「背中で語る男」の本質と「偽物」との差

小言

この間、友人に、「男なんだから言わなくてもわかるだろ」と言われた。

私は確かに男だ。

そして友人も男。

男同士だと、わざわざ言わなくてもわかる事があるらしい。

待て待て待て。

別に言っても良くないか?

まるで代々技術を継承してきた職人のような「背中で語る」思考の持ち主なのだろうか。

我が家には子供がいる。

私は父親として「背中で語る」よりも言って聞かせる方がよっぽど伝わると思っている。

むしろ背中では語れない。

背中に口は無い。

が、コミュニケーションの一つとして背中を使う方法はある。

と、私は思っている。

いつの間にか「背中で語る」は男としての生き様や価値を表すような言葉になったけど、私はそれを勘違いして使っている男を見ると「バカ野郎が!」と言いたくなってしまう。

今回は久しぶりに悪口チックなブログになってしまうけど、ちょっと聞いてほしい。

この世には背中で語る男の偽物がいる。

背中で語る男の偽物に言いたい事がある。

てか、「背中で語る」って一体なんだろうか…。

ちょっと、「背中で語る」について真剣に考えてみようと思う。

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それ、ただの口下手です。

私の友人のように、背中で語ると言われても、「言いたい事があるのに言わない」ってのはどうだろう。

背中で語ると言うより、態度に出てしまうような気がする。

相手に自分の気持ちがうまく伝わらなかったらイライラしない?

イライラしても相手に言葉で伝えずに背中で語れる?

いや、無理だろ。

男の中には「背中で語る」を都合よく使おうとする奴もいる。

「ただの口下手」なくせに、相手に伝える勇気が無いだけなのに、「俺は背中で語るタイプだ」とイキる。

それはダサいです。

だったらせめてちゃんと口でも語れるようになってくれ。

後々「言わなくてもわかるだろ」とか言う奴は結果的に口で語ってるからね。

背中で語るってのはそもそもイライラや不満を「雰囲気で感じ取れ!」というものではない。

背中でコミュニケーションを取るって事だと私は思っている。

基本的には口に出した方が伝わりやすいに決まっている。

「言わなくてもわかるだろ」って事がわからない相手に「感じ取れ」って言うのは余計なハードルをもう一つ増やしてるだけ。

余計に伝わらん。

それなのに「背中で語れ!」とか言う男はただのバカだ。

ただの意地悪だ。

性格が悪い男だ。

無意味な事に気が付け。

世の中には背中で語って伝わる人もいれば、ちゃんと口で伝えなきゃわからない人もいる。

コミュニケーションが未熟でその使い分けが出来ないだけのくせに背中で語ろうとするなど究極の愚。

自分がただ口下手で本当の事を口に出す勇気も無い臆病者だと気付いてほしい。

まず言えるのは、「背中で語る」ってのは言いたい事を自分の都合で我慢する行為ではない。

「あえて言わない」とか、そんな薄っぺらい理由ではない。

「口で語る」よりも「背中で語る」方が相手に伝わるコミュニケーションの一つなのだ。

自分のコミュニケーション能力が低いだけなのに「背中で語る」を持ち出すな。

それは偽物だ。

本物なら、「口で伝えるよりも背中で語る方が伝わる」って理由で使え。

私は数多くの偽物を知っている。

その多くの男が背中で語りたがるのはいつも「口には出せない不満」ばかり。

なんとネガティブな背中だろうか。

私はもっと男らしい背中を見せたい。

言わなくても伝わってくる背中を見せつけたい。

間違った解釈をするな。

「背中で語る」ってのは簡単ではない。

「言わない」と「背中で語る」は別次元。

背中で語らなければ伝わらない感情やこれまでの経験や歴史がある。

が、私を含め多くの人が間違った解釈をしている。

「努力は裏切らない」や「継続は力なり」も間違った解釈をしている人が多い。

「努力は裏切らない」ってのは「とにかく頑張っていれば必ず報われる」って事じゃない。

そんなに都合の良い言葉ではない。

自分が求めている結果に向けて、日々考えて、日々苦悩して、日々失敗して、日々改善して、日々成長して、やっと結果を出せたからこそ言えるセリフなのだ。

何の結果も出していない人が「努力は裏切らない」と言って目標とは的外れな頑張りを続けている状態を目の当たりにするといつも思う。

「それ、何の努力なの?」って。

人には何かしらの目標がいつもあって、漠然とその目標に向かって生きているつもりなんだろうけど、気が付けばその目標を達成する事を忘れ、「たまには休息も必要だよね!」と言って休んだりする。

本気で目標を達成しようとしている人が「たまには休息も必要だよね!」と言うのだろうか。

「たまには休息も必要だよね!」程度の目標を掲げながら「努力は裏切らない」とか「継続は力なり」といった言葉を口にする状況。

都合の良い言葉を探して自分を慰めていると思いません?

一時的なやる気なんて誰でも出せる。

目標なんて適当でも掲げられる。

でも、どれもこれも結果を出さなければ意味が無い。

私は、目標を達成する前に「努力は裏切らない」や「継続は力なり」なんて言葉を使うつもりはない。

「話をする時間すらもったいない」と思って目標達成へ向けひたすら挑み続けるべきだと思う。

その方がカッコいいと思うのです。

まるで私がそれをやっているように感じたかもしれないけど、やってません。

出来ません。

でも、今後はそれが出来るようになりたい。

目標へ向かって、それを達成する為に、ただひたすら努力を続ける。

結果が出るまでは自分を慰めたりしない。

休息すら目標を達成する為に使う。

結果が出るまでは黙って、やる。

その先に、「背中で語る」ってのがありそうな気がするんです。

本音じゃなければ大切な部分は伝わりません。

背中で語る前に、私には明らかな課題がある。

「背中で語る」を究極のコミュニケーションだと仮定すると、そもそも私はまだまだコミュニケーションが未熟で下手なのです。

嘘をつくのは得意ですが、それはコミュニケーションとして成り立っていない。

私が求める究極のコミュニケーションは、相手の本音と自分の本音がぶつかりながらも共存しようとする話し合いです。

究極のコミュニケーションは相手と自分の真の理解に繋がると思っています。

本音を伝える事が習慣化する事で価値観が違う存在でも共存出来ると信じています。

どんなに違う価値観を持っていても、理解し合えていれば、互いに無駄なストレスを溜める事が無くなる。

考えている事を口に出して、相手に伝えて、理解してもらう。

自分も相手の事を深く理解する。

そういった関係になってこそ「背中で語れる」ようになるんじゃないかと思っている。

だから相手が嫌がる事も、喜ぶ事も理解しなければならない。

その為にはまず、「本音」だ。

自分の感情に嘘をついて、それを相手に伝えたところで、相手は偽りの私を理解する事になる。

偽りの私を理解されたところで本来の自分にはなれず、ストレスを溜め続けるだけの関係になってしまう。

そんな関係の先に「背中で語る」は無い。

「もう口で伝えるのもめんどくさい」と考えて本音を表に出す事を辞めたのなら、それはコミュニケーションの放棄であって、「背中で語る」ではない。

私は、背中でも本音で語りたいのです。

共に同じ時間を過ごしながら年齢を重ねた夫婦は話をしなくても相手が考えている事がわかるらしい。

私はその感覚をまだ味わった事がない。

だけど、どこか、「背中で語る」と似ているような感覚なんじゃないかと思っている。

相手の事を心から理解する為には本音が必要になる。

本音で伝えて、本音で返してもらって、理解し合う。

大切な感情ってのは絶対に本音の中にある。

だって、大好きな人に告白する時は「好きです。付き合ってください。」って言うでしょ?

あれが本音じゃなかったら?

本気で伝えたい想いってのはいつも本音。

「好きです」って言葉だけじゃなくて、全ての感情を本音で伝えられた良い関係が築けるんじゃないかと思う。

でも、「好きです。」って伝えるのは、凄く難しいのです。

恥ずかしいし、「もし否定されたら?」と思ってしまう。

臆病になる。

でも本音を伝えないと、一生好きな人に気持ちは伝わらない。

どうする?

このまま一生伝えないつもりか?

本音じゃなきゃ、相手に大切な想いは伝わらないし、伝えられない。

人の本音は「好きです。付き合ってください。」だけじゃないんだぞ。

コミュニケーションの基本は会話です。

ここまで散々「背中に語る」にこだわってきたけど、コミュニケーションの基本は会話です。

相手に理解してほしければ、本音を言葉で伝えるのが基本中の基本。

ただ、「本音」ってのが凄く難しい。

「本音」が常に相手にとって嬉しい言葉だとは限らないから。

もしかしたら本音を伝える事で相手を傷つけてしまうかもしれない。

もしかしたら最も言われたくない事かもしれない。

本音として伝える事が決して最良の選択ではない場合もある。

そんな時に必要になるのが「上手に伝える」って事だと私は思っている。

傷つけてしまうような事も、言われたくない事も、「伝え方」が上手なら、本音として理解してもらえると私は信じている。

そこに必要なのは「背中で語る」ではない。

むしろ会話。

上手に本音を伝える圧倒的なコミュニケーション能力だと私は思っている。

コミュニケーションが上手な人は多くの人と本音で会話が出来る。

伝えるのが上手いからだ。

たまに「何でもズバズバと本音を言える人」がいるが、あれは「本音を伝える」は出来ても、結果的に嫌われたりする。

コミュニケーションが下手だから。

本音を伝える事は凄く大事。

でも、コミュニケーションとして本音を「ただ伝える」ってのは違う。

相手に合わせて、相手が理解してくれるように、本音を上手に伝える必要がある。

もちろん会話で。

それがコミュニケーション。

多くの人が「本音は伝えてはいけない事だ」と勘違いしている。

それはコミュニケーションを無視しているのと同じ。

会話の中で、相手の事を尊重して、上手に本音を伝えられるようにならなければならない。

コミュニケーションが上手になればなるほど、多くの人に自分を理解してもらえるようになる。

そして相手を理解出来るようになる。

良い人間関係を築く為にはコミュニケーションの上達は必要不可欠だと私は思っている。

そして、そんなコミュニケーションの中に「背中で語る」が含まれている。

そう考えると、コミュニケーションが上手な人は背中で語るのも上手って事になる。

基本は絶対に会話。

それはずっと変わらない。

だって、動物の中で会話が出来るのって人間だけでしょ?

それだけ複雑に作られている生き物なんだと思うのです。

せっかく言葉が話せるんだから、使った方がお得です。

背中で語るなら、コミュニケーションが上手になってからの方が効果は高い。

私はそう思っている。

背中で語るのは、生き様です。

人は多くの価値観に触れて、その度にコミュニケーションを学んでいきます。

学校でも仕事でも恋でも、様々な価値観に触れて、コミュニケーションを学びながら成長していきます。

たくさんの事を経験している方がコミュニケーションスキルが高いのは、より多くの人と意見を交わし、本音を伝え合ってきたからこそだと私は思います。

コミュニケーションの一つとして「背中で語る」があるのなら、誰かがその人の背中を見た時に感じるのは生き様。

今まで経験してきた多くのものが語らずして見えるか想像出来る瞬間。

「ああ、この人はたくさんの苦労と努力の末、今があるんだな。」

人生に正解なんてのは無い。

だから私はこれからも自分が目指す幸せに向かってひたすら進んで行く事になる。

その先に、もし背中で語るような機会があればせめて「幸せそうだな」と想像してもらいたいものです。

背中で語るってのは、これまでの経験から得た様々な価値や歴史が背中を見るだけで誰かに伝わる瞬間なのだろう。

私は男として、そこで誰かに「こいつダメな男だな」と思われたくない。

だから今日も精一杯自分の人生を生きようと思います。

大した経験もしていない男が背中では語れない。

私は「背中で語る」を口で説明するような偽物にはなりたくない。

さ、今日もがんばろ。

小言
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心優しきあなたにお願いがあります。

改めまして、執筆者のdaimaruです。

かれこれ数年このブログを続けて来て、思った事があります。

「ひとりで更新し続けるのって寂しいやん」

って事で読んで頂けた方々の感想やら文句やらもブログとして掲載していきたいと考えております。

この下にコメント欄を作ってありますので是非、何か、頂けたら幸いです。

あと、お手数ですが誤字脱字やらも見つけたら報告ついでに一言もらえると私は全力で直します。

数年更新し続けると読み直すのがさすがにおっくうなのです。

どうか、ご協力ください。お願いします。

あれんじ

どうか感想をください。