東京、六本木にはお金持ちが集まるバーがある。
店に流れる音楽は生演奏。
バーなのかクラブなのかライブハウスなのか。
お店にいるほとんどの客がお金持ちに見える。
大手企業の偉い人もしばしば訪れる。
有名人、著名人、時の人。
そういう人達にとっては近場にある「使い勝手の良いバー」といったところなのだろう。
張り付く週刊誌の記者。
成り上がりを狙うスタートアップ企業。
店を出れば多くの一般人。
同じ場所にあるのになぜか少し身を隠すような所にある。
目では見えているのに行く手を阻まれているような場所がある。
成り上がってやる。
上京。
これは自分への挑戦だ。
上京からの1年。
現実的がむしゃら。
勢いだけはあった。
大きな会社ではないが、仕事も決まっていた。
そこで得た知識や技術。
給料を使って自分への投資をしながら成り上がる算段を立てる。
「俺はこんなところでくすぶっているような男ではない。やってやる。」
自分に与えられた仕事をこなしながら成り上がる野望をメラメラと胸の内で燃やす。
23歳。
燃料は満タン。
がむしゃらになるのが成り上がりの原点だと信じている。
上京は一種の挑戦であったが、「全てが集まる場所」だとわかっていた。
そこで戦い続ける事、それこそ「成り上がりストーリー」の始まり。
無計画のように見えて、予想される給料から「家賃」「保険」「生活費」「嗜好品」まで計算。
現実的であった。
現実的な生活に「上京」という追加要素で夢を添えてやる。
「自分ならやれる。」
営業職という仕事がスタートした。
東京の人。
決して大手とは言えない営業会社。
コピー機を筆頭に様々な物を紹介して回る。
もちろん一度入れてもらった機械のメンテナンスも行う。
商品以外の相談にも乗る。
社長クラスの「お金持ち」にも多く出会うチャンスがある。
その機会は「金持ちの価値観」を得られるものであると信じていた。
「考え方」を教わるチャンスでもあった。
お金持ちの思考に興味があったのだ。
成り上がる為に。
だがそのチャンスはなかなか巡って来なかった。
入社後一年。
未だに見習いを脱っせない自分。
同僚は、
位を上げる者。
その場に留まる者。
辞めていく者。
成績の奪い合い。
不満も溜まる。
「自分はまだまだやれる。」
そう思ってた新入社員の自分は同僚の飲み会にほとんど参加していなかった。
尖ったフリ。
1年が経ち、角も取れ始める。
参加する機会が増えた。
「俺には野心がある!成り上がりたい気持ちがある!だから上京したのだ!東京人にはわかるまい!」
「…。」
同僚に純粋な「東京の人」は一人もいなかった。
自分の同僚は全て「上京した人」だった。
同盟。
あの日、遠吠えを響かせてからは同僚と酒を飲む機会も増えた。
仕事が終わった後。
休みの日。
暇な時。
地元がどんなところかっていう話をしながら妙に盛り上がったり、自分の今後の事を誓い合ったり。
上京して1年。
環境が変わってきている。
決して成り上がることを諦めたわけではない。
どちらかと言うとその気持ちを高めた。
それは同僚が「東京の人」ではなかったから。
今勤めている会社の社長。
「東京の人」ではない。
上京した人である。
この街は純粋な「東京の人」がほとんどいないのだろうか。
いても姿を現さないのだろうか。
東京にいるのに、純粋な「東京の人」に会う機会の方がレア。
ここはそういう場所なんだと思うしかない。
東京を支えているのは「上京した人」なのかもしれない。
東京を作っているのも「上京した人」なのかもしれない。
同僚達と語らいながら、成り上がる気持ちも使命感も増した。
「俺もやってやる。俺たちでやってやろう!」
同盟発足。
同盟発足から5年。
決断していく。
どんなに時が経っても、
辞めていく者。
転職する者。
結果を出す者。
結果を出せない者。
偉くなる者。
そういう同僚がいる。
どんなに歳を重ねても決断をしていかなくてはけない状況は訪れるのだろう。
上京したての頃。
「成り上がる」決心をした自分。
決心とは裏腹に決断する事は「成り上がり」から大きく迂回し始める。
成り上がる為の決断ではなく、自分が幸せになる決断を優先し始めた。
それは決して「成り上がる事を諦めた」わけではない。
幸せを感じる方への決断。
結婚することになりました。
これも一種の「成り上がる為の決断」なのでしょうか。
自分にはまだ、わからない。
手の鳴る方へ。
未だに成り上がる事にこだわりは持っている。
家族が増えて、守るものが増えて、成り上がるよりも安定を選ぶようになった。
安定というのは成り上がりとは逆のところにあると思っていた。
自分の敵である。
今もその考えは変わらない。
営業という仕事を続け、自分がどうやって成り上がるのか。
その具体的な方法や確実な方法は少しもわからないまま。
これから先、ずっと仕事を続けていればそれは見つかるのだろうか。
今、この街には、成り上がろうとしている人がうじゃうじゃいる。
わんさかいる。
夢や希望で溢れかえっている。
そういう街だと思っている。
上京という誰もが「挑戦といえば~」みたいな環境を求め、「成り上がりたい」という具体的ではない目標を掲げ、仕事を続け、結婚して、家族が増えて。
結局聞いたことがある、見た事がある、「家族」になった。
知ってる。
この生活は知っているのです。
子供の頃、自分の家族がそうだったように。
もう少し歳を取ればどうなるだろう。
田舎で暮らす選択をするのだろうか。
手の鳴る方へ。
こうなるとどこで、勝負をすればいい。
どう打って出ればいい。
余計にわからなくなる。
高熱。
妻が高熱を出した。
仕事中に連絡が来た。
実家からの助っ人は距離を考えても期待出来ない。
上司に伝える。
「病院には行ったのか。」
「薬は飲んだのか。」
「少し様子を見たらどうだ。」
「残っている仕事はどうする。」
迷う必要もない、簡単な決断であった。
「とりあえず子供も心配なので一旦失礼します。様子を見てすぐに連絡します。」
自分にとって「成り上がる」とはどんなことだったのだろう。
一生懸命仕事をして、お金を稼ぎ、さらに儲ける為に「仕掛け」を作っていく。
人生を手繰って、自分で盛り上げていく、挑戦していく。
今も成り上がることを諦めたわけではない。
挑戦することをやめたのではない。
本当に必要な事はいつも「心配な気持ち」が教えてくれる。
それに従って選択したことを後悔なんてしない。
間違ってない。
こんな時に「仕事を優先」させる事が成り上がりへの近道ならいくらでも遠回りしていいと思った。
いざ成り上がってもその結果を共有したいのは「家族」だ。
一緒に成り上がれた事を喜べる人がいないなら「結果」そのものが意味を持たない。
実に簡単な決断であった。
余裕だ。
安心してほしい。
成り上がる事を前提に上京して、今家庭を持って家族も増えた。
生活もそれなりに出来ている。
給料は一向に上がらない。
横ばい。
同僚も同じような奴がいれば上昇傾向の奴もいる。
営業なんていうのは結果が全てだ。
「良い奴」だけでは商売は成り立たない。
結果を出せばもちろん給料は増える。
わかりやすい世界だと思う。
仕事のやりがいを感じた事はあまりない。
ただ、今は家族を守らなくてはいけない。
頼りない答えだけど、大黒柱感はゼロだけど、家族だけは守りたい。
高熱の時を境に、上司に良い顔はされないが「全く結果が出せない人材ではない」と思われている。
自分でもそう思っている。
やれば出来る的な「あの」考え方。
夢や希望を持って上京して、現状はどうだろう。
いいザマだ。
自分でもそう思う。
自分が誓った「成り上がり」は少しも達成されていない。
むしろ後退しているような気さえする。
でもそれなりに生活はしている。
安心したまえ。
もしこれから上京を考えている若者がいるのなら真っ先に言うだろう。
「しろ。」
なぜなら、
夢や希望がなくても人が生きていけるように出来ているから。
俺がそれだ。
まだ諦めたわけじゃない。
でもどこかで満足している。
上京してからそろそろ10年が経とうとしている。
どうか感想をください。