夢は簡単に叶ってはいけない。
もちろん叶えたい。
叶えたいけど簡単に叶ってしまえばそれは「夢」ほどの価値は無い。
棚から牡丹餅。
「何か」に一生懸命立ち向かうのがバカバカしくなってしまう。
努力するのも、我慢するのも、
誰よりも「頑張ろう!」っていう気持ちも無くなるかもしれない。
だから夢は叶えたいけど簡単に叶ってはいけないと思っている。
誰かではない、自分だけが発見したプロセスで夢を達成したい。
それが発明的で、自分しか出来ない事で、「簡単だ」と判断出来るならまだいい。
そのプロセスを考え出すだけの努力や時間は「夢」を叶えた達成感に繋がるんだと思う。
でもそうじゃなくて、
そこらへんに転がってて、いとも簡単に叶ってしまうような夢ならちょっと違う気がする。
同じ「夢」を持った人がいたとして、
その人はとんでもない努力をしていて、
その努力が実を結んで、
やっとの想いで叶えた夢があったとする。
それと同じ夢を何の努力も無しに、いとも簡単に手に入れてしまうような人がいたら世の中がどうかなってしまう。
努力することすら意味が無いような気がしてしまう。
目標に向かって、自分で考えて、数々の困難を乗り越えることに意味がない、わけがない。
むしろ、
夢そのものよりも、
それに向かって突き進む力だったり、それまでに経験した数々の困難こそ人生を豊かにしてくれるものだと信じている。
それを経験しないで転がり落ちてきた夢を掴んで「どうだ!」とか言いたくない。
「誰よりも頑張った!」って、夢を掴んだ自分を最後に褒めてやりたい。
それを掴むまでの全てに「あってよかった」と思えるようになりたい。
本気で、努力をして、挫折して、失敗して、
それでも運命に抗って、立ち向かって行こうとする姿が「夢」になるようにしたい。
夢っていうのは「物」や「価値」だけじゃない。
「人」にも抱くべきなんじゃないだろうか。
本当の夢ってなんだろう。
夢になるきっかけ。
スポーツの世界で、有名な選手になって、プロとして活躍したい。
そんな夢を持っていたとして、
最初はどうしてそれが夢になったのか。
きっと憧れの選手がいて、
「自分もそれになりたい!」
と願うことからスタートしたんだと思う。
その願いを叶える為に必要なもの。
練習、練習、練習。
自分には「なりたい自分がいる」と、その姿を想像しながら毎日努力を積み重ねていく。
練習を続けていく中で様々な事を経験していく。
練習の成果。
昨日まで出来なかったことが出来るようになる感覚。
負けた時の悔しさ。
上には上がいる現実。
同じ夢を持った仲間。
切磋琢磨していく。
多くの事を経験していく中で、その「夢」を目指すことが生活の一部になる。
練習するのが当たり前になる。
それは、努力の価値を知っている証拠。
努力することで得られる力がどんなものかを本能的に理解しているはず。
だからこそ毎日練習に明け暮れる。
それでも挫折するし失敗するし、夢が離れていくような感覚に襲われることもある。
でも本当はわかっている。
そして忘れられない。
努力の先に「憧れの人」がいて、それが夢になった時のトキメキを。
同じ人間なら「自分に出来ないわけがない!」と強気になった初めの一歩。
どんなに努力をしても辿り着けない気がすることもある。
夢のきっかけなんて些細で一瞬の「憧れ」で、
それに向かっていく努力や苦悩の方が遥かに多い。
トキメキなんて一瞬。
どんなに夢に胸を躍らせようが、
目の前にある現実にいつも愕然とする。
ほんの一瞬のトキメキがきっかけで、
多くの努力をする。
それを乗り越える力が湧き上がる。
夢のきっかけなんて世の中にはたくさんあって、
子供の頃の夢がいくつ破れようが、トキメキを感じる瞬間はいくらでもある。
夢はひとつじゃない。
夢そのものよりも「きっかけ」が人としてとても大切な気がしてならない。
夢に時間の概念はない。
人間の夢のカテゴリーがスポーツに限られるわけではない。
当たり前だけど、
どんなことでも「トキメキ」を感じ、それに向かって「頑張りたい!」と思えるなら立派な夢だと思う。
誰かにどんなに否定されても「トキメキ」を感じるのだから仕方がない。
「やってみよう。」
って思うならやってみるべきだと思う。
その道中で違うトキメキを感じるかもしれない。
または引き返す選択をするかもしれない。
夢がコロコロ変わろうが、ひとつを一心不乱に追い求めようがどっちでも構わない。
その道中でどんな努力をして、どんな失敗をして、どんな成功をして、自分に何が付け足されたかが大事だと思う。
ひとつの夢をさらに追い求めるなら道中の「経験」が全て力になる。
新たな夢にトキメキを感じたとしてもこれまでの「経験」が全て力になる。
夢は間違いなく自分の原動力のひとつで、
今でも野望に近いものを胸の奥に抱かせてくれる。
それを叶える為の日々の努力に無駄なものなんてない。
その経験なしで夢なんて掴めない。
絶対にみんなわかってるはず。
夢があるからこそ成長している自分の姿を絶対に知っているはず。
社会の荒波の中ですり減らした「夢」を目指す感覚をもう一度呼び覚ましたい。
あの溢れんばかりのパワーに24時間、1日、1か月、1年という概念はない。
ずっとトキメキを感じる方へ歩みたい。
せめて、気持ちだけでも前へ。
本当の夢。
もし今、目指している、正に奮起奮闘中の夢があるなら。
更にその先に何があるのかを考えてみて欲しい。
きっと、今より完成された自分の姿があるはず。
今掴みかかろうとしている夢を鷲掴みにした時に何を想うだろう。
満足感だろうか。
それとも優越感だろうか。
たぶん、夢の叶え方を知るんだと思う。
どうすれば夢が叶うのか。
自分の手で証明して、感覚として持っているんだと思う。
私は一度、「夢」を掴んだであろう人に会ったことがある。
だけど、掴んだ夢を置き去りにして次の夢に向けて走り出していた。
きっと夢は叶う度に次を目指すシステムになっているかもしれない。
一度叶えた夢の感覚を持ったまま次へ。
更に先に進む。
自分は世界平和みたいなでっかい夢を抱えられるような人間ではない。
でも、
もし今目の前にある夢を掴んで、
次の夢も叶えて、
そのまた次の夢も叶えて、
次も次も次も次も叶えられたなら。
世界平和への夢を抱くかもしれない。
努力して、挫折して、迷って、考えて、失敗して、成功してを繰り返す中で夢を掴む。
今は世界の平和なんて考える隙間もない。
考えるというよりも、
きっとわからないに等しい。
考えが及ばない。
世界の状況まで視野に入るのは随分先になりそうな気がする。
もしかしたら目の前にある夢を掴んだら急に加速するかもしれない。
あっという間に世界平和へ向けて何かをし始めるかもしれない。
自分が思い描く夢なんてまだまだ小さい。
まだまだこれから。
それを叶えた先に何があるのか考えたら…。
ピンとこない。
でもその先に今の自分とはまた違う自分がいるかも。
その自分が誰かの夢になれたのなら正に夢のようなこと。
良く考えてみたら、夢を抱く一番初め。
その時に見た「それを叶えている誰か」に刺激を受けた。
夢を掴み取った姿に憧れたりした。
自分はまだ叶えた経験なんてない。
だから毎日迷いながら、失敗しながら、たまに戻りながら、四苦八苦している。
間近で見たことがある「一度は夢を掴んだ人」が今どうしているかわからない。
今でも私たちの目の届く範囲で活躍し続けている人もいる。
自分の身にこの先何が起きるか全く想像出来ないけど、
夢を追いかけている勇敢な姿を想像したい。
逆境に強いわけじゃないけど、
ピンチはいつもピンチ。
チャンスにも気が付かない。
それでも、
夢に向かって立ち向かう姿は想像していたい。
自分が初めて夢を抱かせてくれたのはそういう人だったから。
間違いなく努力を重ねて、失敗を重ねて、成功を重ねて繰り出したパンチは重い。
なんとなく繰り出した鍛えてもいないラッキーパンチは軽い。
せっかくの自分の人生。
とびきり重いパンチを目の前の「夢」にお見舞いしたいものだ。
どうか感想をください。