私が住む村は米作りに最適な気温と土壌が揃っていると言われている。
物心ついた時には家族総出で米作りをしていた。
お米を作って生活を支える。
私たちが作る美味しいお米はいつも多くの人に求められていた。
買い手が多い。
国のお偉いさんの耳にもその美味しさが届き、年貢として納めるように言われた。
その量は一年で作れるお米の半分であった。
ただ、私たちはお米を作る事で生活を支えている。
「美味しいから年貢として納めろ。」
高い評価を頂けるのはうれしいが、一年の半分を収めれば私たちの生活が苦しくなる。
美味しいお米を作れば作る程貧乏になってしまう。
「大変申し訳ないのですが、生活が出来なくなってしまうので年貢として納めるわけにはいきません。お引き取りください。」
家族がこれからも幸せに暮らす為の選択であった。
数日後、お侍さんが揃ってやってきた。
「1年の半分ではなく、4分の1で構わない。収めよ。」
収めるべきか。
断るべきか。
作った米を収めることで得られるのはお偉いさんの評価とある程度の家族の安全。
お米の収穫は一年に一度。
冬を越す為に蔵に米を貯蔵しておく。
貯蔵した米で冬を凌ぎ、春になる頃に苗を育てる。
今は12月。
つまり、お偉いさん方は「貯蔵してある米をよこせ」と言っている。
来年、土地を広く耕して、多くのお米を育てられるようにすれば年貢として納められる。
その分家族の労働量は多くなる。
だけどお侍さんが来たというのは武力で奪う前触れでもある。
奪われるかもしれない。
「お侍さんが来た」事実はあっという間に村全体に広がる。
私たち家族だけの問題ではなくなる。
村の一大事。
お米を魚に、魚をお米に、お米を野菜に、野菜をお米に。
私たちは支え合って暮らしている。
それを武力で強制的に奪いに来る連中がいる。
決断。
多くの村人で話し合いをする。
ある村人はお侍が言う「農民」という言葉が気に入らないらしい。
「そもそも我々が農民と決めたわけではない。農民というのはお偉いさんが決めた言葉だ。」
人である事を主張し、同じ人であるなら断る権利は持っていると言いたいようだ。
でもそれで断り続ければ武力で奪いにくる可能性がある。
その時の備えをどうするか。
「武力を持つべきだ。追い返す武力が必要だ。武器を持つ。鉄なら私が作る。」
農具を作る仕事をしている村人が言う。
武力行使を受けた時、私たちの選択は「従う」ではなく「抗う」べきと言いたいようだ。
抗ったところで結果は見えている。
戦ったところで私たちの生活が守られるわけではない。
「こんなに美味しいお米を作るべきではなかった。」
全ての発端は私が美味しいお米を作ってしまったから。
その美味しさが噂になって広がり、実際に口にしたお偉いさんが目を付けた。
その噂は村を超え、自分たちが住む国だけではなく、隣の国にも広がり、そのまた隣の国にも広がり始めた。
美味し過ぎるから。
こんなに笑える罪はない。
くだらない。
年貢は納めない。
それが村の決断。
交渉。
ある日、隣の国のお侍さんが村にやってきた。
「この村のお米が美味しいと我が国でも噂になっている。」
ありがたいことにお米を買う交渉に来たらしい。
遠路はるばる。
コソコソと他国の村へ。
美味しい米が欲しいから。
リスクを冒して国境を越えてきた。
お米のバイヤー侍。
「飯を振る舞おう。」
村長がニヤニヤしながら言っている。
その日、他国の侍にとびっきり美味しい「飯」を振る舞った。
「この村は米だけじゃなく、魚も、野菜も美味い。何を食べても美味い。うま過ぎる。」
村人は大いに笑う。
お米だけが美味いわけではない。
この村で作る全ての「食」が美味い。
村長が今この村で起きていることを全て話す。
「他国のお侍さん。今この状況をどう思いますか?」
お侍は大いに笑う。
美味しいものが欲しくて戦争をしようとするお偉いさんにも、それに抗おうとしている村人にも笑う。
「また美味しい飯をご馳走してくれるなら武器でも兵でもいくらでも貸そう。どうする?やるか?」
お偉いさんが欲しいのは美味しいものが作れるこの場所や土地である。
本当は米だけじゃなく、全てのものが美味しい。
それを自国のお偉いさんが知らないわけがない。
お米に狙いを絞って「年貢を収めよ」と言ってきた。
「土地が欲しい」のに、「米」をよこせと言ってきた。
米の量が足りない事もわかってた。
戦争がしたいわけでもない。
上手に「美味しいものがある土地」を奪いに来た。
独り占めしたいのだ。
村長は知っていた。
「また他国のお侍さん方にも美味しいものを振る舞いたい。その時に他の国の美味しいものについても教えてほしい。それか、持って来れそうならそれが食べてみたい。」
お侍さんは笑いながら「任せろ」と言った。
美味しいものには多くの喜びがある。
こんなに楽しい解決方法はない。
年貢は納めない。
代わりに多くの人を喜ばせよう。
それが村の決断。
条件。
数週間後、また他国のお侍さんがやってきた。
「美味しいものを持ってきたぞ!」
満面の笑みではしゃいでいる。
村人はそれを美味しく頂いた。
村中に衝撃が走る。
牛肉の美味さにビックリした。
米の消費量が一気に上がる。
村人は考えた。
牛を育てる方法を学びたい。
その代り美味しい飯をご馳走する。
お土産も持たせる。
「兵を借りたいのですが協力してもらえませんか?」
村長が言う。
牛の飼育方法を知っている人を貸して欲しいということだった。
人は美味しいものが好き。
お侍も、村人も、お偉いさんも村長も。
美味しいものを食べると自然に笑顔になる。
お侍が条件を伝える。
「この村の米の育て方を知っている人を貸してくれ。」
交換条件。
…。
もちろん私が行く事になる。
恐らく2年はかかるだろう。
出稼ぎに行くようなものだが、それが村を守ることにもなる。
条件や期間を決めて知識を持つ村人をトレードする。
面白い条件だと思った。
というよりも美味しいものにはそれだけの力があるのだと感心した。
お侍さんが村を発つタイミングで私も一緒について行くことになった。
結局農具の使い方や人手を考えて家族全員で。
家族旅行のような感覚になる。
数日後、他国の村に到着して早々思う。
他国の土…。
思ったよりやりがいがありそうだ。
美味しいものを教え合う。
交換する。
それを作る方法も教え合う。
交換する。
年貢は納めない。
それが村の決断。
価値
「美味しい!」と思えるお米が作れるまで結局4年かかった。
村の様子は度々お侍さんが伝えてくれていたが、向こうは向こうで大変な思いをしているようだった。
私たちが得たものは牛の飼育方法だけではない。
どんな土地でも美味しい米が作れる方法と他国の協力。
「美味しい」で協力し合って互いに絆を深めていく。
私は毎日毎日お米の事ばかり考えていた。
息子に関しては稲刈りが誰よりも速かった。
娘が米を炊くと誰よりも美味しかった。
妻は苗を誰よりも大切に育ててくれる。
米バカ一家。
毎日米の事ばかり考えてたら結局こんなに遠くまで来てしまった。
今ではここでの暮らしも慣れ、多くの繋がりも得た。
翌年。
村ではさらに助っ人を増やし、より多くの米を作った。
いろんな土地から多くの助っ人がやってきた。
美味しいお米と美味しい飯があるから。
その方法を知りたかったり、他のものと交換したかったり。
理由は違っても協力し合うのは同じ。
年貢なんて余裕で納められるようになっていた。
有名になって、他国と繋がりを一層強くした。
数年後、年貢の代わりに「他国との繋がりを持ち続けて欲しい」と言われる。
その代りに多くの力自慢の助っ人が国内から集められた。
他国との繋がりが土地の価値を超えたのだろう。
お米だけじゃなく、その他の美味しいものもどんどん作れるようになる。
更に多くの人が訪れるようになる。
人が増えれば問題も増える。
問題を治める人も必要になった。
多くの雇用が生まれて、人々はどんどん幸せになっていく。
「美味しいもの」には価値がある。
美味しいものが美味しいものを呼んで、さらに美味しいものになる。
私に出来るのは美味しいお米を作ることだけ。
お米の事ばっかり考える人生で何が悪い。
それだけで十分。
それだけで幸せに出来るものがたくさんあった。
私たちに武力はいらない。
お米があればそれでいい。
むしろ米しか作れない。
だから他に交渉の術を持っていないのです。
刀を持った侍には出来ないでしょうけどね。
どうか感想をください。