我が子は「youtube見たいな~」とか「ベイビーバスが見たいな~」とか言う。
ベイビーバスは子供向けのyoutube内のチャンネルの事。
いつも決まったキャラクター達が教育や音楽を含んだ内容で様々な物語になっていたりする。
「しまじろう」みたいな感じ。
テレビでドラえもんやクレヨンしんちゃんがやっていれば見るし、別に「youtubeじゃなきゃダメ!」ってわけではない。
ただ、「いつでもデバイスとネットがあれば見れるもの」だから「どこでも見れる」って思っているのだと思う。
外にいる時は「テレビが見たい!」とは言わない代わりに「youtube見たい!」って言う。
たぶんわかっているのだと思う。
子供ながらにそれを理解していることが恐ろしいけど、結局まだ直感的に行動したり発言したりするものだからすぐに言葉にする。
言ってみる。
そして我が家にはクロームキャストというデバイスがある。
簡単に説明するとyoutubeがテレビで見れるツールっす。
これがあるから下手に大人の携帯端末やタブレットを操作することはない。
だけどいつでも見れるものだから少し暇になるとすぐに「youtubeでも見よっか!」みたいなことを言ってくる。
きっと我が家だけではないと思う。
携帯端末やタブレット端末に執着しているように見えるこの瞬間。
めちゃくちゃ多い子育ての悩みのひとつになったりしていないだろうか。
これは我が家の考え方。
youtubeというよりもネット動画と子供の繋がり方。
その辺の考え方をまとめておきたいと思う。
子供とネット動画の関係をどう考えるべきか
最近のyoutubeは規制が強めになってきた
そもそも私はyoutubeが大好きです。
だから子供がそれを好きになったとしても「そりゃ楽しいからな」ってどこかで思ってしまう。
だから基本的に反対ではない。
自分がいつも利用しているからこそyoutubeっていうプラットフォームがどのようなものか理解しているのも賛成派になる大きな要素のひとつ。
私の場合は子供向けのチャンネルを見るわけじゃないけど、大人向けというか、自分が好きなチャンネルだったり、自分が必要としている情報を動画として見るっていうイメージ。
子供の場合はyoutube内で「見たいもの」を探す技術や考え方がまだ無いと思っているから次から次へと関連動画を閲覧していく。
ただ、この関連動画っていうのが実はうまく出来ている。
youtube側はもちろん長い閲覧時間を得る為にやっているんだろうけど、見ている側も「まさに見たいやつ」が表示されたりする。
だから止まらなくなるんだとは思うけど、「見たいなー」って思わせるのだからさすがとしか言いようがない。
つまり子供の動画を見ていると「次に再生したいだろうと思わせる」ものが表示される。
そこに表示される動画も「子供が好きそうなもの」になっているから「変な動画」は出てこない。
極端な話、子供のチャンネルを見ている時に関連動画で「お金の稼ぎ方」とかは出てこない。
過激な動画も出てこない。
そして、最近は大人が「過激だなおい!」って思われる動画はどんどん削除されつつある。
このギリギリの線引きをyoutube側がやってくれている。
グーグルがやってくれている。
子供には子供向けの。
大人には個人的に興味がありそうなものを。
AI的な要素があるかもしれないけど、「過激」や「危険」についてはどんどん排除されつつある。
配信する側にとってはどう思われるのかわからないけど、育児をしている私達からすればそれはありがたいことだったりする。
大人になって、「これはダメだろう…」って思うものを子供には見せないようにする。
サービスを提供する側がそれを考えてくれている。
まだ完全に「こっちの思い通り」ではないけど、徐々に、誰もが納得のいく形になっていくんじゃないだろうか。
自分がyoutubeが好きだからってのもあるけどこのあたりはユーザー目線でしかない。
長くなりましたけどネット動画に文句は一つも出てこないってことです。
「飽きるまで」と「ルール」
テレビやネット動画を「全く見せない」考え方の人もいるんだと思う。
それが「悪いこと」だと認識している人もいると思う。
「時間を決めて見せる」家庭もあれば、子供が静かになるからと「際限なく見せる」家庭もあると思う。
どれが良いのかわからないけど、どれも100%悪いわけじゃないと思っている。
子供はまだまだ「私はこうしたい!」っていう主張が下手で、上手にやりたい事を伝えられない。
だから動画を一つ見せようが見せまいが、「伝える」が劇的に上手になることはない。
もし、今後子供たちが自分から「youtubeを見たい。その理由は○○だから。」とか主張出来るようになると、その時に改めて家庭の中で「どうするべきか」考えたいと思っている。
その主張が曖昧な間はそばにいる大人が「良い」と「悪い」を判断する。
大人の考え方も様々だから線引きもそれぞれ。
子供が自ら主張したり、自分の気持ちを正しく伝えられるようになるまでは親や周囲の大人が決めてあげるのだと思う。
我が家で大切にしたいのはまさにその時。
「子供が主張した時」ね。
飽きるまで見せようが、ルールを設けようが、いづれ子供が自分で考えて、「それ」を行うことでその先にどんな事が起こり得るのかを想像出来るようになってほしい。
それが想像出来るようになる一番の近道は何だろうって考えた時に、「実際にやってみる」とか「失敗する」とか「成功する」とかの「経験」から得られる感覚が最も頼りになるんじゃないかと思っている。
自分がやりたい事に対して一生懸命頑張る力を身に着けるのに、今「youtubeを見せるか見せないか」の選択を迷うことはそんなに大事だろうか。
緊急事態だろうか。
結局は子供らが自分で考えて、行動して、経験した影響力と比べると大したことはないんじゃないかと思ってしまう。
我が家の子供はまだまだ経験が足りない。
その時に規制ばかりしていても「自分がやりたい事の主張」が出来なくなってしまうのではないかと考えている。
今後、主張する場面があれば、それに対して親である私がしっかり反応して、「それがどうして見たいのか」とか「どのくらい必要なのか」とかも理解してあげたい。
理解した上で、私はどんな行動や発言をするべきなのか。
今はわからないから子供と一緒に考えながら解決していきたいと思っている。
ネット動画を見たからと言ってその主張が捻じ曲がることはないし、全くネット動画を見ないからと言ってその主張が捻じ曲がることもないと信じている。
自分の子供の主張が「ネット動画なんかに捻じ曲げられてたまるか」ってどっかで思っている。
子供が「主張」したことに対して真剣に向き合う覚悟があれば、ルールがあろうがなかろうが、 ネット動画だろうがそうじゃなかろうが、問題ではない。
未来なんて大人も子供も予想出来ないんだから、子供の主張から少しでも多く「自分の未来の為に何が必要か」を探していかなくちゃいけない気がしている。
そのきっかけが、「あの時ネット動画を見ていたからだ」でも「あの時ネット動画を見なかったからだ」でも、どっちでもいい。
どっちでも「自分が自分の未来を考えるきっかけ」になっているのならそれで良いと思う。
主導権
大人が映画を観る時。
画面やスクリーンを眺める時間はざっと「2時間」くらいだと思っている。
もっと短いのも長いのもあるかもしれないけど、映画ってなると大体そのくらいな気がする。
子供はどうだろう。
観たいものに対してどのくらいの時間を費やすだろう。
どの長さが一番正しいのだろうか。
30分。1時間。2時間。3時間。
私がもし映画を観ているとして、ずっと観たかった映画の途中で急に誰かの手によってその映像を止められたら、どんな気持ちになるだろう。
場合によっては「てめー!見せろやー!」って怒るかもしれない。
場合によっては「ちょうどいいところで止めてくれたわー」って感謝するかもしれない。
子供も一緒だと思うのです。
絶対に怒るわけでもないし、絶対に喜ぶわけでもない。
結局本人にしかわからない部分が多くて、それを規制してしまうことも出来るけど、本当に規制するのが正しいのだろうかと悩んだりする。
これの答えはまだまだ出ていない。
子育ての真っ最中だから。
でもこれから先、家族で一緒に生活をしていく中で「ちょうどいい場所」を見つけていくんだと思う。
大人になってもこれだけ迷うんだから子供が迷わないわけがない。
だから大人主導の時があっても子供主導の時があってもいいんだと思う。
大人が最優先では気が付かないことも、子供が最優先では気が付かないこともある。
これからも多くの選択肢がお互いの目の前に現れる。
その時の選択肢は自由に選べるけど、家族としての選択はみんなで一緒に決めたい。
主導権は「みんなが幸せだと感じる方向」であってほしいといつも願ってる。
未来のことはひとつもわかりません。
なにしろ子育ては初めてなので。
どうか感想をください。