この世で一番「長い!」と感じたのは10代だった。
まだ「子供」だと言われる年齢を通り過ぎ、
今となってはアラフォーになる私は、
10代の頃、
「早く20代になりたいなぁ。」
と思っていた。
後何年で学校に行かなくて良くなるのかと考えていた。
だから毎日が楽しくなくて、誰かに気を使う為に学校に行っているような気さえした。
たまに楽しいと思う事はあっても、一瞬の「お笑い効果」のようなもので、すぐに面白くなくなる。
親の生活を見ていると、縛られているようで自由な不思議な社会を感じた。
「大人になると自分でなんでも選択していけるんだな。」
と思っていた。
「子供の仕事は勉強だ。」
と言われていたからなんとなく勉強をしてはいたけど、一度も好きにはなれなかった。
放課後になって遊ぶ時間だったり、
好きな事をする時間の方がよっぽど面白かったように思う。
勉強は出来ないより出来た方が良い。
それは間違いないと思っている。
それなりに悩んだり、誰かを好きになったり、
大人ぶってみたり、「一人になりたい」とか言ってみたり、
反抗してみたり、嘘をついてみたり、
なんとなく生活して、たくさんの時間を無駄にしたり、
夢中になって充実した時間を過ごしたりした。
たぶんずっと思っていたんだと思う。
「今が一番楽しい!」と言えるような生活がしたい。
どうせ過去には戻れない。
「あの時は楽しかったなぁ。」と過去にすがると「今」を否定しているような感じがする。
過去にすがるとロクな事がない。
今の方が大事。
大人になると、子供の頃の楽しかった記憶にすがりたくなる瞬間がある。
「縛られている中の自由があった。」
と意味がわからないことを言い出す。
誰だって好きな事ばかりしていれば楽しいに決まっている。
大人になるとそうもいかない。
むしろ子供ですら好きな事ばかりはやっていられない。
それなりに「やらなければならないこと」がいつもあって、
なんとかクリアしながら今までやってきたはず。
私は子供の頃から感覚的に知っていたことがある。
何か一つの事を楽しみながらも頑張って、努力してやっているとそれなりの効果をもたらす。
勉強もスポーツも、
出来ないところから始めて、気が付けばなんとなくこなせたりする。
きっと子供中ながらに努力の効果を知っているんだと思う。
ただ、子供の頃はその努力が大人になってどんな効果を発揮するのかまではわからない。
なんとなく「努力」をすればするほど自分の力になると感覚的にわかっている感じ。
私は賢い子供ではなかったから、
その努力が大人になってどんな力を発揮するのかわからなかった。
でも今なら少しわかる。
努力っていうのは自分の将来の為にするものであって、その時歯を食いしばって頑張った「何か」は今後自分の支えになる。
ずっと楽しい生活なんて送れない。
ずっと「最高だ!」なんて思えるような人生なんか嘘だと思っている。
誰しもそれなりの波があって、色々な事を考えながら乗り越えていく。
努力や我慢の先にあるひと時の喜びに歓喜したい。
どんなに過去に想いをはせたところで時間は戻らないし、結局過去の自分が今の自分を作っている。
楽しかった思い出よりも、辛かった思い出だったり、何かを乗り越えようと立ち向かった思い出だったり、嫌な思いだったり、恥ずかしかった思いの方がしっかり覚えていたりする。
そういう想いで今の自分が作られている。
進んで辛い想いを選択する必要はないと思うけど、
今、「辛い」と感じていることがあるのなら、
それは、
目の前にある困難に対して考えたり、思いついたり、立ち向かったり、避けたりしながら未来へ向かって生きている証拠だと思う。
乗り越えるとか乗り越えられないとかはどっちでもいい。
結果はどちらでも良くて、今「困難を感じる」のは先に向かって生きているっていう証明。
私はそれが努力じゃなきゃ一体なんなんだと思っている。
どんな過去を持っていようが、そこから学んだり、得た経験から、今を一生懸命生きる方が大切。
子供の頃は「過去が少ない」から今の方が大切だと思うに決まっている。
過去が少ないのだから勝手に今を生きるに決まっている。
過去が少ないのだから経験も少ない。
失敗するに決まっている。
辛い想いをするに決まっている。
それを経て、今どうやって生きるべきかを導き出すのだと思う。
間違いなくあの時の自分が今の自分を作っている。
今、この時から、どんな経験と努力を積み重ねていくかの方が大切だと思っている。
過去のネガティブこそ今のポジティブの切っ掛け。
これからのポジティブを作るレシピ。
壊して作るの繰り返し。
失敗すると、新しい考えを持ったり、チャレンジする気持ちが生まれたりする。
「諦める」もその一種だと思っている。
諦めると違うことを考えようとする。
得意な事を探そうとしたりする。
何かに失敗したり、反省した過去があると、次はそうならないように努めようとする。
積み木は細く高く積み上げていくと、いずれ崩れる。
バランスが保てなくなる。
それでも無理をして上に積み上げようものなら崩壊。
また作り直す。
「次は土台をしっかり作ろう。」
そうすれば総崩れしなくて済む。
慎重に積み上げていく。
でもどこかでめんどくさくなって、また途中から細く高く積み上げる。
また崩れる。
次はしっかり土台が残っている。
だからそこから積み上げ始める。
結局気が付く。
土台はしっかりしていた方が良い。
作っては壊してを繰り返している内に壊れない方法を見出したりする。
壊れるのはネガティブだけど作り直すのが簡単になったのはポジティブ。
仕事や人間関係も同じだと思う。
壊しては作ってを繰り返したりする。
中には初めから慎重に崩れないように作っていける人がいる。
進むのが遅いように思えても将来的には立派になったりする。
性格みたいなものだから結果的にどっちがいいのかわからないけど、
土台はしっかりしている方が安心なのは間違いない。
私はもちろん細く高く積んで崩壊させてきた。
崩壊させる内に土台を作る術を覚えた。
経験。
「壊しては作って」を繰り返して今があるのなら、それはそれで良しとしよう。
初めから土台が大事だなんてわからなかった。
バカはバカなりの考えを持って、苦悩しながらやっていく。
一度ぶち壊した数々の仕事や人間関係も、改めて土台をしっかり作りながら大きくしていく。
「また1からやり直す選択」はいつも持っていた方がいい。
じゃないと崩れた時に立て直すのが大変になる。
総崩れになる前の過去にすがっても戻ってくるわけじゃない。
かと言ってシンプルでもない。
世の中は複雑に出来ている。
だから積み木を積み上げていく程簡単なものでもない。
予想通りに進まない。
考えなくてはいけない。
考えながら積み上げていかなくてはいけない。
目に見えて、明らかに土台が作られているようでも、見当違いの場所に積み上げているかもしれない。
自分で崩さなくちゃいけない時もある。
自分を客観的に見なくてはいけない。
自分一人で世界が成り立っているわけじゃない。
だから自分が今積み重ねている積み木が周りの人から見たらどう感じられるのかを知らなければならない。
それが考えなくてもうまくいく人もいる。
それはセンス。
そもそも携わっているもの。
積み木のサイズ感が違うようなもので、そもそも大きな積み木を持っている人は縦も横も素早く、大きく積み上げていけるのだと思う。
私には特別な才能はない。
だから見当違いの考え方で積み上げたものが「何の価値もない作品」になったりする。
それは自分を客観的に見れないから。
世の中がどんな風に成り立っていて、今必要とされているものがわからないから。
それでも小さくて細い積み木で積み重ねていかなくちゃいけない。
それをやめてはいけないんだと思っている。
どんなに小さくて細い積み木でも、
時間をかければ頑丈に積み上げられる。
知って、考えて、努力する。
ダメで、知って、壊して、もう一度、考えて、努力する。
私はそうやって「今」を一生懸命積み上げている人を応援したい。
そしてそれを応援してもらえるような人になりたい。
人は何度でもやり直せると私は信じている。
それは才能なんて関係ない。
才能を超える努力だと思っている。
どうか感想をください。