アラフォーと呼ばれるグループに属する少し前のこと。
もうあと数か月でアラフォーの私。
自分が何をしているかというと、相変わらずこうしてブログを書いている。
途方もなく、そして自分自身のログを残すためだ。
誰かの役に立っているかと言われると自信はない。
自信はないけどなんだか続けたいと思った。
夢とか憧れとかというよりもなんだかこうして書いている事で自分の気持ちの整理がつくんです。
アラフォーとなる寸前の気持ちも落ち着かせたいと思うわけです。
いつも書いていて思うのは前半は何を書いているのかわからない。
自分でもわからないのです。
まだわかっていない状態なのです。
でもそのまま書いていきます。
だって自分のログなんですから。
だからそのまま書いていくことにしたんです。
そのまま書いていけば結果的にまとまる気がする。
なんでもそう。
アラフォーになってまだ計画的に書けない。
むしろ当たって砕けろ的な感じになる。
ついこの間までは20代だったから何をしてもまだチャレンジのつもりでいました。
でもそろそろ家族もある事だし、チャレンジからの脱出というかもう一歩先に行くべきだとは思っている。
10代の頃も同じような事を考えていたけど。
結局そのままの部分はそのまま持っておきます。
人と話をするとつい気が大きくなってしまうところとか。
良いところではないので妻にコントロールしてもらう必要がありそうだけど。
見栄を張ってしまうのだよ。
すごく小さい事でも見栄を張ってしまう。
それが後々めんどくさい事にもなる。
そういう経験ばかり。
だからその時の気持ちだけでは判断してはいけない。
それが私のアラフォーの入り口。
ちゃんと先の事を想像して話をしないといけない。
自分の発言にすごく責任を感じる。
アラフォーの目覚め。
ブログのおかげで毎回自分の気持ちも落ち着かせるというか気付かせてもらえている。
気持ちを整理が出来るのは本当にありがたい。
初めはなんか「よし!書くぞー!」とか「アクセス集めるぞー!」とか思ってたんですけどね。
だんだん違う気持ちも芽生え始め。
責任を感じると共に自分の気持ちも整理するような感じの存在になっていく。
あれこれSNSのアカウントを作ってはみたものの、上手に使えているのかもわからない。
ネットで調べて使ってみてはいるけどそれで合っているのかもわからない。
だんだん自分に出来る事がはっきりし始める。
それが私のアラフォーの自覚。
世の中には人間が出来ることがたくさんある。
本当にたくさん。
ブログを作ったり、車を作ったり、自転車屋になったり、コックさんになったり、主婦になったり、医者になったり、弁護士になったり、ゲームを作ったり、投資をしたり、先生になったり、保育士になったり政治家になったり、バンドをやったり、サッカー選手になったり。
本当にたくさんの事があって、その中からいくつかを夢として持つ。
あれもこれもと思ってた。
頑張れば出来るんじゃないかって思ってた。
あれもこれも出来るようになればかっこいいと思ってた。
でもどれも出来なかった。
出来ないというよりも自分で満足のいく結果が得られなかった。
後悔するアラフォー。
きっと人生はその中からチョイスして何かを目指したり自分が満足するものを選んでいく。
そのほとんどが思い通りに進まない。
どれも本気でやったのかと聞かれるとどれも本気でやってない。
結局本気にもなれない。
それはいくつも選択肢があってどれをやるのが一番いいのかまだわからないのと同じ。
もしサッカーしかなかったらどうだろう。
サッカーしかないから他の事が出来ない。
他の事を知らない。
サッカーしかやらない。
だからサッカーが上手になる。
間違いなく上手だと思う。
色々チョイス出来る側から見たら。
でもサッカーしかない環境だとしたらそれでも普通。
いや。
むしろ下手なのかもしれない。
色々チョイス出来るものだから色々中途半端になってしまう。
これしかないっていうのがわかっているようでわかっていないんだと思う。
どうせ死ぬまでにいくつも出来ないのだからそろそろ一つ。
これっていうものを自分の中で決めないといけない。
おっそ。
それが遅いアラフォーの私。
そしてそれに今更気が付くアラフォー。
自分の周りにはそういう人がたくさんいる。
だから安心してたのかもしれない。
でもその中で安定して輝きを放つものがいる。
プロサッカー選手。
やりたかった自動車設計の仕事。
著者。
税理士。
ずっと夢を持っているだけだったはずなのにとうとう叶え出す人が現れる。
そうなると自分も気が付く事がある。
何をたくさん叶えようとしてしまっているのか。
目に入ってくる情報の全てが魅力的に見えてしまうのです。
だからどうしても一つだけをずっと追い求める事が出来なかった。
他の事にたくさんの時間を費やす事になる。
すごく平均的に色々なものに時間を割いてきた。
ゲームもそう。勉強もそう。スポーツもそう。趣味もそう。恋もそう。仕事もそう。
自分が興味のあるものをつい手に取ってしまったわけです。
それが悪いという事ではないと思う。
でもなんか少し自分が情けなくも感じるわけです。
例えば、さっき割いたと言った全ての時間を一つにまとめていたらどのくらいの時間を費やす事が出来たのか。
そう考えてしまうわけ。
絶対に戻ってこない時間とわかっていても後悔したくなるアラフォー。
決して無駄にしたわけじゃないと思うし、後悔ばかりではない。
でも後悔したくなるのが今なだけ。
モンハンにハマったあの時。
仲間で総プレイ時間を言い合った。
「俺300時間いったわー」
別に無駄な時間というわけではない。
その時一緒にプレイをしていて実際に楽しかった。
そういう楽しみを持てた。
だからすごく充実した時間だった。
これまでたくさんのゲームをしてきた。
その一つ。
たった一つで300時間。
ゲーム以外の全てを合わせると実際にどのくらいなのか。
バンドでデビューするという夢もあった。
それでもモンハン一つで300時間を使った。
夢に充てた時間はどのくらいだろう。
その全てを夢を叶える為の時間にしたらどうなっていただろう。
絶対に戻れない時間だからこそそう思ってしまう。
そう思っている時に夢を叶え出す者が現れる年齢になった。
ずっと追い求めた夢を叶える気分ってどんな感じ?
叶った事がないからわからない。
夢を叶える感覚を持たないままのアラフォー。
今からでも遅くはありませんか?
だとしたら。
自分がアラフォーからそういう時間の全てを一つに捧げたらどうなるのか試してみるしかなさそうだ。
だって、
夢を叶えた人の気持ちや過程を聞いてもピンとこない。
やり方も違えば戦略も違う。
費やした時間も違う。
それなのに感覚を共有出来るわけがない。
若い時にそういう目立つ存在になるのはきっと才能だと思ってた。
たぶんそうだと思う。
才能があればある程度少ない時間でも能力が開花されることはあると思う。
小さい頃から続けていれば尚更そういうこともあると思う。
だけどそこでもやっぱり圧倒的にピンと来る部分がある。
時間。
時間の平等さに気が付くアラフォー。
やっぱりそれに費やした時間が違う。
その部分だけはなぜか納得出来てしまう。
だってその部分だけが平等だから。
環境もあるとは思う。
でも絶対に時間は平等。
その時間をどのくらい費やしたのか。
相当費やしただろう。
時間は相当費やしただろうなっていう想像が一番ピンと来る。
才能とか持って生まれた環境みたいなものは変えられないから話をされてもピンと来ない。
絶対に時間だ。
費やした時間が違う。
自分の時間を何に費やしてきたのか妙に考えてしまうアラフォー。
夢を叶える人が出て初めてそう思うきっかけになる。
マジで遅い。
でもこれから。
オリンピックでなぜか世界新記録が出続けるのはきっと誰かが記録を塗り替えるから。
それを実際に見るから。
「自分にも出来る。同じ人間だから。」
そう思うと記録が記録を超えていく結果になる。
100メートル走の世界記録だってきっと塗り替える人が出てくる。
これまでと同じように。
限界なんてないって思わせてくれる。
それが夢を叶えた人なんじゃないかなって思う。
そしてそれを見て奮い立つアラフォー。
他人に勇気をもらうアラフォー。
夢を叶えるアラフォーを見て「自分もいけるんじゃないか!」って思うアラフォー。
近頃人生は100年なんて言われています。
そうなるとアラフォーなんてまだ半分もいってない。
折り返しにもなってない。
夢を見てもいいじゃないかと思う。
むしろ自分を納得させるための理由を探す。
夢を追いかける年齢なんて決まっていない。
社会の流れに逆らおうとする。
つまりやり残したことばかりだ。
だから今になってまた雑誌やらテレビやら知り合いの話やら過去の事やらを引っ張り出して夢を見ようする。
そうやってもう一度スタートラインに立とうと考えてしまう。
まだ間に合う!とどこかで思っている。
でも現実的な線も引いている。
だから無暗に新しい事にチャレンジはしない。
現状でも満足し始めている。
実は少し満足しているアラフォー。
むしろこのままの方が自分にとっては良い環境なんじゃないかって思い始める。
定まり始めたけどまだ定まりきってない。
まだまだ迷うよ。
そんな気がしているアラフォー。
いや。自分。
アラフォーになる自分。
本当はまだ夢を諦めきれないでいる。
どうしよう。
家族のこともある。
むしろ家族を守れないのに夢も守れないだろう。
まだまだ諦めきれない事がたくさんある。
譲れないものは増えてきた。
アラフォーになったら譲れないものが増えてきたような気がする。
仕事もプライベートも。
やっとシンプルになってきた。
諦めたくない事はたくさんあるけど、自分に必要なものがわかるようになってきた。
むしろやるべきことがわかってきた。
自分なりの生活リズムみたいなのものがやっと整ってきた気がする。
そしてシンプルになった。
このシンプルさは子供から見ると「つまんない」って思うかもしれない。
だからか子供があまり懐かない。
父親っていうのもあるかもしれないけど。
でもなんか面白い事をするわけでもなく、たんたんと毎日を過ごすから「つまらない人」なのかもれない。
子供は毎日違う遊びをしたいけどお父さんは同じ遊びで構わないと思ってしまう。
そこがいけないのか。
だから懐かないのか。
でもどうしてもシンプルになってしまう。
むしろ違う事をすると色々考えなくてはいけないからなんかちょっと毛嫌いしている部分はある。
そういうところも自分だって自覚し始めたのもアラフォー的。
自分がどんな奴なのかやっと理解し始めた。
どっちが良いかとかじゃなくて、なんか「自分はこうしたい」みたいな小さなこだわりみたいなのがいっぱいある。
こだわりを持つアラフォー。
苦手な事がはっきりしてきた。
苦手な事がはっきりしてくると苦手な事に手を出さなくなる。
子供の頃の選択肢なんて大人の選択肢と同じになってしまうものだ。
少し大人になっても周りに流されてしまうものだ。
でも家庭を持って、自分が中心になると自分の選択肢を優先しだす。
逆に子供を巻き込んでる感があるけどさすがに子供が選択した全てに合わせる事なんて出来ない。
だから懐かないのか。
でもたまには一緒に遊んでるんだから少しは懐いてほしいものです。
休みの日は子供と遊ぶとか、趣味の時間にするとか。
自分中心のスケジュールになる。
自分をうまくコントロールしていかないといけない。
健康面もこの先もっと気になる部分が出てくると思うし、自分自身のコントロールはもっと正確に出来るようになりたい。
まだ誓い程度に。
シンプルにはなった。
それが良い事なのかわからないけどそれでも完成している部分が一つもない事に気が付いた。
まだなんも完成してない。
ただ少しシンプルになった程度。
アラフォーになるのにまだ何一つ成し遂げていないような気がする。
結局20代からあまり変わってないかもしれない。
これだけブツブツと小言を続けてみたけど結局あまり変わってない。
下手したら見た目だけ老けた。
最悪だ。
白髪も増えた。
でも自分の中ではほとんど変わってない。
焦る。
何も変わっていないことに焦る。
子供の成長速度は半端じゃなく速い気がするのに。
自分が変わったは見た目だけかもしれない。
妻はそんな事は言わない。
良い意味ですごく変わってるよと言ってくれる。
ありがたい。
ありがたいけど自分ではどうしても変わっているように思えない。
焦る。
何か良い結果をもたらしたい。
欲しいものもやりたい事もたくさんある。
だめだ。
まだなんも定まってない。
アラフォーって名付けたの誰だよ。
なんか焦りしかねーわ。
どうか感想をください。