学校や職場で誰かに嫌われると、そこから簡単に想像出来るのが、まず、孤独です。
で、コソコソと悪口を言われたり、仲間外れにされたり、いじめられたりする可能性も考える。
私は嫌われるのが怖いです。
「嫌われる勇気を持て!」とか言う人もいる。
本にもなってる。
でも、私にそんな勇気はありません。
精神論では到底突破出来ない問題が多い。
もし誰かに嫌われたら生きていくのが辛くなると思っている。
嫌われるよりも好かれる方が良いに決まってる。
わざわざ嫌われる方は選ばないでしょ。
そうやって生きていく内に、「自分らしさ」が無くなった。
「誰かに嫌われないように」と意識し過ぎて自分が一体何をしたいのかわからなくなった。
誰かに嫌われるのは今でも怖い。
だけど誰にも嫌われないでいようとすると、ストレスでおかしくなりそうになる。
言いたい事を堪え、やりたい事も堪え、いつも誰かの目を気にする毎日。
嫌われたくないけど、我慢はしたくない。
私は嫌われるのが怖いくせに好き勝手にやりたいと思うワガママな性格の持ち主です。
嫌われたくないのに好き勝手にやりたいのです。
絶対に両立出来ないと思ってる?
私はそうは思わない。
ここに残すのは、嫌われるのが怖い私が好き勝手に生きようとしている日々の葛藤と考え方です。
嫌われるのが怖い人は是非最後まで読んでほしい。
それを乗り越えようと頑張ってる人がここにいる。
私だ!
「嫌われない」は特技だ。
私がこれまで出会った人の中に、「こいつは絶対に嫌われるだろうな」って奴が数人いた。
これまで出会った人の中で考えれば明らかに少数派だけど。
絶対に人に合わせない奴。
暴力的な奴。
いつも悪口を言ってる奴。
返事をしない奴。
「ごめんなさい」を言えない奴。
「ありがとう」を言えない奴。
空気が全く読めない奴。
好き嫌いが激しい奴。
性格的な部分だけじゃなくて、見た目でも好き嫌いが判断されたりする。
そう。
私はこれまで自分が「嫌われたくない」と考えていたから、「嫌われる奴の特徴」を知らない間に覚えている。
そして自分がそうならないように気を付けるようになった。
だけど「嫌われるのが怖い」と感じ続けるのはストレスです。
そんな自分を変えたいと思っている。
本当は「嫌われたって好きな事をするんだ!」って主張したい。
が、現実的にはそれを出来ずにいる。
だから考えたんです。
これは、「特技なんじゃないか?」と。
自分が嫌われたくないから、これまで出会った「こいつは絶対に嫌われるだろうな」って奴の特徴を覚えて、それを他人には絶対にしない能力を持った私。
特技ではないだろうか。
出来るのなら「嫌われても構わない」ってスタンスで生きていきたいと思っていたけど、それって、本当は簡単なんだよ。
だって、さっき挙げた嫌われている奴の条件を満たせば良いんだから。
それでもこれまで「嫌われないように」って考えながら嫌われている奴を見て、その都度そうならないように気を付けながら生きてきた。
私は今、「嫌われる方法」と「嫌われない方法」の両方を知っている。
ずっと嫌われてる奴に「嫌われない方法」はわからない。
ずっと嫌われない奴に「嫌われる方法」はわからない。
いつだって「嫌われるのが怖い」って思っていたからこそ自分の身の振り方がわかるようになったのだ。
それは「怖い」っていう臆病な自分になったわけじゃない。
むしろ努力家。
むしろ特技。
むしろ器用。
むしろ褒められるべきポイント。
むしろ自慢するべきポイント。
そう思った。
いや、都合良くそう思うようにした。
嫌われるのが怖いから、必死に嫌われないように生きてきた今、私は「嫌われない方法」を知っている。
この特技は、今後多くの場面で役に立つと私は信じている。
今になって思うのです。
「嫌われるのが怖いと思っていて良かった」って。
嫌われるのが怖いって感情はネガティブじゃない。
むしろポジティブなんだよ。
足りないモノは明白だ。
「怖い」という意識を根本的に変える方法を私は知っている。
それは今後、一生、安心して生活出来る環境が整った状態だと思っている。
言ってしまえば、死ぬまで不安が一切無い状態。
お金も死ぬまで贅沢な生活が出来るくらい持っている状態。
家族もあり、皆、健康。
それが一生続く状態になればいい。
自分の私利私欲を一生満たし続ける事が出来れば誰かに嫌われる事も怖くないんじゃないだろうか。
だって、嫌われたところでなんとでもなるんだから。
「怖いモノ」の正反対に位置する価値を手に入れられれば怖くなくなる。
「死」が怖いなら「絶対に死なない」を手に入れれば怖くなくなる。
「嫌われるのが怖い」なら、「一生嫌われない自分」を手に入れれば良い。
…。
気が付きました?
そうなんです。
どれもこれも手に入らないんです。
無理ゲーです。
今後、科学の進歩によって満たせる条件はあるのかもしれないけど、たぶん、全ての人がそれを満たせない。
「一生嫌われない自分」ってのは手に入らない。
誰かを100%コントロールする事は出来ない。
人の感情を完全に支配下に入れる事は出来ない。
足りないモノは明白なのに、それは手に入らない。
もう、これはギャグなんです。
「嫌われるのが怖い」を克服するなんてのはギャグなんです。
「私、タイムマシーンを作りました!」くらい明らかなネタなんです。
必要なモノはわかっているのに、それを手に入れる事が出来ない。
手に入れる事が出来ないのにそれを探しているようなものなんです。
「ツチノコ」を探しているような状況がずっと続いているんです。
「嫌われるのが怖い」って感情を抱くのは「決して誰にも嫌われないで生きる方法がある」って思っているから。
そう。
んなモノは無い。
手に入らない。
手に入らないモノを手に入れようと頑張っている。
私はこれまで、絶対に改善出来ない現実を相手にして、日々戦ってきた。
「誰にも嫌われないようにするには…」といつも悩んで、それが出来なくて、イライラしたり、傷ついたり、モヤモヤしたりしていた。
…。
良く考えたら、手に入らないんだから、「嫌われるのが怖い」って感情を持つ事もおかしいのだ。
笑え。
「嫌われるのが怖い」って何?
その感情はそもそも存在しなくて良いものなんだ。
だって、どんなに頑張っても「絶対に誰にも嫌われない自分」にはなれないんだから。
だったら、最愛の人に最大の愛情を注ぎ続ける方がよっぽど有意義だ。
人は急には変われない。
とは言え、これまで抱き続けてきた「嫌われるのが怖い」って感情がすぐに無くなるはずがない。
だって、これまでずっと、何十年と考えてきた事なんだから。
子供の頃、ずっと目指してきた夢を簡単に諦められないのと一緒。
信じて進んできた道を否定出来ないのと一緒だ。
でも、徐々になら、変われる。
私はずっとミュージシャンになりたかった。
学生の頃からバンドを組んで、大人になってからも夢を追いかけていた。
全国様々なライブハウスに行き、「○○ツアー」と名前を付けて、CDを量産し、ストリートでも演奏し、ワンマンライブを決行し、順風満帆なライフを送るはずだった。
約10年。
私はバンド活動に明け暮れた。
過去にこのブログで書いた事があるけど、本気でプロのミュージシャンになれると思って頑張ってきたつもり。
結果、ダメでした。
そこから就職しようとたくさんの企業の面接や入社試験を受けた。
どれもこれも上手くいかなかった。
数々のアルバイトや日払いの仕事を転々としながらやっとの想いで定職に就くが、やりたい事が見つかり辞めた。
今は何とか生活を維持出来るようにはなった。
ミュージシャンを諦めてから、更に10年。
やっとミュージシャン以外の事で生計を立てられるようになった。
それからは結婚して、子供がやってきてくれて、お金は無いけど、人並みに生きている。
思い出してみると、ずっと「自分はミュージシャン」ってのが頭の片隅にあって、それをプライドにして生きていたけど、「元ミュージシャン」ってのは社会に出れば私以外にもたくさんいて、別に特別な存在ではなかった。
今はすっかり「元ミュージシャン」ってのをギャグにする事が出来るようになったけど、そうなるまで10年かかった。
誰かに「元ミュージシャンだろ?」とバカにされればイライラしたし、「歌ってみてよ!」ってからかわれたりして辛かったし、「社会じゃ役に立たないから」と言われて傷ついた。
ダメな自分を全部認められなかった。
でも今はバカにされても「ギターで頭カチ割ったろかー!」と意味がわからない返答でその場を乗り切ったり出来る。
からかわれても「若い頃は夢の一つや二つあるさー!なぁ!?」と流せる。
社会的に見れば「売れなきゃ意味ないっすわー」と自虐とリアルを混ぜ合わせたような意見も平気で言える。
私は「元ミュージシャン」のプライドを受け入れて、上手に消化出来るまで10年かかった。
「嫌われるのが怖い」って意識も、受け入れて消化出来るようになるまで時間がかかるはずだと思っている。
人は急には変われない。
でも、自分が目指す方向へ、徐々に変わる事は出来る。
自分に合った人付き合いを。
意識が変わって、徐々に「嫌われるのが怖い」って感情を無くそうとしても、まるで自然災害にでもあったのかと思うくらいの衝撃的な出会いが訪れたりする。
それが「何もしていないのに誰かに嫌われているような感覚」だ。
これは凄く厄介で、改善しようにも相手が勝手に嫌っているだけかもしれないからどうしようもない。
心無い友人が陰口を言って変なイメージを広めたのかもしれない。
風評被害だ。
もしかしたら気が付かない間に嫌われるような事をしてしまったのかもしれない。
が、こればかりは他人の感情なのでコントロール出来ない。
不可能。
さっきも言ったけど、そもそも出来ないモノを手に入れようとしている。
そんな時、私は背を向ける事にした。
嫌われているのならしょうがない。
嫌われているような気がするのならしょうがない。
それ以上に身近にいる大切な人や家族に愛情を注ごうと思った。
または今ハマっている趣味に明け暮れる。
だって、どうしようもないんだもん。
もちろん「嫌ってるの?」と本人に直接聞いて、嫌われているような感覚の正体を見つけるのも選択肢の一つだとは思う。
だけど、それを相手に聞いたところで本当の答えが返って来るかどうかもわからない。
なんなら、更に陰で「嫌ってる理由聞かれたんだけどぉ~」と誰かに重ね重ね悪口を言われるかもしれない。
何度でも言おう。
他人を100%コントロールする事は出来ない。
嫌われてると感じる相手に直撃しても良いんだけど、それが解決方法になるかどうかはわからないって事です。
それならさ!
私は自分が好きだと思う人と一緒にいたいし、少しでも癒される時間を過ごしたいと思う。
だって、もったいないじゃん。
本音かどうかもわからない他人の意見を聞き出す時間なんて。
私には正しい人付き合いがわかりません。
だけど、「自分に合った人付き合い」はあるんじゃないかと思っている。
私にとっては、社会の中で起こる様々なネガティブが、こうやってブログを書く原動力になったりしている。
「くっそー!あいつなんなんだよー!」ってネガティブをブログに書き殴る瞬間もある。
そうやって自然災害のように降りかかる人と人のネガティブを上手に発散する事にした。
最近SNSでも日頃から溜まったストレスを吐き出す人が増えているってワイドショーで言ってた。
それが元になって炎上する事もあるんだそうな。
夫にバレたくないアカウントを持つ。
裏アカの存在。
でも、別に良くない?
だって、本人には本人にしかわからないストレスがあるんだから。
私を嫌っているかもしれないアイツにだってきっとそれなりのストレスがあるんだと思うのです。
それを誰かを嫌う事で発散するようなロクデナシもいるだろう。
だから私はそんな奴とコミュニケーションを真面目に取ろうとはしない。
仕事であれば仕事の話しかしない。
必要最低限に留める努力をするだろう。
ロクデナシにこだわる時間を自分が好きな事に使いたいから。
自分に合った人付き合いは絶対にある。
正解は自分で見つけるしかないのかもしれない。
それもまた、徐々に変わるって事なんだと思う。
自分の価値観をもっと信じろ。
どんなに嫌われるのが怖くても、私達はこれからも人と繋がりを持っていく。
徐々に変わるとは言っても、その変化は自分でわかるものじゃないかもしれない。
人は気が付かない間に変わっていく。
嫌われるか好かれるかは他人の感情で、結局のところ、100%コントロールは出来ない。
大事なのは自分の意思。
誰かの好き嫌いに付き合い続けるか、突っぱねるかも自分の意思。
私にはどっちが正しいのかなんてわからない。
むしろどっちも正しいんだと思っている。
誰かの好き嫌いに振り回されながらも居心地の良い人間関係を作れる人もいれば、そうじゃない人もいる。
私は誰かに振り回されるくらいなら突っぱねたいと思いながらも、結局嫌われるのが怖いからいつも誰かに合わせてしまう。
でも、それが間違いだなんて思っていない。
これから先、「もう誰にも振り回されたくない!」と本気で思えば突っぱねる瞬間だってあると思う。
間違いは自分の価値観を「不変だ!」と決めつけてしまう事。
これからもずっと「嫌われるのが怖い」と決めつけてしまう事。
そしてその感情が自分の行動や発言を縛ってしまう事。
その都度変わる自分の価値観をもっと信じてほしい。
人は変わる。
人は変われる。
毎日私達の価値観は変わる。
誰かと触れ合ったり、社会の中で生きていく内に変わるんです。
今は「嫌われるのが怖い」と思っていても、今後はわからない。
だからこそ、今自分が持っている価値観を信じてほしい。
「間違ってない!」って思ってほしい。
自分に素直になってほしい。
今抱えている「嫌われるのが怖い」って価値観は間違ってない。
その価値観を認めた上でどう生きていくかの方が大事。
止まってる時間がもったいない。
「怖い。ああ、怖い。」って言いながら一歩ずつ進んで行けばいいんじゃないだろうか。
すり足でも良いじゃないか。
進めばわかる。
進めば徐々に価値観も変わる。
「あれ?思ったより怖くないかも…」なんて思うかもしれない。
その都度自分の価値観を信じてやればいい。
その内、私が求めている「嫌われるのは怖いけど、好き勝手にやる」っていう境地に辿り着けるかもしれない。
どうか感想をください。