人生には「やりたくない事」をしている時間など無い

メンタル

人は目標や目的が無いと迷います。

やりたい事が見つからないと何をしても中途半端な感じになります。

私はそうでした。

やりたくない勉強、やりたくない仕事。

1日でも長く生きたいのに、やりたくない事をしている時は「早く時間が過ぎればいいのに」「あと5分かぁ」と退屈そうにする。

圧倒的な矛盾。

勿体無い時間。

人生に「やりたくない事」をしている時間など無い。

退屈な時間など必要ない。

私は自分の人生を生きる為に生まれて来たのです。

改めて考えよう。

自分の人生を自分らしく生きること。

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入り口は必ず自分で選べ。

私は大人になるまで、自分でやりたい事を選べませんでした。

進路を選んでもらったり、習い事も紹介された中から選んだり。

「これがやりたい!」って自分で選んだつもりでも、実は誰かの選択肢の中でした。

仕事なんてほぼ、なんとなくで決めた。

「この仕事がしたい!」って本気で思ったわけじゃなくて、どちらかと言えば「働かなきゃ!」という漠然とした理由でその仕事を選んだ。

ブログでも何度か自分の歴史を書いた事があるけど、自分で「これがやりたい!」って決断出来る様になるまですごく時間がかかったんです。

自分で決断しないと「頑張れない」し、「誰かのせい」ばかりになる。

「これがやりたい!」って意思が無ければ私は頑張れない。

なんとなく過ぎていく毎日になる。

失敗すれば誰かのせいにする。

いつも誰かに与えられているような気持ちでいたらなにも変わらない。

進路を選ぶも、仕事を選ぶも、目標を掲げるも、1番最初の感情がすごく大事。

必ず自分で「これをやる!」って決めなければいけない。

誰かに勧められた事だとしても、限られた選択肢から選ばなくてはいけなくても、その入り口は必ず自分で決める。

なんとなく選んで、なんとなく与えられて、なんとなく頑張って、失敗して、誰かのせいにして、なんとなく過ぎていく毎日。

それすら社会のせいにしてしまいそうになる。

この世のせいにしてしまいそうになる。

だから入り口が1番肝心なんです。

自分の人生なんだから、スタートさせるのはいつも自分の決断じゃなきゃいけない。

たとえ誰かが提示した選択肢の中だとしても、必ず自分で選ばなくちゃいけない。

じゃないと自分の人生にはならない。

私は1日でも長く「自分の人生」を歩みたい。

なんとなく過ぎていく毎日なんて真っ平御免です。

先にあるワクワクをいつも想像しろ。

毎日の生活の中で、少し先にどんな未来が待っているか想像した事はありますか?

なんとなく毎日を過ごしていればその先にもなんとなく過ごす毎日が待っている。

ただ我武者羅に努力する毎日を過ごしていればその先にもただ我武者羅に努力する毎日が待っている。

「結局変わらないのか?」って思うかもしれない。

でもきっと変わらない。

問題は「何に対して」毎日を過ごしているかで、目標や目的の有無です。

目標や目的が無いなら、なんとなく過ごしていても、ただ我武者羅に努力しても同じ。

私は自分の人生を誰かに捧げるなんて考えられない。

目標や目的は「自分がワクワクする何か」しか選べない。

目標や目的は自分が最高にワクワクするものでなくてはならないんです。

そして自分が最高にワクワクする未来を想像して毎日を過ごす。

そんなにワクワクする未来なら少しでも早く味わいたいと思いませんか?

少しでも早く味わいたいのになんとなく過ごしたり、ただ我武者羅に過ごしたり出来ない。

そんなの勿体ない。

私なら、いかに早くそこに辿り着けるか毎日考えて、それなりの答えを出して、チャレンジし続ける。

自分の人生は貴重なんだから誰かのワクワクの為に生きる時間なんて無い。

自分のワクワクの為に毎日を生きるべき。

そこに想像は不可欠なんです。

私はいつも自分が最高にワクワクする未来を想像したい。

毎日をその為に生きたい。

自分で定めた目標や目的の為に毎日を積み重ねていきたい。

「やっぱり違うかも…」を真剣に考えろ。

目標や目的を定めて、自分のワクワクの為に毎日を積み重ねていたとしても、必ず疑問は生まれる。

継続する中でしかわからない自分だけの疑問。

それは、「やっぱり違うかも…」です。

どんなに自分で決断して、ワクワクする未来の為に生きていても、不安や疑問が生まれます。

そこで「それでも自分で決めたから頑張る!」なんて安易な答えで突き進んでも、ワクワクから遠ざかっているような気持ちにしかならない。

不安や疑問を無視ししながら、「やっぱり違うかも…」と思っていても自分を変えられないのは危険です。

それこそなんとなく過ぎていく毎日に逆戻りするし、ただ我武者羅になっていくだけ。

「やっぱり違うかも…」って疑問を無視してはいけない。

自分のワクワクの為に掲げた目標や目的なんだから、ちゃんと解決しないと。

もっと真剣に向き合わないといけない。

勉強だろうが仕事だろうが恋だろうが人間関係だろうが、「やっぱり違うかも…」を放っておけば、自分のワクワクする未来は遠ざかる。

真剣に考えて決断する必要があるんです。

「続けるべき」か「やめるべき」か「改善すべき」か。

「やっぱり違うかも…」を放っておく時間すら自分の人生には勿体無い。

私は1分1秒でも早く自分がワクワクする未来に辿り着きたいんです。

だから「やっぱり違うかも…」という感情は最速で解決したい。

最も譲れないモノは絶対に譲るな。

私は大人になるまで決断する事が出来なかった。

自分の人生なのにほとんど誰かの意思が示す方向に歩いてきた。

多分私に足りなかったのは自信と勇気です。

一言でまとめるなら「私はこれをやるんだ!」っていう強い意思。

その意思があれば先に大きな失敗が待っていても、自分で選んだ未来の為に反省して、修正して、また「それでもこれをやるんだ!」って気持ちになれる。

私がこれから先の人生で誰にも譲ってはいけないものがある。

何を言われても、「自分が後悔しない為に」譲ってはいけないものがある。

それは、「私はこれがやりたい!」っていう強い意思。

だって自分の人生なんだから。

これまで教わった多くの知識をフルに活用して、人道を踏み外すような事はしないけど、自分の意思に従って生きていく。

その途中で誰かの為になったり、出会いに感謝したり、新しい目標や目的を見つけたり出来るなら、きっと幸せなんだと思う。

自分の人生を自分らしく生きていく中で、結果的に誰かの為になる事だってある。

だから今は、「私はこれがやりたい!」って意思は絶対譲りたくない。

自分の人生を生きる覚悟をしろ。

これまで私自身が自分の人生を生きられない理由は自分の中にありました。

そのほとんどが自分が掲げる目標や目的に対する意思です。

自分で掲げた目標や目的が他人から見れば恥ずかしいものでも、共感されないものでも、目標や目的を達成するまで行動し続けなくてはいけない。

それがチャレンジするってことだと私は思っている。

不安や心配は絶対に無くならない。

その度に「このままでいいのか?」って考える。

絶対に失敗もする。

自分の意思に従うからこそ大きな失敗をしたりするんだと思う。

でもそこでやめてしまえば結局誰かの意思に従い、自分の人生は生きられない気がします。

失敗した理由は自分の意思にしたがったからではなく、ワクワクする未来に到達する為に必要な試練です。

まだ足りないものがあるだけだと私は思っています。

そう考えられるのは、自分の意思に従ったからこそなんです。

誰かの意思に従えば誰かのせいにして、失敗すら認められなくなる。

それを乗り越えるべき試練だとも思えない。

「私はこれがやりたい!」って意思に従って行動すれば言い訳なんて出来なくなる。

プレッシャーや背負うものも大きくなる。

でも、自分の人生を自分らしく生きたいのにリスクが1つも無いわけがない。

リスクを抱えるからこそ得られるメリットは必ずあります。

失敗によってリスクだけが浮き彫りになる事だってある。

覚悟しなくちゃいけない。

自分の人生を生きるにはリスクがある。

そのリスクも受け入れて、失敗しても乗り越えていく覚悟。

私は幸せになりたいだけなんです。

ただそれだけの為に自分の人生を歩む覚悟が必要だと思った。

これまでそんな当たり前の事が出来なかった自分が凄く情けない。

私がこれまで憧れた全ての人は「自分の人生を歩む覚悟」を持っている。

だから「この人みたいになりたい!」って思った。

そういった人達は、素直にワクワクする方へ進み、自分の人生を真面目に生きているだけなのに、私に影響を与えている。

生き様が誰かの為になっているんです。

「誰かの為に」の入り口は「自分の為に」なのかもしれない。

私はこれから、どれだけ自分の人生を歩けるだろうか。

メンタル
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心優しきあなたにお願いがあります。

お見苦しい点が多々ある私なりの文章をここまで読んで頂き、本当にありがとうございます。改めまして、執筆者のdaimaruです。

この度、DONGURILOGという日記サービスを共同運営させて頂く事になりました。

シンプルに伝えると、「みんなで日記を書くスペース」になります。

かれこれ数年このブログを続けて思った「ひとりで更新し続ける難しさ」を解消しつつ、多くの価値観を共有しながら楽しめる場所です。

まだ始まったばかりのチャレンジではありますが、多くの方に使って頂きたいと思っています。

ここまで私が書く、しがない文章を読んで頂き、目もお疲れかと存じますが、どうか、最後に、私の渾身のワガママを聞いて頂けないでしょうか?

無理なお願いをしているのかもしれません。

でも、「日記を書く」には多くのポジティブな効果があります。今日一日を振り返るだけで多くの気付きがあります。

じらしてすみません。

一緒に日記を書いて頂けないでしょうか?

私は多くの人と日記として記録を残す毎日を過ごしたいと思っています。

そしてそれがきっかけで多くの人が救われる瞬間があるんじゃないかと思っています。

私が求めているのは募金や署名ではありません。

シンプルにあなたが持つ価値観や考え方です。

本来「日記を書く」は一人で行う趣味的な存在なのかもしれませんが、それを多くの人と同じスペースで書く楽しさを大声で主張したい。

「うおー!」です。

是非一緒に、DONGURILOGで、日記を書きましょう!

自分の為になり、誰かの為にもなる。

そんな最高のスペース作りにご協力ください!宜しくお願いします!

あれんじ

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