「悔しい」想いは大切に育てたい大事な感情だ

メンタル

悔しくて食事が喉を通らない。

圧倒的な敗北を味わった時。

今の自分の力では到底太刀打ち出来ない時。

悔しくて悔しくて涙が出てくる。

 

予想外。

 

単純に予想以上の事が起こった。

だから対応する術を知らなかった。

泣き崩れるか、当分凹んだまま生活を送るか。

 

少し時間が経つと立ち上がってみる。

 

やっぱり悔しいから頑張ろう。

頑張って見返そう。

もう一度チャレンジしよう。

 

恐らく悔しい想いをしていなければこんな奮起はしなかった。

 

誰かをぶん殴るわけじゃなくて、

誰かに文句を言うわけじゃなくて、

自分が圧倒的な力を身に付けることで見返す。

 

それはお金だったり、

技術だったり、

なにかしらの結果を見せつける。

 

その日が来るまで努力し続けてやろうと思った。

 

今は何を口で言っても結果が出ていない。

だから圧倒的に強い力を見せつける為には結果を出さなければならない。

自分が敗北を感じた以上の結果が必要になる。

 

今、まさにその真っただ中。

 

まだまだこの闘志を消してはいけない。

まだまだ出来る事がある。

まだまだやれる。

 

悔しいから。

人は力をつけていくのだと思う。

悔しいから。

もうこんな想いはしたくないと思う。

 

悔しくなかったら、余裕ぶって、何も学ばず、何も挑戦せず、わがままなことが口から出るだけ。

 

せっかく悔しい想いをしたのだから。

 

大切に扱ってやりたいと思う。

 

取りあえず食事は摂ろう。

 

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あの時の悔しさが糧。

悔しくなきゃ。

あまりに悔しくて、戦意喪失。

泣くのも疲れた。

やる気も起きない。

一つのことで感じた悔しさが、まるで「全部だめ」と言われているような感じがする。

 

超落胆する。

 

一度は落胆して、なんにもやりたくなくなって。

「振出しに戻る」みたいな感覚になる。

 

そもそも自分には自信があったのかもしれない。

どんなことがあっても、それなりに出来ると思っていたのかもしれない。

でも全然ダメで、圧倒的な敗北感を感じた。

それに対しても「絶対に見返してやる!」ってやる気になって、

努力して、頑張って、また悔しい想いをしたりする。

 

「振り出しに戻る」みたいな感覚になる。

 

こういうのを繰り返していると、

「振出しに戻るだけ」だと気が付く。

 

悔しい想いは何度もしたし、もう味わいたくない痛みを伴うけど、

何度も悔しい想いをすると、振出しに戻るだけ。

 

結局マイナスになることはない。

 

自分がこれまで積み上げてきた努力もちゃんと残ってはいる。

強くてニューゲームが選択出来るようになる。

もちろん目標は悔しい想いに対して圧倒的な結果を見せつける事。

 

知らない間に自分が頑張る理由になっていたりする。

 

あの時の悔しい想いが、気が付けば自信を持つきっかけになっていたりする。

失敗することも負けることも、

慣れたわけじゃないけど、繰り返すとリベンジまでの距離感は短くなる。

 

振出しに戻っただけ。

 

そう考えられるようになった時にはもう、

悔しい想いを力に変えている。

 

あの時の悔しさこそがパワー。

その時の悔しさがあったからこそ振出しに戻れた。

 

もう一度、チャレンジするチャンスが与えられた。

 

もし見返す事が出来るのなら。

それはそれで戸惑うと同時に大きな達成感が味わえるかもしれない。

 

全部、

悔しかったおかげなのかも。

 

力に変える。

気が付けば、あの時の悔しかった想いは今、力になっている。

誰かに認めてもらいたかったり、誰かを見返す程の結果を求める原動力。

 

小さい頃に親や兄弟や先生に認められたかったり褒められたかったりする想いと似ている。

 

自分の価値を示したい。

悔しい想いをするとその逆の感情が働く時がある。

自分が情けなくなったり、力の無さに落胆する。

 

良く考えると、

悔しい想いがあるからこそ、

褒められたかったり認められたかったりするのかもしれない。

 

私には、悔しい想いが必要で、それを力にしている瞬間がある。

 

決して悔しい想いを楽しみにしているわけじゃない。

出来るのなら褒められたい。

出来るのなら認められたい。

でもそれがうまくいかないからこそ悔しい想いをする。

 

そもそも褒められたかったり、認められたかったりの想いが無ければ悔しくもない。

 

悔しいっていう気持ちが生まれるにはそれなりの理由がある。

その理由が自分のプライドなのか、そもそも自信があったことなのかわからないけど、

「悔しい」っていう想いが根源のような気もする。

 

力を示したい欲求が生んだ感情だと思っている。

 

力を示すきっかけをくれる感情であれば、大切にしたい。

新たな目標が生まれる瞬間が「悔しい想い」であればもうどうしようもない。

その目標に向けて頑張ってみる。

 

力を示した自分を想像しながら努力する。

 

私は悔しい想いが今後自分の力になると信じている。

 

想像力。

自分が力を示して、誰かに認められる姿を想像する。

その想像力が現実に近い程、または近くなる程やる気が湧いてくる。

悔しさを持たないやる気は、意外に持続しなかったりする。

認められたくないのに頑張る努力は、身にならなかったりする。

 

本当は出来るのに、やらない。

 

あと一歩が頑張れない。

それは想像力の差だと思っている。

新たに作り出した目標に対して、努力する。

それは誰にでも出来る。

 

でも努力の度合いが違う。

 

わざわざ背水の陣を作り出す必要はないが、

その状態の方が「後がない」から頑張れたりする。

むしろ頑張るしか選択肢が無いのだから頑張る。

その時の頑張りと、余裕がある時の頑張りではもたらす結果も違う。

 

背水の陣ではないが、そのくらい追い込まれているような状態を想像出来る方が自分の力を120%出せたりする。

 

毎日120%の力で努力出来ればおのずと結果は変わってくる。

現実に近い想像力を持つ。

私はすごく大切な事だと思っている。

あの時味わった悔しい想いは、その後の結果をよりリアルに想像させてくれる。

 

その想像力がリアルになっていけばいく程、力を増していく。

 

圧倒的な力を身に着けて、誰かに認められる自分。

そこからさらに大きな目標へ歩んでいく自分。

今はまだ叶えられないものが少しずつ叶っていく。

大きな目標へ向けてどんどん変わっていく。

 

人はいきなり大統領にはなれない。

 

小さな結果を積み上げて、大きな結果に辿り着く。

その結果から信頼を掴み、多くの人から認められる。

応援されなきゃ成り立たない。

 

誰もが応援したくなるような人にならなくてはいけない。

 

悔しい想いを味わって、いつまでもネガティブを引きずっている人を誰かが信頼するだろうか。

悔しい想いを味わって、全てを諦めてしまう人を誰かが認めるだろうか。

 

大統領になりたいわけではないけど、

悔しさを力に変えて、叶えられるとリアルに想像する。

 

自分の力はまだ50%しか出せていないと想像する。

まだまだやれるとリアルに想像する。

 

多くの人に認められる姿を想像する。

多くの人に応援してもらえている姿を想像する。

 

現実に起こり得ると想像する。

 

想像した現実に向けた努力こそ大きな結果をもたらす力になる。

 

悔しいからこそ考える。

あんまり悔しいから、ただ我武者羅に頑張ってみる。

全てが無駄とは思わないがそれは効率が悪い。

 

悔しい気持ちを上手に力に変換した方が良い。

 

例えば、今、腕相撲で負けた悔しさを味わっているとしたら、

単純に腕の筋肉を鍛える。

筋肉粒々になれば勝てると考える。

それは間違っていない。

 

でも、「腕相撲に勝つ」だけが目的だとしたら、

もっと早く結果が出せるかもしれない。

 

筋トレの結果を出すにはそれなりの時間がかかる。

トレーニングがその努力や頑張り。

ただ、力の入れ方や効率の良い筋肉の付け方を知るのも立派な努力だと私は思っている。

 

ただ我武者羅にトレーニングをするよりも、

より早く「腕相撲に勝つ」にはそういった努力や頑張りも必要だと考えている。

 

我武者羅にトレーニングを繰り返すよりも効率的に素早く結果を出す。

 

だから考える。

悔しいからこそ考えて、最短で見返す方法を見つける。

 

それも努力。

それも頑張っている。

 

一生懸命の形は数多くあって、

すぐに結果を求められるシーンばかりかもしれないが、

結果的にあっという間に成果を出すような人は信用されるし認められる。

効率よく、素早く力に変えていく。

 

あの時の悔しさが今も残っているのなら、

せっかくの力の源なんだから、

すぐに結果を出す為にも、

考えて、想像して、

大事に育ててあげたいと思う。

 

誰もが驚く程の結果を出してやろう。

 

私にとって、「悔しい」ってのは、絶対に必要な感情。

これがあるから強くなれる。