起業や独立がかっこいいと安易に判断されるとサラリーマンの良さが霞む。こんなに素晴らしいのに。
サラリーマンがどれだけ楽しい生活を送ることが出来るのか考えたことが無い人に限って起業や独立を推す。
起業や独立のメリットを推す。
むしろサラリーマンのクラスアップだと思っている。
違う。
クラスアップではない。
考え方の違いだけでまるでフェーズが違うような言い方をするな。
起業や独立など関係なく楽しいのだ。
サラリーマンは楽しい。
サラリーマンの何が楽しいのか説明したい。
クラスアップする。
サラリーマンのクラスアップが独立や企業ではない。
ノウハウを持って一人で起業することを否定しているわけではない。
全く別の考えなのだ。
サラリーマンはその中でクラスアップをしていける。
それをサラリーマンの上級職が起業や独立だと考えられているのが謎である。
サラリーマンの中でもクラスアップをしていけば十分過ぎる程の富も名声も手に入る。
起業や独立をする人よりもはるかに早くそれを手に入れる人もいる。
クラスアップが明確になっている企業もある。
そのおかげで自分でやるよりも早いのだ。
それに乗っ取って結果を出していくだけでクラスアップするのだから。
どれを選ぶかではない。
サラリーマンの方が有利な条件など腐る程ある。
その一つがクラスアップ。
昇進だ。
自分だけでやっていればこの喜びを感じる事は出来ない。
会社は社会だ。
社会の中で注目され、仕事の結果次第で評価を得る。
楽しいに決まっている。
これはただの価値観だ。
でもサラリーマンの中でクラスアップ出来もしない人間が起業や独立を推すな。
サラリーマンの上級職は企業ごとに違うのだ。
それをあたかも独立したことが成功のように言う。
独立は始まりだ。
起業も始まりだ。
クラスアップじゃない。
スタートアップのリスクを伴いそれでも成功させる気持ちがあって初めて成立するものだ。
それをサラリーマンの上級職のように言ってはいけない。
サラリーマンの楽しみは企業の中では無限大なのだ。
それを新たに作ろうとしている人と一緒にするな。
共通点は「仕事をする」くらいなものだ。
休みも決まりがある。
職種にもよるが基本的に休みの日は決まっている。
これがどれだけありがたいことか。
もちろんサラリーマンの中にはその休みを返上して働く人もいるだろう。
それが暗黙のルールだったりもする。
ただ、それはブラック企業だ。
原則として会社が休みと決めた日は休まなければならない。
あくまで個人的に出社して仕事をする人はいるかもしれないが原則だ。
このありがたみはサラリーマンだからこそ得られる。
もし一人で仕事をしていたらどうだろうか。
休んだ分だけ給料が減る。
不安になる。
会社が休みであれば会社全体の利益は減るかもしれないが、それが決まりであり目の前の仕事を休みを含めてこなしていく。
毎日が同じように見えるかもしれないが、毎日を同じように過ごせることは退屈なのではない。
毎日同じような生活が出来るのはありがたいことだし恵まれていることなのだ。
イレギュラーはあれどほとんどが決められた仕事の中で決められた時間で行う。
これは幸せなことだ。
起業しても独立してもまず目指すのはそこなのだから。
すでにそれが与えられているサラリーマンの環境は有り難いことに循環が整っている。
起業や独立をして毎日違う時間に出勤して、毎日違う仕事をする方が大変だ。
でもそうではないサラリーマン。
恵まれているに決まっている。
ある程度の保証がある。
もちろん同じ企業で仕事をしていればその保証に変更が加えられることはある。
それでも「保障」があるのはありがたいことだ。
その保証ありきで仕事が出来るのだから。
退職金や有給休暇もそう。
大手の企業になればその他にも様々な保証がある。
その保証だけでも働く理由を見出せる人もいる。
起業は社員に対して安心を与える。
そうすることで社員が楽しく働ける環境を作っているのだ。
サラリーマンは楽しく仕事を続けられるように企業側が考えてくれている。
自分で考える必要はないのだ。
むしろ仕事だけに集中出来る環境というのは起業や独立をした人からすると羨ましい環境でもあるはず。
全てを自分でやらなくてはいけない環境と仕事だけに集中出来る環境。
これも個人差はあるがサラリーマンの方が仕事が楽しいと感じさせる環境は整っていると思う。
保証の量だけで企業が選別されることはないにしろ、そうでなくても社員になってからわかる保証に感謝する社員は多いはず。
保証はプラスアルファなのだ。
マイナスの要素など一つもない。
途中で変更になってもそもそもプラスなのだからそこまで問題にはならない。
「どの会社でも潰れる可能性がある」はいつの時代も一緒。
どんなに大手の会社でも潰れる可能性があるから手に職をつけておくといいと言われたことがある。
あっけにとられたが、それはどの企業でもいつの時代でも言われていいことだ。
手に職をつけるのは「会社が潰れる」のとは関係ない。
いつの時代も専門的な知識や自分にしか出来ないことにはメリットがある。
会社が潰れる可能性があるから手に職をつけるのではない。
いつでも向上心を持って手に職をつけるレベルで毎日の仕事に励むべき。
サラリーマンという一定のリズムで繰り返される生活があるからこそ手に出来る職はたくさんある。
むしろサラリーマンの方が手に職を付けやすいとも言える。
会社が潰れることを想定して入社する社員がいるのならそれはそれで迷惑な話だ。
サラリーマンは会社が潰れないように支える社員。
その為に毎日仕事をして会社の利益に貢献しているのである。
潰れる会社があるのは事実だが向上心のある社員が仕事に楽しみを覚えて毎日支えているのだ。
仕事に楽しみとやりがいがあって会社を支えようとしている社員がいる会社がそんなに簡単に潰れるだろうか。
経営陣の粗相が原因の場合の方が圧倒的に多いのではないだろうか。
それを想定して入社するだろうか。
たぶんしない。
どんな理由であれ、潰れることを想定して入社する社員はいないはずだ。
どこかの会社が経営陣の粗相で潰れる度に繰り返されるセリフ。
「どの会社でも潰れる可能性がある。」は当たり前の話をしているだけ。
やりがいを探せる。
サラリーマンをやっているだけで社会を支えているのは間違いない。
その時点ですでにやりがいを感じていてもいいくらいなのだが、社会となるとその範囲が広すぎて実感が湧かない。
だからやりがいを感じられなくなる人も出てくる。
そうなると独立だったり起業だったりの方が…と考える。
やりがいは独立をすることで手に入るのだろうか。
起業をすればやりがいを感じるのだろうか。
正確には今いる環境の中でベストを尽くせるかどうかの話であって起業や独立をきっかけにしたところで結果的にはやりがいを感じなくなってしまうのではなかろうか。
はっきりした「やりがい」を見つけることが出来れば話は別だが、やりがいが無いからサラリーマンを辞めるという選択は違う。
すでに仕事を与えられている状態であればそれにベストを尽くすことがやりがいなのである。
ベストを尽くした結果クラスアップの機会が訪れるのではないだろうか。
その前の段階で「やりがい」を新たに探すこと自体がもしかしたらナンセンスなのかもしれない。
仕事をする環境を与えられているサラリーマンにはやりがいしかない。
ベストを尽くせる環境がありがたいのだ。
向上心次第で学べる事はいくらでもある。
ベストを尽くす中で必ずこれから先学ぶべきことが見つかる。
向上心を持っていなければベストは尽くせないからだ。
毎日毎日何かに挑戦するわけではない。
繰り返しのように思える毎日の中で今後の自分に必要なものが必ず見えてくるはずなのだ。
それは同じような毎日の中でしか見出すことが出来ない。
例えば学校に通っている状態で将来の自分の為にどんなものが必要なのか考えたことはあるだろうか。
あれは毎日が同じように繰り返されているように見える生活の中で徐々に自分が変化しようとしている証である。
会社と学校を同じにしてはいけないが、毎日を繰り返していく中で自分を見出していくという環境は同じだと考えている。
その環境の中でさらなる進化を遂げる為に今後自分に必要なモノを見出すのだ。
それが起業であるかもしれないし独立という選択かもしれない。
はたまた会社の中のクラスアップなのかもしれない。
フェーズとは立場ではない。
考え方。
そしてその考え方と共に行動していく内に立場がついてくる。
今日一日の中でも自分が変化していることに気が付かなければならない。
毎日同じ繰り返しなのではなく、徐々に自分が変化していく。
そしてその度に新たな学びがあるのだ。
毎日死ぬほど頑張っても、そうではなくても繰り返す日常の中で必ず感じるものである。
サラリーマンは求められている。
多くの企業がサラリーマンを求めている。
助けてほしい。共に頑張ってほしいと考えている。
その状況でも人気な企業であれば応募も多い。
だから選考する。
だが基本的には「共に頑張る仲間」を探している。
それはどの企業も同じなのだ。
応募が多いから選考せざるを得ない。
その中から様々な個人的要素に点数をつけなければならない。
だから就職活動というものが存在する。
一か所に集まってしまえばその会社は人件費で潰れてしまうだろう。
だからコントロールする。
それでも新しい人材を常に求めている。
自分が働きたい会社で働く事が出来るのは幸せなこと。
一生懸命頑張って就職にありつければそれだけで幸せを感じる人もいるだろう。
だがそうではない人もいる。
正直に言ってしまえばどちらもサラリーマンなのだ。
必要とされている状況は全く同じ。
必要とされている以上企業はあなたの働きに期待しているわけでその期待に応えられるだけの力があればクラスアップするだろう。
サラリーマンは常に必要とされているのだ。
だからこそ「期待に応えやすい」状況なのである。
注目されている状態がずっと続いている。
そこで大きな力を振るうのか、それともそうではないのかで会社内で立場が変わるのは当然である。
当然の競争がそこで行われているだけ。
その環境が整うまでどれだけの時間が必要になるのか。
整った状態で招き入れてくれる会社。
そこに力を振るうべく入るサラリーマン。
完璧な構造が出来上がっている。
だからこそ力を振るえるのだ。
存分に自分の力を発揮出来る環境にいられることは「楽しい」はずである。
結果を楽しむ。
結果を出すことに楽しみを見出せれば最強。
与えられたステージ。
どのスポーツでもどの仕事でも同じ。
ステージはすでに作られている。
そのステージの上で活躍出来るかどうかは個人の手腕。
サッカー、野球、テニス。
すでにあるステージの上でどれだけの価値を見出し、結果を出すか。
結果を出さないよりも結果を出した方が楽しいはず。
自分に結果が出せる方法を見出せるようにした方が楽しいに決まっている。
スポーツ選手も同じ。
後は自分の価値を見出し、結果を残すだけ。
そのステージはサラリーマンというスポーツ界よりも遥かに大きいステージなのだ。
巨大過ぎて気が付かないだけ。
サラリーマンになった時点でそのステージに上がる権利を持っている。
後は思う存分結果を出していくだけだ。
目視で確認出来るランク。
課長がいる。部長がいる。エリアマネージャーがある。
誰がどう見てもわかりやすいランク付けがされている。
そして上から指示を受けた時にどんな思いがするだろう。
「悔しいのか」「素直に聞くだけなのか」
そのポジションに行く為に何をすればいいのかは明確なはずだ。
運ではない。
結果である。
年功序列なのかもしれない、仕事の結果なのかもしれない。
でも全ては結果である。
年功序列もその会社に長く勤めた結果なのだ。
実力主義でも同じ。
ランク付けが明確になっていればいるほどシンプルなのだ。
結果の出し方も明確である。
そしてそのポジションを狙いにいくのもまた結果なのだ。
サラリーマンは結果を出せるようになっている。
それだけのステージが整っている状態で結果を出さない人がいるのがなぜか。
サラリーマンの「楽しみ」を見出せないからだ。
一つの企業でサラリーマンをしたくらいでわかるようなことではないのかもしれない。
むしろはじめからそういった企業に入社出来る方が珍しいのかもしれない。
一転初めての就職活動から定年まで勤めあげ、結果を残し続ける人もいる。
どっちが正しいのかではなく、間違いなく「楽しみ」を見出した方がお得なのだ。
楽しみを見出せば最強のサラリーマン。
そうなれば用意されたステージは常に満員。
それが大企業。
大企業を作ったのは間違いなくサラリーマン。
知ってるサッカーチームも、知ってる野球チームも。
それを支えているのは常にサラリーマン。
更にそこで結果を残すチャンスがある。
サラリーマンが楽しくないわけがない。
どうか感想をください。