとヒマな時のスピードオーバーがあったからこそだと思っています。

もし、今、純愛について考える時間があるなら思いっきりその感情に従ってスピードを出し過ぎればいい。

アクセル全開。

純愛はアクセル全開で構わん。

行け!GO!

止まれないくらいが純愛だよ。

むしろ止まれないくらいの胸キュンをしようよ。

そして時が過ぎ去り。

様々な愛に変化を遂げていくでしょう。

恥ずかしい想いも、悔しい想いもするでしょう。

そして愛に変わり、自分の愛の育み方がわかって気が付くのです。

私の純愛はギャグだった。

そのくらいノーブレーキで笑える。

もうそういうネタにするしかないんだ。

だから俺に純愛を語らせないでください。