リターンライダーという言葉。最高だ。
20代前半まで様々なバイクに乗った。
4気筒単気筒。
ビックスクーター。
ネイキッド。
乗った。
買い換えるために働いているのではないかというくらいに乗った。
それが40代になるとなぜかもう一度乗りたくなる。
まだ買ってない。
なぜなら今の私にとっては贅沢な遊びである。
でも乗りたいのだ。
地域にあるバイク屋に足を運んでは「いつ買うんです?」と言われる。
いやー。まあ。欲しいけどねー。というか乗りたいけどねー。
と言いながら見る。
またがると買ってしまうような気がして見てるだけ。
だって買ってしまったら乗るしかなくなるし色々カスタムしたくなるわけだ。
そうなったらもう止まらない。
リターンとは言え、まだまだ現役バリバリなわけで今バイクを趣味にするというのはそれなりの覚悟がいるわけで。
リターンライダー的バイクの魅力。
男なんていうのはタイヤが付いてればなんでも興味があると言われている。
でもそんなことはない。
バイクなのだ。
車も好き。もちろん好きだ。
でも今はバイクなのだ。
もうバイクのことで頭がいっぱいになる。
中古車情報なんて毎日のように見る。
欲しい。でも買わない。
それを5年くらいはやっている。
新型のバイクが出るとどうも気になって色々調べてしまう。
そうやって想いを馳せるのだ。
新型も魅力的だがやっぱり当時乗っていたバイクが気になる。
デザイン的な問題もある。
最近のはなんだかちょっとヘッドライトのあたりが不思議な感じだ。
別に嫌じゃない。
嫌じゃないけど年代的に「THEバイク」のデザインではない。
なんだか所有感を満たされない。
確かにスクーターという選択肢もある。
いい歳してそんなにスピードを出すわけではないから「便利、楽」に重点振る作業も必要か。
そう思ってまた調べる。
でもなんかしっくりこない。
でもTMAXというスクーターというのかわからないがあのデザインは好きだ。
新しいけどなんか魅力的。
新車で買ったら我が家は破産。
そういうとバイク屋は決まって「ローン」を推してくる。
わかるのだがね。
ランニングコストなのだよ。
バイクを持つということ自体がもう携帯を後二つ持つのと同じなのだよ。
「Z900RS」もいい。このバイクもかっこいい。
新車で買えるのになんか思い出させてくれるデザイン。
カフェスタイルもある。
これもまたかっこいい。
カッコイイ。
欲しい。
リターンなんだから排気量は小さい方がいいんじゃないか。
そう相談するとバイク屋は決まってこういうのだ。
「乗れるでしょ。」だけ。
そういう感覚はバイク屋にしかわからん。
まだまだ不安な私の心まではわかるまい。
正直バイクが欲しいだけかもしれない。
乗れるとか乗れないとかの問題ではなく。
あのかっこいい乗り物を所有したいだけなのかもしれない。
排気量が小さいと所有感は間違いなく半減するのだ。
今バイクに乗っている人にとっては全く考えないこの所有感というのはリターンライダーにとってはすごく大事だ。
むしろまだリターンライダーでもない。
何しろ買ってない。
丘リターンライダーだ。
でもきっとわかるはず。
10年以上も前にバイクに乗っていて、その魅力を存分に味わったことがある丘リターンライダーであればわかるはずなのだ。
間違いなく所有感は必要である。
むしろ所有感がなければただのバイク乗りである。
リターンライダーは乗りたいバイクにまたがり休日に最高の日を迎えるのだ。
風を切るとかそういうのはどうでもいい。
バイクを持っている所有感と週末に乗るこの時間だけでいいのだ。
雨ならどうする。
本当に乗りたいと思っていないバイクを眺めるのか?
眺めない。
いや、眺めたいのだ。
眺めても楽しい。
それが所有感そのものに繋がるのだ。
だとしたらそんなに長くもない残りの人生の中で一番欲しいデザインのバイクにまたがりたいと思う。
私はまだ買ってない。
買う前からやっぱりそこまで考えてしまう。
乗りたくなくなったら乗り換えるみたいな考えはない。
大人になったわけでもなんでもない。
ただ、お金の問題がいつも目の前にあるからだ。
問題はお金だけではない。
家族があればまず反対されるだろう。
丘リターンライダーの問題。
一度リターンライダーになってしまえば別に家族との折り合いはついているだろう。
それならいいのだ。
でもこれからリターンライダーになろうとしている人は違う。
本気で大きな問題である。
一家の財務省という存在を説得し、尚且つ安全面を主張。
問題は山積み。バイクが欲しい気持ちも山積みだ。
家族の説得と納得。
家族の理解と納得が無い限りまずリターンライダーは成り立たない。
「別に黙って買えばいいのに」と思うかもしれないが、そういうものなのだ。
理由などない。
「そういうもの」なのだ。
財務省を司る布陣(婦人)にどう納得してもらうか。
大問題である。
何かを犠牲にするのか。
力でねじ伏せるか。
泣き落としか。
ロマンを語るか。
どれでもいいがその許可を得ていなければ買うどころの話ではない。
そもそも「どのバイクにしようかなぁ~」と鼻の下を伸ばしている場合ではない。
「買う」がNGならもうバイバイなのだ。
どんなにこっちの気持ちが「BUYBUY」でもだ。
お金だけの問題ではない。
家族があれば間違いなくその安全面も問題だ。
保険に入っているから大丈夫ということでもない。
単純にバイクは車と比べて危ないと考えられているのだろう。
実際にバイクに乗って過去に事故を起こしているのなら尚更。
安全面の説得などそう簡単に通らない。
通るとすれば気持ちだけだ。
気持ちだけは伝わるだろう。
運転技術。
果たして自分はリッターバイクを持ち上げることが出来るのか。
エンジンがかかっていなければあんな乗り物はただの鉄の塊だ。
それをちゃんと自分で操れるのかどうかはかなり大きな問題と言えるだろう。
でも大丈夫。
心配なら今はリターンライダー教室なるものも存在する。
教習所。
あの時あご紐がゆるゆるで本気で怒られたのを覚えている。
トラウマだ。
ちょっと怖い。
それでもリターンライダー教室はやっている。
と、いうことは需要があるのだろう。
更に私のように潜伏している丘リターンライダーを含めたら需要があって当たり前なのかもしれない。
それでも自分が好きなバイクに乗りたい。
今すぐじゃなくてもいい。
何かを頑張った自分へのご褒美でも構わない。
それでも乗りたいと思ってしまう。
定期的に。
若者の車離れとはまた違うかもしれないが、それとは逆にリターンライダーが増えているとなると相変わらず時代は巡るものなのかと考えてしまう。
ぶんぶんぶん回す乗り方をしたいわけではない。
たまにはこっそりそれもやりたいがエンジンにタイヤ。
なんてシンプルな魅力だ。
ずっとシンプルだ。
デザインもやっぱりシンプルでかっこいいのがいい。
何度も何度も「欲しい」「乗りたい」を繰り返す。
これは何でかわからない。
でも一度買ってしまえばそんなことは考えなくなるんだと思うのだ。
きっと自分の中の所有感が満たされればこの衝動は無くなる。
その気持ちが無くなってしまうのもなんだか寂しい気持ちになる。
一年に12回は「バイクに乗りたい!ほしい!」となるこの感覚。
リターンライダーになれてもいない状態。
そういう人はもっといると思う。
もはやリターンライダーに憧れる人だ。
買ってもいない。
乗ってもいない。
ただほざいているだけなのだ。
男らしい乗り物に乗りたい男らしくない男。
でもそれをなぜか何度も何度も定期的に繰り返してしまうのだ。
買うまでこの衝動は続くのだろう。
リターンライダーの準備期間。
それが長い。
そういう人は必ずいるのだと思う。
ずっとバイクに乗る日に思いを馳せ、今もまだバイクは持っていない人。
バイクを持てる条件には住んでいる場所も、バイクを置く場所もある程度選考の対象になる。
駅前のマンションに住んでいるだけでバイクを持ったところで置き場所に困る。
高級外車なんて買った日には盗まれるかもしれない。
それでも欲しい。
だとするとそれなりの防犯設備が整った場所に保管するしかないのだ。
乗りたいバイクに乗るっていうのはそういう部分まで考えなくてはいけない。
むしろそういったことを考えるだけでもなんだか現実味が帯びて来てワクワクするのだ。
それも含めてもやっぱりバイクが欲しい。
そう思わせてくれる。
先にリターンライダーになった友。
そこから得る情報は実にキラキラしている。
もちろん気を付けなければいけない点もある。
とにかく一緒にインカムを付けて走ると楽しいらしい。
もし今バイクに乗る事を誰かに誘われているのなら一緒にツーリング、または日帰りのプチツーリングに行く機会があるだろう。
その機会に是非インカムを使いたいらしいのだ。
インカムの効果は絶大らしい。
「とにかく楽しくなる」とゴリ押しされた。
バイクは誰かと一緒にツーリングに行ったとしても基本的に走るのは一人だ。
それにヘルメットもしている。
ちなみにインカムを付けるならフルフェイスが風の音もなくなるのでお勧めらしい。
ヘルメットをしている状態でツーリングをしながらの会話と言えば信号待ちでバイザーをガシャっと開けて道の確認をするだけだ。
基本的に自分のバイクとその走りを楽しむだけ。
それだけであればツーリングに行って共有出来るのは同じ道を走って目的地に着く喜びだけのようなもの。
それがインカムを付けることによって、常に会話をしながらツーリングを楽しむ事が出来る。
そうなると話は別なのだ。
メットのバイザーをガシャっと開けるわけでもなく、信号待ちじゃなくても高速を乗る時でも一緒に走るという楽しみを最大限に楽しむことが出来る。
例えば前で走っている仲間のバイクのウインカーが付いている時。
走っていればそれを伝えたいけど伝えられない。
でもインカムがあれば「お前だけ次曲がるのか?わははー。」と楽しみながらそれを伝えることも出来るのだ。
何とも最高な時間。
インカムがあると一人で走るよりもツーリングをする方が楽しくなるらしいのだ。
瞬間の共有が可能になった。
最高じゃないか。
乗りたくなるじゃないか。
もし今リターンライダーへ誘われているのなら是非インカムの選択肢を持っていてほしい。
リターンライダーの装備。
グローブもライダースーツも持っておく方がいい。
若い頃は万が一の装備などしていなかったかもしれないが、それなりに老いた体にはバイクという鉄の塊は重い。
立ちごけというかっこ悪いことなど普通にあり得る。
もしバイクを買ったならダサいかもしれないがエンジンガードくらいはつけておいてもいいかもしれない。
欲しかったバイクが一瞬にして傷つく様を見たくはあるまい。
そして何よりも気を付けなくてはいけないのは雨だ。
若い頃に雨の中をかっ飛ばした記憶など美化されているかもしれない。
だけど思い出してほしい。
布を貫通するほどの雨の痛みを。
フルフェイス以外はすべて無駄だと思わせる雨の鋭さを。
薄着なら大粒の雨でマシンガンに打たれているようなあの感覚を。
そしてマンホールの恐怖を。
ウェットな路面でドライな走りは絶対にしない方がいい。
リターンライダーの事故が問題視されているのも事実だ。
十分に気を付けながらもその時の装備は常に考えておかなければいけない。
ちなみに雨でもインカムは問題なく起動し続けるようだ。
たまにどこかのラジオの電波かなにかが邪魔をして離せなくなる瞬間があるくらいだそうだ。
さあ!取り戻そう!
我らがバイクライフを。
本当に欲しい車なんて法人しか買えはしないのだ。
そんな風に作られている。
でもバイクはどうだ。
100万に少し毛が生えたくらいの出費で本当に乗りたいバイクに乗れる。
そして高速のサービスエリアで「いいっすねぇ。」という声かけ。
何の意味があるかわからないけどあなたがこれから買おうとしているバイクを「ほしい!」と思っている人はたくさんいる。
しかも乗ろうと思えば乗れる条件が整いつつあるはず。
リターンバイクの手前。
この期間の楽しさをもう十分以上に味わったなら取り戻そうじゃないか。
今時ほとんどの人がリターンライダーだ。
週末の下りの道路なんて夫婦でハーレー。インカム。
なんて姿もチラホラ。
実に楽しそうである。
暖かくても寒くてもインカムがあればそれを共有出来る。
夫婦で一緒になんていうのも素敵だ。
運転技術に差はありそうだがもしかしたら奥方の方がとんでもないバンクを作って峠を駆け上がっていくかもしれない。
リターンライダーにはリターンライダーの乗り方があるのだろう。
「バイクに乗りたい」と十分に想いを馳せたのなら、次はバイクを所有して「ライテク」について想いを馳せるかもしれない。
リッターバイクを自由自在に乗りこなすオッサンは最高に素敵だと思うのだ。
超絶かっこいいオッサンの必須条件は「バイクに乗っている」に違いない。
どうか感想をください。