社会のベクトルはいつも多くの人が「面白そうだ!」と感じる方を向く

小言

吉本所属芸人と闇営業の問題。

最近あんまり話題になり過ぎて、参議院選挙がちょっとかすれてしまっている現状がなんとも「商売」だなと思うわけです。

今はマスコミのターン。

バシバシ吉本を攻めて、話題にする。

反社会勢力の考え方ってすごく難しいと思うけど、その繋がりに対して攻撃し始めたのはマスコミ。

気が付けば対象が個人から事務所へと変わり、会見が行われる度にその矛先を変え、攻める。

そこにビジネスチャンスがあれば、バンバン攻める。

本来最初に叩かれるべきなのは間違いなくそのパーティーが開催されたホテルや会場なはずなんだけど…。

最もお金を受け取るのはパーティー会場の経営側だと思うし…。

衝撃が大きい方へマスコミは流れるのでしょう。

これからも今まで通り、衝撃の大きい方を取り上げていくのは変わらないと思う。

だって商売だから。

週刊誌や情報が高値で売れる方が良いに決まっている。

ただ、最近の社会の在り方として、闇営業の問題や会見を通して、私にも伝わって来る部分がありました。

それは、

「自分の気持ちを正直に真っ直ぐ誰かに伝える意味」です。

芸人二人が事務所を辞めてまで会見をした時、自分の言葉で「隠さずに伝える意味」を改めて感じた。

その後の吉本側の会見なんて、正直意味不明でした。

何が言いたいのか伝わってこない。

まるで子供の頃に政治の演説を聞いているようなチンプンカンプンな感じ。

見ているこっち側は正直、「ダッサぁ」と思ってしまった。

そう思った時に、これまでの社会って、「台本」があってナンボだったのかもしれない…。

私は今回の騒動を外側から見ていて思いました。

「人生に台本なんていらねー。」

今回はその気持ちを伝えたい。

正直な社会は誰が作るの?

そもそも悪い事や良い事の線引きは大人になるとちょっと曖昧になったりする。

どこかで「バレなきゃ良い」とか「これはグレーゾーンだ」とか思ったりする。

だからそれを正直に伝えずに、隠してしまう。

隠す方に力を費やすようになる。

そんな社会の中で成長すると、都合の悪いことを上手に隠蔽するのが「出来る人間だ」と勘違いしてしまう。

「隠す」っていうのが上手な人が大人だと思ってしまう。

私は知らない間に、「動揺」や「努力」や「失敗」や「恥ずかしさ」も隠すようになってしまった。

「動じない」が大人だと思っていた。

でもそれは違った。

結局自分に嘘をついてごまかしているだけ。

大人になっても間違えるし、失敗するし、後で「気が付く正しさ」はいっぱいある。

それをごまかすのが大人ではない。

正解じゃない。

「間違っていました。」

「嘘をついていました。」

「ごめんなさい。」

50歳になっても人は失敗する。

でもそれを認めなかったり、誰かに迷惑をかけているのにそれに気が付かないフリをするのはいけない事なんだと思った。

マスコミが叩く部分はたまにチンプンカンプンだけど、それは商売の為かもしれない。

ただ、もしその報道が「間違っていたら」ちゃんと認めるべきだし、謝罪するべきなんだと思う。

いつになってもどうせ失敗するんだから。

失敗を認めて、正直に謝罪や説明をする。

「謝ればいいの?」って言われてしまうかもしれないけど、「謝りもしない」隠蔽しようとする大人よりよっぽどマシだと思っている。

正直な社会ってのは上に立つ人が正直にならなくちゃ作れない。

ただ、上に立つ人を正直にするには、私のようにただブログを書いているような奴でも「正直」を発信していかなくちゃいけないんだと思った。

正しさを求めたってキリがない。

だけど正直に発信しようとする気持ちは一つも間違っていないと思った。

誰かに「教え」を伝えようとかは思わないけど、私は自分に正直になりたいって思った。

全部を変えようと思っても簡単には出来ないから、まずは自分が自分に正直になることにします。

失敗しても、負けを認めても、終わりじゃない。

人が失敗を嫌がるのはまるで「負けた」ように感じるから。

そして「負けたら終わり」だと感じているから。

だと私は思っている。

だから私は失敗が怖いです。

失敗しないように細心の注意を払います。

それなのに失敗してしまう。

その内チャレンジすらしなくなってしまう。

チャレンジするのも怖い。

たぶん、人は常に失敗しないようには生きられない。

今回の騒動の会見を見ていて思った。

問題は「失敗した後」なんだと。

これからどんな進展を迎えるのかは少し先の未来が証明してくれるけど、失敗した後の捉え方一つで、「成長」にだって繋がるんじゃないかと思うんです。

闇営業の問題から派生して、個人や企業としての失敗や勘違いが生まれた。

そこからの反省や改革。

様々なものが見れそうなんです。

その全部が実は別々に進んでいるようで同じ進み方をしている。

「失敗したくない!」」って気持ちはいつになってもあると思う。

ただ、失敗する可能性っていうのはいつもあって、失敗の機会をどう活かすかの方がよっぽど大事だと思った。

明らかに失敗しているのに「失敗してない」って言い張る大人はダサい。

「負けを認めなきゃ負けじゃない」って言い張る大人はウザい。

負けたって失敗したって「終わりじゃない」って証明するのがカッコいい。

結果を出す必要があるし、それは大変な事かもしれないけど、どうせなら、ここから更に這い上がってみせてほしい。

いつか「あの失敗があったからこそ」って言ってほしい。

失敗や負けを「終わり」じゃなくて、きっかけにしてほしい。

そういう姿を多くの人に見せてほしい。

決してチャンスとは言えない状況でも、自分に正直になって、頑張って、努力を続けて、「人は何度でも立ち上がれるんだ!」って証明してほしい。

その姿が、きっと多くの人に勇気や希望を与えてくれると思うんです。

私にはまだそんなことが出来ない。

失敗したら超凹むし、チャレンジするのが怖くなる。

負けたら二度と挑みたくない。

失敗しないように、負けないように、日々を過ごそうとする。

でも芸能人や政治家って私達に影響を与えながら支持を受ける仕事じゃないですか。

だから、期待してもいいじゃないですか。

「本気で応援したい」って私が思ったなら、それはある意味結果なんじゃないかと思うんです。

失敗したって、負けを認めたって、「終わりじゃない」って証明してよ。

面白い方へ。

少し前まで、どんなに話題なニュースを見たり聞いたりしても、自分に影響を与える部分は少なかったように思う。

それを友達との会話でネタにしたり、真似てみたり、笑える部分に変えていくことが多かった。

今自分が持っている考えに影響を受けると言うよりも、「誰かに話す」ネタとして影響を受けてきた。

今回感じた事を改めて文章にしてみると、ネタはネタなんだけど、自分の考えにも影響しているような気がする。

笑いを仕事にしている芸人と会社がターゲットになっているからだろうか…。

新しい情報や会見が開かれる度に本当は何が悪いのか迷子になってるけど…。

お金を受け取るか受け取らないかが問題であれば叩かれなくちゃいけない人は他にもたくさんいるはずだし…。

叩いてみて、「面白そうなところ」をターゲットにするのはわかるけど、後からでいいのでちゃんと「叩かなくちゃいけない所」も狙ってほしいものです。

気が付いたら「言った」「言わない」の子供の喧嘩みたいな感じになってきてる。

問題はそこにもあったのかもしれないけど、本来の問題とはちょっとズレてる。

でも、どれもこれも、本当に正直な社会が作れたら、大きくならなかった問題なのかもしれない。

多くの人の興味を誘うって、多くの人が「注目したい!」と感じているってことです。

笑えるっていう意味じゃなくて「面白い」わけです。

「面白い」は幅が広い。

お笑い、芸能ニュース、心に響く謝罪会見、叩く会見、叩かれる会見、感動する話、怖い話。

まだまだある。

話題のニュースは面白いし、多くの影響を私達に及ぼす。

って考えると「どれもこれも面白い」のかもしれない。

芸人の不祥事で笑えないような展開になっている今を「面白そうだ!」ってワイドショーや週刊誌が追ってるんだから。

「面白い」って、奥が深い。

笑えないニュースでは不謹慎かもしれないけど、「面白い」の感じ方は無限にある。

多くの人が「面白そうだ!」って感じる方へ、社会はベクトルを向けたがる。

でも今回、どんなに面白くても「正直でなくては意味が無い」って教えられた気がする。