仲の良い友達と喧嘩して初めて気付く事がある

人間関係

どんなに仲が良い友達でも元は他人。

そんな当たり前の事を改めて意識せざるを得ないくらいに喧嘩した。

「喧嘩する程仲が良い」なんてのは子供だましで、少し大人になれば些細な喧嘩でもそれなりに大きな亀裂が入る事がある。

「話し合えばわかる」と周りに言われても、そんなに簡単に解決出来るならそもそも喧嘩なんてしないと思うのです。

まず今の自分に聞いてみよう。

仲直りしたい?

もう会いたくない?

私はどっちも正解だと思う。

仲の良い友達と喧嘩すると、普段は考えないような心理に突入していくような感じがする。

多くの気付きがあるんです。

今回は仲の良い友達と喧嘩して初めて気がつく事を伝えたい。

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他人との距離感。

まずは仲の良い友達と喧嘩したからこそ気がつく他人との距離感について。

ついさっきまで仲の良かった友達と喧嘩をすると、「仲が良かったはずなのに」急に距離が遠くなったように感じる。

喧嘩の内容にもよるけど、そもそも喧嘩になった理由はお互いに納得がいかない部分があったからです。

自分にとっては些細な事でも、相手にとっては凄く傷つく内容だったり、大切な事だったりする。

世の中には沢山の価値観があって、一人一人が違う捉え方をする。

そんなのはわかっているんだけど、「仲の良い友達」の存在は、そういった価値観や捉え方が自分に近いと考えていた。

でも喧嘩して、一度でも心の距離がはなれると、改めて感じさせられるのです。

それは、相手が他人である事です。

どんなに仲が良くたって、たった一度の喧嘩が原因で、わかりやすく他人との距離感になる。

それでも腹が立つ想いがあったり、距離が離れてしまった悲しさがあったりと、複雑な気持ちになる。

そして改めて思い知らされる他人である距離感。

どんなに仲が良い友達とは言え、やっぱり他人なのです。

それでも私達は社会の中で、多くの他人と繋がりを持ちながら生きて行く。

どんなに一生懸命築き上げてきた人間関係でも、一度の喧嘩で他人に戻る感覚を知ると、私達は「なんて難しい社会を生きているんだろう」と思うんです。

自分以外の人全てを「他人」と決めつけてしまえば、「なんて冷たい人だ」と思われてしまうかもしれないけど、「他人である事実は変えようがない」のです。

友だちとの関係にこだわり過ぎて、辛い思いばかりになってしまうなら、ある程度タンパクな考え方が必要になることでだってあるんです。

その方が自分が楽になる。

仲の良い友達と喧嘩して初めて気付いた事の1つ目は、他人との距離感でした。

感情のコントロール。

どんなに仲の良い友達と喧嘩をしても、私達は他人と繋がりを持ちながら生きていかなければならない。

それなのに、熱くなって、言い合って、喧嘩のようになり、後々仲の良かった友達に対して「言い過ぎた」や「なんであんな事を…」と自分を責めたりする場合もある。

「時間は戻せない」とわかってはいるけど、揉めてしまった後悔が残ったりする。

つまり本当は喧嘩なんてしたくなかったんです。

それでも伝えたい事は伝えたい。

感情を上手くコントロール出来なくなってしまったわけです。

人は感情によって伝え方も伝わり方も変わります。

攻撃的な言い方になってしまったり、弱っているイメージを与えてしまったり。

伝える力を養う事も必要かもしれませんが、まず、自分の感情を上手にコントロール出来るようになるべきだと私は思います。

それは仲の良い友達と喧嘩をして、他人との距離感を意識し、後悔したからこそ思ったんです。

「喧嘩するべきじゃなかった」という後悔を何度も繰り返したくはない。

どんな言い方をしても相手の感じ方はそれぞれで、伝え方を学んでも、人によっては全く伝わらない事だってある。

それなら自分の感情を上手にコントロール出来るようになった方が良いんです。

常に平常心でいられるには、それなりの経験が必要になるけど、私達はこれからも人と繋がりながら生きていきます。

喧嘩して、友達と疎遠になる寂しさを感じ続けるくらいなら、多くの事を経験しながら感情のコントロールを鍛えていきたいと私は思います。

友達かどうかの線引きは自分の中でしかわからない。

当たり前だけど、人それぞれ価値観は違います。

その価値観の差は友達に対しての感情も含まれる。

「この人は友達」「この人は友達ではない」といった感情だってお互いが同じように持っているわけでもないんです。

こっちは友達だと思っていても相手は友達じゃないと思っているかもしれない。

それなのにその真意を確かめる術を誰も持っていないんです。

人は本心を隠したりします。

人は良かれと思って嘘をついたりもします。

それだって人それぞれで、よく考えたら誰かに言われた事が「本当に思っている事かどうか」を特定出来ないわけです。

ここでもまたちょっと冷たい言い方になってしまうかもしれないけど、他人の感情を短期間で推し量ろうとするのは無理があるわけです。

簡単に言うと、「他人の言う事なんか信じるな」って事で、自分が友達だと思っていれば友達で良いわけで、相手が友達かどうかをどう考えているかを悩んでいる時間は無駄なんです。

自分が仲良くなりたければその努力をするし、相手が離れたいと思っているなら勝手に離れていくだろうと思っている方が自然でいられるんです。

相手の感じ方を推し量ろうとすれば、「友達だと思ってたのに!」といった感情が生まれます。

相手の感情を見抜く方法なんてないんだから、そもそも「一方的にこっちが友達と思っている」しかあり得ないわけです。

「他人の言う事なんか信じるな」っていうのは、「もっと自分の感情を大切にしろ」って事なんです。

本当の事がわからない相手の感情なんかに流されちゃいけない。

自分が友達になりたいなら頑張ってアピールするだけ。

仲良くなりたいなら自分の気持ちをわかってもらえるように伝えたり、出来るだけ同じ時間を過ごすしかありません。

それでも「友達になれないから」と言って怒ったり、凹んだり、求めたりするのはおかしい。

他人の気持ちはコントロール出来ない。

友達かどうかの線引きは自分でしか出来ないんです。

答えは自分で導き出すしかありません。

必要な関係。必要じゃない関係。

友達と喧嘩をして、相手と疎遠になったからと言って、それが悪いのかどうかはわかりません。

「友達だったから」って理由だけでその関係を続けたり、守ったりする義務は無いんです。

結果的に喧嘩別れにはなったけど、「そのおかげで」歩むべき道がはっきり見えるようになったり、少し違った未来の形もあるんじゃないかと私は思います。

どちらが必要か必要じゃないかはわからないけど、きっとどっちを選んでも、自分なりの人生になっていく。

それならもっと素直に「仲直りする」「仲直りしない」を主観的に決めて良いんじゃないだろうか。

「友達だから」という呪縛は時に自分の人生の自由を奪ってしまったり、価値観を限定的にします。

良いか悪いかはどっちみち未来にならないとわからないのだから、その時の判断で友達の関係を続けるか辞めるかを選べば良いんです。

新しい人間関係を築いた時だって同じです。

友達関係を一生続けなくちゃいけないルールなんてない。

もし貴方が一方的に相手を傷つけてしまっていると思うなら、傷つけてしまった事は謝罪して、その後の関係は断つ選択肢だってある。

数年後、やっぱり後悔して、本気で謝ってもう一度交友関係を復活させたって良いんです。

実は凄くシンプルで、今の自分がその関係を求めているかどうかで判断して構わないと私は思います。

基準は自分らしさ。

友達と喧嘩した事。

その友達に謝罪したり、謝罪されたりして、関係を取り戻した事。

疎遠になった事。

後悔して後々改めて話し合った事。

その時の感情や決断で人間関係は目まぐるしく変わっていくものです。

そしてそういった変化は私達の生活の中で日々起こり得る事です。

今日もどこかで誰かが友達と喧嘩して、凹んだり、怒ったり、反省したり、後悔しています。

全ての人がそういった経験を繰り返しながら人間関係を築いていきます。

人間関係に助けられたり、苦しめられたりしながら人は人を理解していきます。

私は友達と喧嘩しようが、しまいが、社会の中で生きて行く為に必要な選択をしていると思うようにしています。

割とタンパクに考えるように心掛けています。

理由は流されやすいからです。

いつも友達の気持ちを考え過ぎて自分らしさを見失ってしまうんです。

自分の人生なのに、自分らしさを見失うのは苦痛です。

私は耐えられません。

だからもっと自分らしくいられる人間関係を築いていきたい。

私の友達との付き合い方の基準は「自分らしさ」なのかもしれない。

人間関係
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過小評価され過ぎアーティスト

過小評価され過ぎなアーティスト、「楽屋シンジ」さん。

この方、作ってる音楽は素敵なのに評価が低い。

むしろ誰にも評価されてない。

あまりにも残念なので応援したい。

ポップな音楽だから多くの人にそれなりの評価を貰えそうなのに圧倒的に露出が少ない。

なのでこのブログを通してお勧めしたい。

もったいないなぁとつくづく思う。

「楽屋シンジ」さんのYouTubeチャンネルを貼っておきますのでとにかく一回聴いてチャンネル登録してあげましょう!

みんなで!

あれんじ

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