「心の支え」とは自分を最も大切にする時間である

小言

くじけそうになった時いつも私の心を支えてくれたのは音楽でした。

限られてはいるけどそれは歌のメロディと歌詞。

たまたまそういうタイミングになると街やラジオ、テレビや映画で流れてくる音楽に耳を奪われる。

そんな時は心の支えを必要としていたのかもしれない。

でもそれが心の支えとして成り立つには条件がある。

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心の支えになる条件。

心が疲れている時は何もしたくない。

心が疲れている時は倒れそうになる。

倒れそうな心の支えが必要なのだ。

そして心の支えを必要としている時は何もしたくない。

何も出来ないに等しい。

つまり自分で何かをして心を支えることが出来ないからこそ他のなにかを必要としているのだ。

だからこそ目や耳から入ってくる何かが支えになってくれる。

心が疲れ切っていてなにも出来ない状況になると「自分が何かをする」以外の部分に自然と感心が向くようになる。

そしてその時に出会った何かにより心が支えられるのである。

例えばテレビをぼーっと見ているだけでも何気ない一言で心が支えられたりする。

たまたま街をぷらついていただけで何か元気づけられる光景が目に入る時もある。

ラジオから流れて来る音楽や会話もいつもより集中して聞いていたりする。

欲しているのだ。

心の支えを欲している時は「自分の行動範囲外」からの何かを自然に取り入れようとする。

心が疲れている状態では自分で行動を起こすことが難しい。

心が疲れているから趣味に没頭するといった事は出来ないのだ。

カラオケで熱唱することもパーティーで大騒ぎすることも出来ない。

ストレスを解消したいのではない。

心の支えを欲しているからだ。

フリーハンド。

心の支えを欲している時は正直携帯で操作をするのもしんどくなる。

何かを仕掛ける気力もないのだ。

大した動作でもないのだがなぜかおっくうに感じる。

心の支えを必要としている時はそういった動作が無い方がすんなりなじむ。

支えられているとは感じないくらいになじむものが良い。

それは耳から自然に入ってくるものだったり目から自然に入ってくるものの方がすんなり体も心もなじむ。

心が落ち着きを取り戻せれば自分でも支えられるようになる。

それまではすべての動作がしんどい。

耳や目から自然に入ってくるものを拒みようがない。

きっとそういう風に出来ているのだ。

心の支えを必要としている時は自分ではなくそれ以外の何かを自然に探すようになっているんだと思う。

その結果フリーハンドという選択が勝手に選ばれるのだ。

日常を忘れられる何か。

心の疲れは日常の生活の中で溜まっていく。

そのままの状態を保ち日常の中で疲れを癒すのは難しい。

決して非日常を経験することではないが、「日常を忘れられるなにか」の存在が必要となる。

そうでなければ同じ日常の中でさらに心は疲れてしまう。

目や耳からふとした拍子にそれが入ってくるのであれば一瞬でも日常とは別の事を考えるきっかけを得る。

そのきっかけが心の支えになるなにかを見つけ出すサインなのかもしれない。

心は目で見えないが、心の疲れを癒すのは目に入ったり、耳に入ったりするなにかであるのは間違いないのだ。

それを自然に目で追ったり、耳から吸収することで日常を忘れる瞬間を得る。

それが私にとっては音楽なのだが、いつも聞いている音楽ではない。

新しく自分の今の心情に合った音楽となぜか出会う。

自分が勝手に欲しているのだ。

日常から少しでも気をそらせる何かを。

それがメロディなのか声なのか歌詞なのか。

その時に必要としているなにかのヒントをくれる。

日常に打って出る何か。

日常から離れる何かだけが疲れた心癒すわけではない。

疲れが溜まる日常に打って出る何かだったりする。

歌詞に感銘を受ける。

サクセスストーリーに感銘を受ける。

映画の中の生き様に感銘を受ける。

何気なく見たり聞いたりした時には感じなかったなにか。

心が疲れている時だからこそ響く何かを感じ取ることが出来る。

心の支えが必要ない時には何も感じないことでもそのタイミングによって響くものがあるのだ。

その中には日常の心が疲れてしまう生活に打って出る勇気をもらえるものもある。

勇気をもらうことで心の疲れを癒すのだ。

それが共感なのか奇跡なのかはわからない。

心の疲れ方にもよる。

心の疲れ方によって支えになれるものとなれないものがあるのだ。

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心の疲れ方。

自分の心の疲れがどこから来るものかわかればどんな支えが必要なのかもわかるかもしれない。

基本的には真逆の事を少しの時間でも「味わう」のだ。

その時間が「全くない」のと「少しだけでもある」では明らかに心の疲れ方は違う。

心に疲れを貯めてはいけない。

少しだけでも真逆の事を取り入れよう。

人間関係。

人間関係で心が疲れてしまっている時にさらに新しい人間関係を築くことはお勧めしない。

新しい人間関係が必ずしも良いものになるとは限らない。

そもそも全く同じ価値観を持っている人と出会える可能性の方が低いのだ。

出来るなら真逆の事をする方が癒されると感じる。

つまり一人でいる時間。

何もしない時間。

話をしない時間。

そういった時間を少しでも作ることが出来ればその間に心は安らぐ。

人間関係とは無縁の何かによってあなたの心が支えられているかもしれない。

コンプレックス。

コンプレックスというのは自分以外のものと自分を比べることで生まれる。

そして誰もが一つは必ず持っていると言ってもいい。

だが他人やその他の社会と全く比べない時間を作ったところで心は癒されない。

そのままの疲れもキープされてしまう。

だからコンプレックスを感じていない部分を褒めるのだ。

コンプレックスを持ちながら今日一日に立ち向かった自分を褒める。

コンプレックスがある代わりに出来た部分を褒める。

自分がよくやっているという部分を褒めるのだ。

取り柄を褒め、その部分をしっかり見つめてあげる時間を作る。

自由。

自由と呼べる範囲がどこからどこまでなのかは人それぞれだが、好き勝手やっていい社会など何処を探しても見つからない。

それでも自由が欲しいと思うのであれば自分なりの自由を確立する時間を作るしかない。

それがどんな自由であっても自分が「自由」と感じる時間が必要になる。

心の底から「自由」を求めているのであれば、その「自由」を探している時間こそ自由なのだ。

もし「自由が無い」と嘆き、心に疲れを貯めているのであれば自分なりの「自由」を探す時間を一日の中で少しだけ作るようにしてほしい。

その時間こそ今すぐ手に入る「自由」なのかもしれない。

仕事。

仕事は常に身近にある重要な存在である。

社会の中で生きていくには必ず仕事という考え方を切り離すことが出来ない。

だからこそ心に疲れが溜まる。

だが心の疲れを貯めることで仕事がうまくいくのだろうか。

もちろん仕事で溜めた疲れを一気に癒すことが出来る未来を感じているのなら別である。

今あなたがやっている仕事に対してどれだけの未来が約束されているのか。

そもそも未来が約束されていないのであれば仕事をしていてもしていなくても変わらない。

大切なのは心に疲れを貯めてもそれに見合ったリターンがあるかどうかである。

口約束は会社の書類だけで証明するだけではなく。

自分自身のやりがいや自分の未来の為に時間を費やせているのか。

時間は何処に投資するかでその見返りは大きく変わる。

もし何も考えずにただ心に疲れを貯めてしまうような仕事をしているのであれば考えてみるべきだ。

自分の時間という投資をする上で本当に適切なのか。

時間はお金と同じように有限であり、資産である。

資産をいかに減らさずに大きなリターンを掴めるかどうか。

自分の時間を投資家としてもっとしっかり考えるべき時。

心の支えが仕事であるのならさらにもう一度考える時間を作るべきなのだ。

子育て。

心をすり減らして毎日毎日を子供の為に生きている。

ストレスといった簡単な言葉では表せないくらいに辛い時間があるのだ。

一人の時間が欲しい。

好きな事がやりたい。

子供がいない時間もほしい。

人手が足りない。

最も心の支えが必要とするのが子育てなのかもしれない。

他の部分は時間を費やすことでその癒しを得ることが出来るが、子育ては常に離れられない。

子供から手が離せない時期であれば猶更だ。

「子育て」というキーワードで検索をすればほとんどの人が同じ悩みやストレス、そして心の疲れで悩んでいる。

子育ては様々なものを親として試される。

「うまくやる!」なんて出来ないのだ。

「想像と違う!」なんて毎日だ。

それを繰り返していれば心はどんどん疲れていくだろう。

相手は子供である。

自分や今いる環境を変える以外に方法はないと考えていい。

子供を今すぐに変えるなんて出来ないのだ。

なんでも思い通りにならない。

なにもかも思い通りに進まない。

それでもまだ思い通りに進めたい自分がいるのなら少し考えてみてほしい。

一番大切なのは「子供の命を守ること」だ。

それ以外の部分で心をすり減らしているようなら少しずつ変えていかなくてはいけない。

出来ないものは出来ない。

やらなくていいと投げ出すのではなく、大切なのは優先順位。

その優先順位は「命を守る為のもの」だけで付けるべきである。

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心の疲れに合った支えが必要である。

全ての心の疲れが私と同じ「音楽」によって癒されるわけではない。

でも心が疲れたらなぜか支えてくれるようなものに吸い寄せられる。

全てのものに何の考えもなく飛びつくのは良くない。

でもそれをヒントに自分にはどんな支えが必要なのかを考える切っ掛けにする。

そうやって知らずに自分の中で受信しているアンテナの感度を高めていく。

それはお金を使うことでも無理をすることでもなく自然に体に馴染んでくるような感覚のものがいい。

その感覚を持ってお金が必要ならそうするだろう。

無理をしてでも癒されるのであればそうするだろう。

自分の心の疲れがどんなものかもわからずに何でも「癒されそうだ」と飛びつかない。

まず必要なのは自分が置かれている現状をしっかり把握すること。

そして倒れてしまいそうな心にはどんな支えが必要なのか考えること。

それが大好きな人と一緒にいる時間なのか、それとも一人でいる自由な時間なのかはわからない。

そのわからない状態で大好きな人と一緒にいるのであれば本当に心の支えになっているのか考えてみてほしい。

わからない状態で一人で自由な時間を過ごす選択が本当に心を癒すのか確認してほしい。

本当に必要な心の支えというのはなんなのだろうか。

せっかくここまで読んでもらえたのだから考えてみてほしい。

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心の支えとは自分を大切にする時間である。

心が疲れている時、その疲れの原因がなんであれそれに見合った癒し方がある。

心の支えなんていうのは気まぐれなのだ。

その都度発見して支えてもらう。

それを繰り返していく内にきっと何かに気が付くはずである。

またその気付きにもばらつきはあるかもしれない。

私はその支えの全てを自分を大切にする時間だと決めている。

音楽を聴く時間。

好きなアーティストを探す時間。

そして今の気持ちに沿った歌や歌詞、声を探す時間。

勇気づけられる曲だったり共感する歌詞だったりを探す時間。

どれもこれも自分の心が疲れているからだと思う。

心が元気な時に音楽は聴かない。

音楽に支えられなくても自分で立つことが出来るからだ。

だけで心が弱ってくると自然にそういうものを探し始める。

頼りたくなる。

力を貸してほしくなるのだ。

結局自分を助けてほしいから。

むしろ心が疲れてしまうくらい頑張っている自分をたまに大切にしたくなる時間。

その他大勢の人の中から自分だけを一番大切にしてやりたい時間なのだ。

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あなたはすごく頑張った。だから自分を大切にする時間を与えてやってほしい。

こんなに自分以外のものの為に頑張ることが出来たのだ。

でなければ心が疲れることなどない。

自分以外の人の為に根こそぎ心を持っていかれそうになっている。

だから心の支えが必要なのだ。

それを頑張っていないわけがない。

むしろ心は目に見えない。

目に見えないから他人がその疲れを正確に判断することなど出来ない。

だから自分にしか心の疲れに気が付かないかもしれない。

疲れ切って、それが体の異変に変わることもあるかもしれない。

でもそれでは遅いのだ。

そうなってからでは遅すぎる。

だから誰にも気が付かない心の疲れの位置で、今、癒してしまうべきなのだ。

それはあなたがあなた自身を最も大切にする時間なのではないかと思う。