中学生、体育祭の一番の思い出は棒倒し。
今時の体育祭は「組体操」を「危険」だからやらない。
当時の「棒倒し」の危険からすれば「組体操」は危険ではない。
超巨大なタワーやピラミッドを作るわけでもない。
体を使った遊び、その名の通り、ただの体操。
時代も変わり、棒倒しは無くなりつつある。
組体操すら無くなりつつある。
かけっこして。
玉でも入れて。
ダンスして。
縄跳びして。
綱でも引いて。
勝って嬉しい。
負けて悔しい。
平均的な感情である。
勝ち取らなくてはいけない状況ではなく。
後悔する程の負け方もしない。
平均以上の勝利の味や敗北の悔しさを、学校では得られないようになってしまったのだろうか。
稀に学生の中でも突発的に現れる天才プレイヤーがいたりする。
水泳にテニス。
サッカーに体操。
音楽に野球。
ゴルフに将棋。
天才と呼ばれる人のほとんどが学校外で時間を使い、挑戦し、努力し、敗北を味わい、勝利を掴む。
大袈裟に言うと、
体育祭の「棒倒し」にはそれらの挑戦、努力、敗北、勝利が含まれていた。
今でもそう思っている。
体育祭までの道のり。
全てを「棒倒し」に捧ぐまで。
私は3年B組の男子。
体格はそれなり。
いわゆる男子。
中学校の規模はそんなに大きくもなく、全体で3組。
ABC。
その3つクラスの男子が全員参加する。
つまり、倒すべき棒は2本。
4メートル程の棒の先にはクラスの色が付いた旗を掲げる。
その棒を旗もろとも倒す。
守る者と攻める者に分かれ、棒を倒し合う。
最後の1本になるまで旗を掲げ続ければ勝ち。
わかりやすいルール。
もし想像出来なければ検索してみてほしい。
「棒倒し」。
熱い戦いが目白押しだ。
それでも中学生の年齢というのは妙に冷静である。
誰も本気でやろうとはしない。
むしろ少しバカにしたような感じ。
おちゃらける。
ふざける。
真剣にやらない。
それが中学生。
一生懸命になるのが恥ずかしい。
大人ぶりたい時期。
チャラくなりたい奴もいれば真面目ぶりたい奴もいる。
その状態でとりあえず、リハーサルを含めて練習。
我がB組は真っ先に棒を倒された。
守るのもダメ。
攻めてもダメ。
あっという間に倒された。
そして倒されるまでに怪我をした奴。
棒を倒されまいと耐えて捻挫した奴。
一瞬でボロボロにされた。
カッコつけて倒されないようにしてたら倒される。
カッコつけて倒しにいったら倒れなかった。
「あれ?悔しくない?」
誰もが思った。
リハーサルでの惨敗。
悔しかったのです。
チャラチャラカッコつけて臨んだリハーサルでの惨敗。
それなりに勝てるとは思ってたのに惨敗。
一番悔しがっていたのは、
担任でした。
「私は悔しかった。だから本番は絶対に負けたくない。」
中学生という精神面でも微妙な時期。
何かを一致団結してやり遂げようなんてなかなか思えない。
ただ、悔しかったから、もう負けない。誓った。
リハーサルだろうが負けは負け。
しかも勝てると思っている状態でのボロ負け。
ケガをする可能性もあることからリハーサルは本番まで無し。
これで燃えないわけがない。
あの時のボロ負けは必ず取り戻す。
倍返しだ。
15歳。
担任も含め、あの時の敗北が中学生という微妙な時期のハートに火を灯した。
負ける方が断然ダセーのだ。
戦略。
ただ「負けない」という気持ちだけでは恐らく勝てない。
むしろ本番もボロ負けしてしまう。
作戦会議。
真っ先に発言したのはもちろん担任。
「3組同時に競技が始まるのだから大事なのは守りである。」
守りを強固にすれば攻める時間が増える。
攻めるよりも守りに力を注ぐ作戦。
だけど守りが強いとわかれば2組に同時に狙われるだろう。
そこが問題。
ただこちらの作戦は本番を迎えるまで他の2組にはわからない。
中学生というのは基本的に大人よりも知能が劣ると考えて良い。
つまり担任が本気を出している今。
我々はチームの知能が高い。
他の2組はなにも考えていないと思われる。
なぜなら、リハーサルで圧勝したから。
敗北の味を知らない。
浮かれている。
見てろよ。
守りの作戦。
棒は高いところを掴まれると倒れやすくなる。
重くなるから。
だから登ろうとしている奴を引きずり下ろす。
それと共に頑丈な支え役は力のある者を集める。
それ以外は引きずり下ろす役。
攻めの作戦。
棒の上に掴まれば体重で倒せる。
4人いれば十分。
3人は土台になれるように一緒についていきハシゴになる。
一人が上で掴んで倒そうとし始めたら守りをはがす。
守りが中心。
攻めは必要最低限で尚且つ短時間で決着をつける。
攻めの練習、守りの練習。
別に行うと思いきや、一緒にやる。
両方の練習を一緒に出来る。
攻めも守りも同時にやってお互い練習をする。
倒したり守ったり。
攻めは守りの弱いところを指摘。
守りは攻めの甘いところを指摘。
俺たちは二度と負けない。
体育祭当日。
他の競技はオマケ。
我々は体育祭での優勝を目指していない。
目指すのは棒倒しの勝利。
他の競技は個人戦みたいなもの。
かけっこに綱引き。
足が速ければ勝つ。
力が強ければ勝つ。
そこでのポイントなど、どうでもいい。
全ては棒倒しで雪辱を晴らす為の余興でしかない。
せいぜい盛り上がるがいい。
棒倒しに全てを賭ける。
俺たちの力を思い知るがいい。
棒倒しは男子全体競技の最後に位置する。
最高の見せ場である。
観客も大いに盛り上がるだろう。
他の競技なんて今日の俺たちにとっては全てがオマケだ。
盛り上げろ。
我々が中学生の頃。
まだ応援団なる集団がいた。
クラスの応援とは別動隊でいた。
とにかくめちゃくちゃ応援する。
めちゃくちゃ盛り上げる。
吹奏楽部も演奏する。
ついでにめちゃくちゃ盛り上げる。
生徒がやる実況はいつもぎこちない。
さあ。
盛り上げろ。
棒倒しまであとわずか。
リハーサルの膝の傷が疼くぜ。
あの日の肩の打撲が疼くぜ。
疼くよ。
さあ。
盛り上げろ。
俺たちは絶対に負けない。
試合開始。
棒倒しの一つ前の競技が行われている。
その間に我々は入場門にスタンバイする。
「絶対に負けない。」
という想いから来る緊張感を知っているか。
闘争心。
これは男子というか戦士。
そういう遺伝子があるのだろう。
どんなに平和な時代になってもスポーツや競技を通して、その闘争心が顔を出す。
今、入場門の前。
闘争心。
MAX。
太鼓の音が響けば入場。
「ドン!ドン!ドン!」
練習した通りに守りを固める作戦。
「しゃーおらー!」
各々気合いの入れ方は自由だ。
顔を叩く奴もいれば「背中を叩け!」と言ってくる奴。
黙って腕を組む奴に準備体操をする奴。
準備は整った。
さあ。
盛り上げろ。
次の「ドン!」で試合開始だ。
ドン!
…。
わーーーーー!ってなったのだろう。
そこからはほぼ記憶なし。
守ることに必死。
戦況がどうなのか確認なんて出来ない。
「引きずり降ろせ!」
「登れ登れ!」
「いてー!」
「おもー!」
倒れない。
全然。
俺たちの棒。
全然倒れない。
太鼓の音が響き渡れば「終了の合図」だ。
…。
にしても倒れない。
「ドンドンドンドンドン!ドン!」
倒れてない。
はは。
「勝った!」
担任。超ガッツポーズ。
俺たち。体操服が砂まみれ。
「タケ。お前鼻血出てる。」
「そっか。でも勝った。」
だーーーーーーーーーーー!
恥ずかしい程に喜んだ。
15歳。
まだ大人にもなれない、気持ちと体がバラバラな時期。
アホみたいに喜んだ。
バカみたいに一生懸命になった。
棒倒しがなければそれもなかった。
なんならちょっと泣いた。
冷静でいられなかった。
あの時の敗北。
リハーサルでの傷。
忘れられなかった。
どうしても勝ちたかった。
勝ち取りたかった。
あんなに悔しい想いをしたのは初めてだった。
目標があって、それに向かう姿勢。
争うことを率先してやることはない。
お勧めなんてしない。
必要だったのは敗北。
悔しさ。
現代の体育祭がどんなものかはわからない。
自分の娘や息子がそういう時期になればきっとわかる。
15歳の敗北は悔しかった。
それを覆す為にたくさんたくさんたくさん練習した。
勝ちを掴み取る為にたくさんたくさんたくさん準備した。
見事に勝利を掴んだ。
私は15歳の「あの敗北」と「あの勝利」を決して忘れない。
どうか感想をください。