自由の考え方こそ「最大の自由だな」と思う理由

小言

友達や同僚と話をしていると、たまに「自由になりたいなぁ」なんて言い出す奴が必ず1人はいる。

普段は仕事や家事や育児に追われている毎日で、「自由」なんて漠然としか意識しないで生きているのに、誰かが自由について語ろうとするものだからつい熱くなってその「漠然」に迫ろうとしたりする。

自由は、誰かにとっては「救い」であったり、誰かにとっては「今」であったり、誰かにとっては「夢」であったり。

たまにSNSなどで「自由とは…」なんて話をしている人を見るが、捉え方にも自由があるわけで…。

まるで「愛とは…」くらいに無限の答えがありそうな気がするのです。

今回は自由の考え方こそ「最大の自由だな」と感じる理由を伝えたい。

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自分にとっての自由。

私にとっての自由は、仕事をしなくても収入があって、好きな時に好きな場所に行ける環境。

これが私にとっての自由ではあるけど、実は自由と言うよりも願望のような気がしている。

自由って結局自分の願望で、今縛られているものからの「解放」なんじゃないだろうか。

仕事の時間とお金のストレス。

そういった自分を縛り付けている現実から解放されたいだけなのに、それを壮大に「自由だ!」と歌う。

よく考えたら15歳の時、私の自由は学校に行かなくても良い状況だったかもしれない。

それもまた、学校に自分の時間を縛られていると感じていたからだと思う。

誰かにとっての自由。

自由の考え方は人それぞれです。

それぞれ「求めているもの」が違うから。

自分にとっての自由が願望であるなら、誰かにとっての自由は自分ではない誰かの願望です。

犬を飼う事が「自由」なのかもしれない。

家に帰らない事が「自由」なのかもしれないし、家に帰る事が「自由」なのかもしれない。

結婚するもしないも、好きな人がいるいないも、男女の違いも、「なにを求めるか」で自由は変わる。

だから私には、誰かの自由を全て認める事が出来ない。

友達や同僚と「自由について」話し合ったところで共感出来ない部分がある。

実際その感覚すらも自由であって、「自由について話したくない」って感情すら自由だったりする。

…。

言いたいのは、誰かの自由を認める事によって、自分の自由が脅かされるって事です。

私にとっての「誰かの自由」は自分の自由を奪うものなんです。

誰かの自由に付き合うと、自分の自由が無くなると思っているから。

「何をしても良い」は自由じゃない。

自由なんてそもそも意味がわからなくて良いんです。

これまでそうやって生きてきたし。

自分にとって意味がわからないものや到底納得できない事が誰かの自由だったりするんだから。

わざわざ深く考えたりしない。

アメリカが主張する自由の国ってのは、ありとあらゆる価値観の存在を肯定する考え方なんじゃないだろうか。

だとすると、ルールで縛ったり法で守るってのも自由になるけど…。

人道は外れちゃいかん。

自由は「何をしても良い」って意味じゃない。

その人が持つ価値観を認める事です。

個性を大事にする事です。

でもある意味無関心とも言えます。

夢を叶える事が自由の入り口。

誰にでも子供の頃から思い描く夢があったりします。

それに向かって頑張り続ける事が誰かから見れば「何かに縛られている」と感じたりするかもしれません。

ただ、本人には頑張り続ける先に「理想の自分」が見えている。

それが明確かどうかは別として、今頑張っている事は夢を叶える為であって、縛られている訳ではない。

その人が持つ感性や価値観を受け入れたり、認めたりするのが自由であるなら、本人が叶えたい夢こそが自由を得るきっかけになるような気がします。

誰かにとっては「なんだその夢は!?」と疑問を持つようなものであっても、本人にとってはそれを叶える事が今を頑張る理由なんです。

その夢を叶えた先に自分らしい自由があるんじゃないだろうか。

もし、今私の夢が叶うなら、自由を体感出来るような気がするんです。

「夢が叶った」と同時に自由を感じられるような気がするんです。

夢とその先にある自分らしい自由のお陰で、今を頑張れるんだと思っています。

みんな自分だけの自由を求めてる。

例えば自分らしい自由が「好きな時に好きな場所へ行く」だとします。

旅行だとすれば、泊まる場所によってはお金が必要です。

海外であれば現地の言葉をある程度理解しながらも英語が必須になるかもしれない。

お金に重点を置くなら、あらかじめ貯金するか、どこでも仕事が出来るスキルや知識が必要になる。

自分だけの自由を手に入れるには、それなりの努力や結果がいる。

私は友達や同僚と当たり前のようにそれぞれの自由を話したり聞いたりしていたけど、共通しているのは「願望」や「夢」や「目標」を叶える事でした。

圧倒的に多かったのは「お金の心配が無い状態で好きな事だけをしたい」だった。

これにはもちろん私も共感。

強く同意。

実際にそんな生活をしている人だっているはず。世界は広い。

ただ、本人が「自由だ」と思っているかどうかはわからない。

もし、今求めている願望が手に入ってしまえば、それは願望じゃなくなる。

その後は自由だろうか。

最近Youtubeなどで見かける広告に、「自由な生活を得るために」みたいなのがあるけど、実際にそれを宣伝してる人は「多くの人を集めてビジネスをしたい」んだからそもそも自由じゃない気がしてならない。

「自由=金儲け」の仕組みはずっと昔からある。

私には「お金持ちになれる方法」を使ってお金を稼ごうとしているように見えるわけです。

仕事なので別にそれが悪いとは思ってないけど、「これこそ自由だ!」と思っている事が実は誰かに煽られて真に受けてしまったんじゃないかって疑いもあるわけです。

実際に煽られようが仕組まれようが答えはそこに辿り着かないとわからないけど、多分辿り着く頃にはもっと他の自由に目が向いているような気がするんです。

お金に縛られた考え方を持っているのにほんとうに自由にかな…。

自由なんてのはみんなが常に求めてるものであって、本当は「お金」や「モノ」や「場所」じゃなくて、心の内にあると私は思います。

本当の自由は感情が握っている。

普段の生活の中で「不自由だ!」って思う瞬間はどんな時だろう。

仕事をしている時?

家事をしている時?

育児に追われている時?

まだまだ多くの不自由が沢山あると思う。

ただ、それってよく考えると「思い通りにいかない」や「自分で選べない」と思っているから生まれる感情なんです。

「私は今こうしたいのに!」とか「こうだったら良かったのに…」と思えば自由とは程遠い感情になる。

逆を言えば、そういった感情にならなければ、仕事をしていても、家事をしていても、育児に追われていても、不自由とは思わなくなるわけです。

自分の思い通りに仕事や家事や育児が出来ればある意味普段の生活の中でも自由を感じられるって事。

自由は自分の感情が握っているんです。

自分の思い通りに全ての物事を進められないから「自由だ!」って思えない。

そりゃ仕事をしていれば誰かに指示されるし、そもそもやりたくない家事をしていればストレスも溜まるし、育児なんて毎日がイレギュラー。

そこに自由なんか無い。

と思ってしまう。

でも世の中には仕事や家事や育児を自ら進んで「やりたい!」と思う人だっているんです。

私とは真逆の感性を持っている人は今の私の生活に「自由」を感じるんじゃないだろうか。

本当の自由は感情が握っています。

感情のコントロールが上手な人は多くの自由を感じているのかもしれない。

考え方によっては自由なんてそこら中にある。

自分の思い通りにならない事を一個ずつ「思い通り」に変えていけば良いんだから。

まずは…仕事だな…。

出来るかな。

やらなきゃずっと自由にはならない。

自分の思い通りに進められる仕事。

自分の思い通りに進められる家事。

自分の思い通りに進められる育児。

それらが叶うなら、日常に変化はなくても「自由に生きている喜び」を実感出来ると私は思っています。

小言
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過小評価され過ぎアーティスト

過小評価され過ぎなアーティスト、「楽屋シンジ」さん。

この方、作ってる音楽は素敵なのに評価が低い。

むしろ誰にも評価されてない。

あまりにも残念なので応援したい。

ポップな音楽だから多くの人にそれなりの評価を貰えそうなのに圧倒的に露出が少ない。

なのでこのブログを通してお勧めしたい。

もったいないなぁとつくづく思う。

「楽屋シンジ」さんのYouTubeチャンネルを貼っておきますのでとにかく一回聴いてチャンネル登録してあげましょう!

みんなで!

あれんじ

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