「飲みにケーション」は本当に必要ですか?

人間関係

飲みにケーションって言葉はもしかしたらもう古いのかもしれないけど、私は「居酒屋があって良かった」って思うことがあります。

人には人生を歩む中で大波小波が必ずあります。

ずっと順風満帆にはいかない。

楽しい時もあれば辛い時もあるんです。

私は辛い時に限って、仕事の同僚や付き合いの長い友人を誘って飲みにいくことが良くありました。

はい。

過去の話です。

今は必要としておりません。

理由はあまり愚痴を言う機会が無くなったからです。

今は誰かと価値観を共有する必要が無くなったからです。

もし、自分が会社を経営していて、社員達の価値観がバラバラで仕事にもその影響があるようなら飲みにケーションを必要とするかもしれない。

でも今の私はそうではありません。

「迷い」とか「不安」がある時、その価値観を誰かと共有したくて、一緒に誰かと居酒屋へ飲みに行くことはあった。

実際に気持ちが楽になることもあったし、お酒の力を借りてでも本音を言う機会があったことに感謝している。

それを経て、自分なりの「迷い」や「不安」を払拭する方法を編み出せたのだと思っています。

「今の私に飲みにケーションは必要ないけど今後ずっと必要が無いとは思えない」のです。

ってことは、飲みにケーションが「必要な」人もいれば「必要ない」って言う人もいるんでしょう。

ってか、根本はコミュニケーションです。

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「良い飲みにケーション」と「悪い飲みにケーション」がある。

「飲みにケーション」って響きがなんかウザいのです。

そもそも、「なんとなく飲みにでも行きますか!」みたいなノリで居酒屋で語らうくらいの気持ちでいるのに、「飲みにケーション」って言われると、なんか「無理やり」的な響きになるような気がする。

今までコミュニケーションがうまく取れなかった人とお酒の席で改めて価値観を共有するような感覚。

イメージなんですけどね。

「飲みにケーション」って言われるとそんな感じがしてしまうわけです。

半強制的な。

そもそも「行きたくない」って思っている人を無理やり誘う必要がどこにあるのかわからない。

誘っても、「今日はちょっと…」みたいになったらそれはそれでOKなはずなんです。

それなのに「上司からの誘いを断るのは失礼だ!」とか「みんなが行くのにひとりだけ乗り気じゃないと冷める」とか言う。

そういう人達が誘い易いように発明された言葉が「飲みにケーション」って感じがするのです。

「そういうコミュニケーションの取り方があるんだよー!」みたいな感じ。

これって、そもそも「行きたくない」って思っている人からすると、ウザいのです。

「行きたい奴だけで行け」って素直に思うわけです。

でもそれを直接言ってしまえば余計にめんどくさくなるわけじゃないですか。

だから「今日はちょっと…」ってやんわり断ろうとしてるんだから気が付いてほしいわけです。

「もう少し強引に誘ったら来るかな?」とかじゃない。

「飲みにケーションって言うじゃん?」とかじゃない。

ただ行きたくないだけなんです。

それをなんとか連れ出そうとしている感じ。

「飲みにケーション」って言葉。

普通に「今日一緒にご飯食べない?」って誘えば良くない?

断られたら次の機会にまた誘えば良くない?

飲みにケーションってお酒を飲みながらその場のノリで考えたような言葉かもしれん。

だとしたらそういう場が「苦手な人」や「行きたくない」って思っている人からすればしょうもない言葉なんです。

普通に「一緒にご飯でもどう?」って誘ってくれれば良いじゃないですか。

普通に断られたら「じゃあまた別の日に誘いますわ!」で良いじゃないですか。

無理矢理連れ出されて「飲みにケーション」なんて思えないです。

「私と無理やりにでも話せ!」って言われて良いコミュニケーションは取れないです。

「良い飲みにケーション」と「悪い飲みにケーション」があるんです。

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お酒の「ある」「なし」に関わらず良いコミュニケーションを取れるようにするべき。

これもそもそもではあるんですが、「お酒」が無くても良いコミュニケーションが取れるような状況でなくてはいけない。

人としてもね。

上司になるくらいなんだから余計にそのスキルは必要になると思うんです。

仕事の同僚と行くにせよ、上司と行くにせよ、学校の先輩後輩にせよ、どんな状況でもその場で最も効率よく、良いコミュニケーションが取れるのが一番なわけです。

お酒の席でなければ本音を言えないとか、深い話が出来ないとかではなく、もし、問題があればその場で効率よくコミュニケーションが取れることが望ましいと私は思っています。

「それが出来ないから飲みに行く。」のはわかるんですが、お酒が飲めない人やそういう席が苦手な人もいるわけですから、そもそも仕事の話を外に持ち出して、まるで「延長戦」のようにされても困るわけです。

多くの人がその場で良いコミュニケーションが取れるのが望ましいのに、お酒の席でしか話せない環境は良いのか悪いのか…。

「お酒が飲めること」が「スタンダード」なわけじゃない。

「普通」なんて無いんです。

その人が持つ価値観なんです。

お酒の席でしか「良いコミュニケーションが取れない」って人はダメ。

絶対にダメなんです。

お酒の席だろうが、仕事中だろうが、学校にいようが、上司だろうが先輩だろうがその場で良いコミュニケーションを常に取れる人にならなくちゃいけない。

それが出来ないのに「飲みにケーション」って言葉のせいで「お酒の席で本音を話す」がスタンダードになってしまうじゃないですか。

それだとお酒が飲めない人はどこで本音を話せばいいの?

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「コミュニケーション」を「飲みにケーション」でごまかしちゃダメです。

飲みの席だと本音で話が出来たとしても、「お酒の席での話」になってしまう。

時には「無礼講」なんて言われて流されてしまうことも。

それってせっかく良いコミュニケーションが取れたのにすごく残念。

次の日には忘れてしまうかもしれないなんてすごくもったいない気がするんです。

飲みの席で愚痴や本音を言ってすっきりするだけであれば別に「飲みにケーション」なんて言わなくていい。

一方的に伝えて終わり。

一方的に吐き出して終了。

ただの飲み会で良し。

飲みの席で良いコミュニケーションを取るのが「飲みにケーション」なんです。

何かを言いたいから飲みの席に誘うのは飲みにケーションではない。

私はお酒の席でしかコミュニケーションが取れない人は尊敬しません。

お酒の席じゃなくても、お酒の席であっても、良いコミュニケーションが取れる人を尊敬します。

本当に取らなくてはいけないのは「コミュニケーション」です。

それを「飲みにケーション」と言ってはぐらかしちゃダメでしょ。

「飲みの席だと本音が出せる」って考え方も個人差があるでしょ。

お酒は楽しく飲みたい。

二人で語り合うも良し。

ワイワイみんなで騒げるのも良し。

せっかくの飲みの席なんです。

楽しくやりたいじゃないですか。

その中で良いコミュニケーションに発展するのはわかる。

本音で語り合う時間が出来るのもわかる。

結果的に「飲みにケーション」って言いたくなる気持ちもわかる。

ただ、初めから「飲みケーション」って必要でしょ?

って言われると私は否定したくなる。

必要なのは「コミュニケーション」でしょ。

それが「飲みの席でしか出来ない」って言ってるようなもの。

私はお酒があろうがなかろうが良いコミュニケーションが取れるようになりたいです。

尖った意見かもしれん…。