学生の頃に知りたかった「勉強」の真の意味

小言

私は学生の頃、成績が悪かった。

シンプルに勉強してなかったからです。

だからいつも中間テストや期末テストの成績は下から数えた方が早かった。

勉強がどうしてもやりたくなかった。

そしてそのまま社会人になった。

社会人になると「学生の頃に勉強をしていた方が良かったな」と思うことが多々ある。

自分が勤める会社についてもそうだし、成績優秀な学校に進学すると、それだけでも様々な情報が入って来る。

様々な情報とは、社会で生きていく為に必要な情報。

起業するにも就職するにもベストな情報を得られる可能性が高いような気がする。

でも勉強してこなかった私の環境と言えば、「遊び」に特化していた。

気が付けば周りと同じようにアルバイトをしながら遊びに夢中になる。

そして恋をして、結婚して、家族を作った。

自分の事を不幸だと思ったことはない。

ないけど、「あの時勉強していれば…」って思うことは多々ある。

誰もが知っている有名企業に勤める友人。

それなりに大変な仕事をしているんだろうけど、やっぱり給料はいい。

私よりも年収は高いわけで。

実際にそれだけが幸せかどうかって判断材料じゃないけど、お金はあって困るものではない。

なんなら多い方が未来の選択肢を増やしてくれるツールだと思っている。

何をするにもお金がいるのだからお金は多くもらえる方が良い。

ただ、「もう一度学生に戻れるなら勉強するか?」って聞かれると、どうだろう。

しないかもしれない。

その理由。

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学生の頃は自分が本当に好きなことを探す旅だった思っている。

私は学生の頃、もちろん勉強はしなかった。

そもそも勉強をする時間がすごく嫌いだったから。

だから今でも勉強は嫌い。

でも学生の頃は「自分は何が好きなのか」わからなかった。

だから周りに合わせてアルバイトをしたり、カラオケに行ったり、こそこそばれないように少しだけ悪い事をしたりした。

たぶん、何がしたいのかわからなかったんだと思う。

目の前にはいつでも勉強が出来る環境があるのに、それには全く興味が湧かない。

でも自分が本当に好きな事もわからない。

意味がわからない時間がなんとなく過ぎて行った。

気が付いたら好きな人が出来て、恋をして、家族になって、それなりに仕事をしながらお金を稼ぐようになった。

今はこうしてブログを書いているのがすごく好きな時間の一つになった。

子供の成長を眺めるのも幸せの一つになった。

結局今でも自分が本当に得意な事はわからない。

でも好きな事を見つけることは出来た。

勉強以外の部分でやっと、そういうものを見つけることが出来たと思っている。

あの時勉強をしなかった事、本気で後悔した瞬間もあった。

でもそれなりに生活出来てる。

自分なりの幸せを目の前にして涙が出そうになる瞬間だってある。

別に悪くない。

私は全然勉強はしませんでした。

やれば出来たのかもしれないけど、そもそも好きじゃないのに一生懸命出来ない。

だけど自分がやりたいこともわからなかった。

学生の頃はずっと「自分が本当にやりたいことを探す旅」だったような気がする。

本当に好きな事を見つける旅だったような気がする。

「あの時勉強をしていれば」っていうよりも、「あの時本気になれる何か」を見つけたかったなぁ。

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問題はいつも自分の中にあった。

学生の頃、成績はテストで決まる。

生活態度が良いとは言っても全ての評価がそれで満点になるわけではない。

私は自分の事を「生活態度は良かった」と評価している。

不良にもなれなかった。

だからいつも「勉強をしているフリ」をしていたんだと思う。

別に誰かに迷惑をかけるわけでもない。

授業の邪魔をすることもない。

何ならめちゃくちゃ普通に学校に行って、勉強をするフリをして、アルバイトをして一日が過ぎる生活。

「勉強をするフリ」をするくらいならこの時間を「何か違うものに使えばよかったな」って思っている。

そういった時間を作ることは出来たはず。

ただ、私は周りが普通にやっていることに対して疑問を投げかけることが出来ない性格だった。

だから周りが右を向けば自分も右を向く。

みんなが勉強をしている時間は勉強をしているフリをする時間に充てた。

きっと問題は自分の性格にあったのだと思っている。

もし、「本気になってやりたい!」と思ったことがあっても、それを貫く勇気はなかった。

それは周りは普通に勉強をしているから。

自分が本気になってやりたい事を見つけたとしても、「学生は勉強するべき」ってどこかで思ってた。

だからきっと大好きな事を見つけられたとしても、それを貫けなかったと思う。

いつも問題は自分の中にあった。

なんでもかんでも周りに合わせるくせに「勉強はしたくない」っていう変な性格だった。

だからずっと宙ぶらりんだった。

学生の頃の楽しい記憶…。

ほとんどない。

それも全部、自分が招いた結果だったのかもしれない。

自分が満足するまで勉強以外の何かに打ち込む。

もちろん勉強でも構わない。

そういう「大好き!」って気持ちを前面に出せなかった。

もし今学生に戻れるなら、「自分が大好きだ!」って思える何かを貫いてみたい。

そういう経験をしたかったなぁ。

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「勉強」の真の意味ってなんだろう。

今になって思うことがある。

たぶん、私は勉強が「大好きだ!」って思えたなら何の躊躇もなく打ち込めていた。

言い訳かもしれないけど、周りもそれを認めてくれるし、なんなら「偉いねー!」なんて言われていたかもしれない。

だって学生の本業は学業なんだから。

目の前に与えられた「勉強」という分かり易い環境の中で、それをやることが最も効率的に高い評価を得られたのだと思う。

ただ、私は勉強がどうしても嫌いだった。

だけど「学業が本業」とわかってはいた。

「勉強が嫌い」と言ってはいけないような状況でそれを言い出せなかったけど、結局一番大切なのは「何に全身全霊をかけて打ち込むか」なんじゃないかと思っている。

それは学生だろうが社会人だろうが関係ない。

人生はこれから先も続いていくんだから「何かを一生懸命続けていく努力とそうする事の結果」は学生の頃から知っておきたかった。

「学生なんだから勉強を一生懸命やりましょう!」とは誰も言ってない。

でもそういう雰囲気を感じてしまう。

本当に大切なのは、「努力を重ねることで得られる結果」なんじゃないだろうか。

私は好きでもない事に努力なんて出来ない。

勉強が嫌いだからって生きていけない世の中ではない。

生きていける。

それは今の自分が証明している。

だとしたら、本当に必要な勉強ってなんだろうか。

「努力を続ける力とそれによってもたらされる結果を知る」って事なんじゃないだろうか。

勉強を一生懸命続けていれば結果は分かり易く徐々にだけど高い評価になって返ってくる。

ただ、その評価って本当に勉強だけなんだろうか。

勉強じゃなくたって良いんじゃないだろうか。

自分の未来の為に、一生懸命努力を続けること。

そしてそれによってどんな発見や成長があるのか。

それが知りたかった。

いや、知らなくちゃいけない。

勉強だってスポーツだって会社だって一緒。

いきなり結果なんて出せない。

「こうなりたい!」って目標があって、そこに向かって毎日努力を重ねていくからこそ結果となって返ってくる。

「それ」なんです。

知りたかったのは「そこ」なんです。

それが「勉強をすることで得られる」っていうのもわかる。

勉強だって立派な努力だし、勉強を続けた分だけ結果となって返ってくる。

ただ、「勉強以外の何か」であっても同じじゃないだろうか。

「一生懸命何かを頑張って、継続して得られた結果」こそ勉強。

それが勉強なんです。

学生の頃に当たり前のように目の前に置かれた「勉強」は「学業」であって、その中の数学やら国語やら化学は選択肢の一つに過ぎない。

国語が好きって言えば褒められて、歌が好きって言えば笑われる。

それはおかしい。

全てが選択肢のはず。

それを極めようと一生懸命努力を続けて、その後にどんな結果が待っているかを自分で確認するのが勉強だと私は思う。

それが本当の勉強だと思う。

私は学生の頃、そんな選択肢を持つことが出来なかった。

それを今でも後悔することがある。

勉強の結果ってまだまだ先があったんだなぁ。