15歳の勝利を忘れない

メンタル

中学生、体育祭の一番の思い出は棒倒し。

今時の体育祭は「組体操」を「危険」だからやらない。

当時の「棒倒し」の危険からすれば「組体操」は危険ではない。

超巨大なタワーやピラミッドを作るわけでもない。

体を使った遊び、その名の通り、ただの体操。

時代も変わり、棒倒しは無くなりつつある。

組体操すら無くなりつつある。

かけっこして。

玉でも入れて。

ダンスして。

縄跳びして。

綱でも引いて。

勝って嬉しい。

負けて悔しい。

平均的な感情である。

勝ち取らなくてはいけない状況ではなく。

後悔する程の負け方もしない。

平均以上の勝利の味や敗北の悔しさを、学校では得られないようになってしまったのだろうか。

稀に学生の中でも突発的に現れる天才プレイヤーがいたりする。

水泳にテニス。

サッカーに体操。

音楽に野球。

ゴルフに将棋。

天才と呼ばれる人のほとんどが学校外で時間を使い、挑戦し、努力し、敗北を味わい、勝利を掴む。

 

大袈裟に言うと、

体育祭の「棒倒し」にはそれらの挑戦、努力、敗北、勝利が含まれていた。

 

今でもそう思っている。

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体育祭までの道のり。

全てを「棒倒し」に捧ぐまで。

私は3年B組の男子。

体格はそれなり。

いわゆる男子。

中学校の規模はそんなに大きくもなく、全体で3組。

ABC。

その3つクラスの男子が全員参加する。

つまり、倒すべき棒は2本。

4メートル程の棒の先にはクラスの色が付いた旗を掲げる。

その棒を旗もろとも倒す。

守る者と攻める者に分かれ、棒を倒し合う。

最後の1本になるまで旗を掲げ続ければ勝ち。

わかりやすいルール。

もし想像出来なければ検索してみてほしい。

「棒倒し」。

熱い戦いが目白押しだ。

それでも中学生の年齢というのは妙に冷静である。

 

誰も本気でやろうとはしない。

 

むしろ少しバカにしたような感じ。

おちゃらける。

ふざける。

真剣にやらない。

それが中学生。

一生懸命になるのが恥ずかしい。

 

大人ぶりたい時期。

チャラくなりたい奴もいれば真面目ぶりたい奴もいる。

 

その状態でとりあえず、リハーサルを含めて練習。

 

我がB組は真っ先に棒を倒された。

守るのもダメ。

攻めてもダメ。

あっという間に倒された。

そして倒されるまでに怪我をした奴。

棒を倒されまいと耐えて捻挫した奴。

 

一瞬でボロボロにされた。

 

カッコつけて倒されないようにしてたら倒される。

カッコつけて倒しにいったら倒れなかった。

 

「あれ?悔しくない?」

 

誰もが思った。

リハーサルでの惨敗。

悔しかったのです。

チャラチャラカッコつけて臨んだリハーサルでの惨敗。

それなりに勝てるとは思ってたのに惨敗。

一番悔しがっていたのは、

 

担任でした。

 

「私は悔しかった。だから本番は絶対に負けたくない。」

 

中学生という精神面でも微妙な時期。

何かを一致団結してやり遂げようなんてなかなか思えない。

ただ、悔しかったから、もう負けない。誓った。

 

リハーサルだろうが負けは負け。

しかも勝てると思っている状態でのボロ負け。

ケガをする可能性もあることからリハーサルは本番まで無し。

 

これで燃えないわけがない。

 

あの時のボロ負けは必ず取り戻す。

倍返しだ。

15歳。

担任も含め、あの時の敗北が中学生という微妙な時期のハートに火を灯した。

 

負ける方が断然ダセーのだ。

戦略。

ただ「負けない」という気持ちだけでは恐らく勝てない。

むしろ本番もボロ負けしてしまう。

作戦会議。

真っ先に発言したのはもちろん担任。

 

「3組同時に競技が始まるのだから大事なのは守りである。」

 

守りを強固にすれば攻める時間が増える。

攻めるよりも守りに力を注ぐ作戦。

だけど守りが強いとわかれば2組に同時に狙われるだろう。

そこが問題。

ただこちらの作戦は本番を迎えるまで他の2組にはわからない。

中学生というのは基本的に大人よりも知能が劣ると考えて良い。

つまり担任が本気を出している今。

我々はチームの知能が高い。

他の2組はなにも考えていないと思われる。

なぜなら、リハーサルで圧勝したから。

敗北の味を知らない。

浮かれている。

見てろよ。

 

守りの作戦。

棒は高いところを掴まれると倒れやすくなる。

重くなるから。

だから登ろうとしている奴を引きずり下ろす。

それと共に頑丈な支え役は力のある者を集める。

それ以外は引きずり下ろす役。

攻めの作戦。

棒の上に掴まれば体重で倒せる。

4人いれば十分。

3人は土台になれるように一緒についていきハシゴになる。

一人が上で掴んで倒そうとし始めたら守りをはがす。

 

守りが中心。

攻めは必要最低限で尚且つ短時間で決着をつける。

攻めの練習、守りの練習。

別に行うと思いきや、一緒にやる。

両方の練習を一緒に出来る。

攻めも守りも同時にやってお互い練習をする。

倒したり守ったり。

 

攻めは守りの弱いところを指摘。

守りは攻めの甘いところを指摘。

 

俺たちは二度と負けない。

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体育祭当日。

他の競技はオマケ。

我々は体育祭での優勝を目指していない。

目指すのは棒倒しの勝利。

他の競技は個人戦みたいなもの。

かけっこに綱引き。

足が速ければ勝つ。

力が強ければ勝つ。

そこでのポイントなど、どうでもいい。

全ては棒倒しで雪辱を晴らす為の余興でしかない。

せいぜい盛り上がるがいい。

 

棒倒しに全てを賭ける。

 

俺たちの力を思い知るがいい。

棒倒しは男子全体競技の最後に位置する。

最高の見せ場である。

観客も大いに盛り上がるだろう。

他の競技なんて今日の俺たちにとっては全てがオマケだ。

盛り上げろ。

我々が中学生の頃。

まだ応援団なる集団がいた。

クラスの応援とは別動隊でいた。

とにかくめちゃくちゃ応援する。

めちゃくちゃ盛り上げる。

吹奏楽部も演奏する。

ついでにめちゃくちゃ盛り上げる。

生徒がやる実況はいつもぎこちない。

さあ。

盛り上げろ。

棒倒しまであとわずか。

リハーサルの膝の傷が疼くぜ。

あの日の肩の打撲が疼くぜ。

疼くよ。

さあ。

盛り上げろ。

俺たちは絶対に負けない。

試合開始。

棒倒しの一つ前の競技が行われている。

その間に我々は入場門にスタンバイする。

「絶対に負けない。」

という想いから来る緊張感を知っているか。

闘争心。

これは男子というか戦士。

そういう遺伝子があるのだろう。

どんなに平和な時代になってもスポーツや競技を通して、その闘争心が顔を出す。

今、入場門の前。

闘争心。

MAX。

太鼓の音が響けば入場。

 

 

「ドン!ドン!ドン!」

 

練習した通りに守りを固める作戦。

 

「しゃーおらー!」

 

各々気合いの入れ方は自由だ。

顔を叩く奴もいれば「背中を叩け!」と言ってくる奴。

黙って腕を組む奴に準備体操をする奴。

準備は整った。

さあ。

盛り上げろ。

次の「ドン!」で試合開始だ。

 

 

ドン!

…。

わーーーーー!ってなったのだろう。

そこからはほぼ記憶なし。

守ることに必死。

戦況がどうなのか確認なんて出来ない。

 

「引きずり降ろせ!」

「登れ登れ!」

「いてー!」

「おもー!」

 

倒れない。

全然。

俺たちの棒。

全然倒れない。

太鼓の音が響き渡れば「終了の合図」だ。

…。

にしても倒れない。

 

「ドンドンドンドンドン!ドン!」

 

倒れてない。

はは。

 

「勝った!」

 

担任。超ガッツポーズ。

俺たち。体操服が砂まみれ。

 

「タケ。お前鼻血出てる。」

 

「そっか。でも勝った。」

 

だーーーーーーーーーーー!

 

恥ずかしい程に喜んだ。

15歳。

まだ大人にもなれない、気持ちと体がバラバラな時期。

アホみたいに喜んだ。

バカみたいに一生懸命になった。

棒倒しがなければそれもなかった。

なんならちょっと泣いた。

冷静でいられなかった。

あの時の敗北。

リハーサルでの傷。

忘れられなかった。

どうしても勝ちたかった。

勝ち取りたかった。

あんなに悔しい想いをしたのは初めてだった。

目標があって、それに向かう姿勢。

争うことを率先してやることはない。

お勧めなんてしない。

必要だったのは敗北。

悔しさ。

現代の体育祭がどんなものかはわからない。

自分の娘や息子がそういう時期になればきっとわかる。

 

15歳の敗北は悔しかった。

それを覆す為にたくさんたくさんたくさん練習した。

勝ちを掴み取る為にたくさんたくさんたくさん準備した。

見事に勝利を掴んだ。

 

私は15歳の「あの敗北」と「あの勝利」を決して忘れない。