誰かと比べている時間なんてねーよ

メンタル

最近気が付いたんですけど、誰かと比べて「自分は○○だな」って客観視出来る力もすごく優秀だと思うけど、我武者羅に自分が思い描いた未来へ向けて超頑張ってる姿にも心を動かされるなって感じたのです。

別にそれが正しいとか言いたいわけでもないし、そうするべきだとも思ってないんですけどね。

ただ、両方を上手くコントロール出来る人ってすごくない?と思うのです。

客観視も出来て目標にまっすぐ。

最強のような気がしたのです。

ひたすらまっすぐな人って結構空気が読めなかったりわがままな感じもする。

逆に客観視ばかりしていると人に合わせることで精いっぱいになったり、逆に冷めてる感じがしたり。

なんでも冷静に判断しちゃうから熱を感じないというか。

私はたぶんそっち。

冷めてる方だと思っている。

そっちのタイプの人はいつも平均的に考えちゃうから熱を帯びないし自分の限界を知らなかったりする。

いつも力をセーブしちゃうと言うか。

隠されている力があるのに気が付いていないかもしれない。

冷静だから我武者羅になれない。

それなのに他人と自分を比べて平均を探る。

そんな事をしていたら比べる同年代がゾロゾロ成功者になっていく。

もう比べる対象がいなくなるかもしれない。

そうなる前に目を覚まさないと。

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「誰かと比べてる場合か!」と思った瞬間

社会の年齢別の平均年収以下だった

冷静に、まるでなんでも知っているかのように、偉くもないのに偉そうに生活をしていると、気がつきゃ年齢別の平均年収以下のポジションに自分がいた。

それを知った時に、「今すぐに平均以上にする方法はない」って直感した。

人が成長するのは昨日の今日ではない。

毎日何かを頑張って、それを継続していく中で、反省したり気付きがあったり、成功したり失敗したりを繰り返すからこそ成長する。

じわじわね。

その成長を「自分は客観的に物事が見れるから大丈夫っす!」とか言っている間に止めていた。

だから今になって気が付いた。

冷静でいる理由は「頑張らない選択肢」をいつも残す為である。

客観的に自分を見るのはどのくらい「頑張らなくてもいいか」を測る為である。

アホみたいに頑張ったことが無い私はそうやって「頑張らない」を正当化しようとしていた。

だから気がつきゃ年齢別の平均年収以下に落ち着いている。

なんと、落ち着いている。

満足しているのでした。

これ以上辛い事をしようと思わない。

誰かと比べることで「頑張らない理由」を探すなら、「誰かと比べても意味はない」と思っている。

どうせ比べるのならNO1に君臨する誰かにしておけ。

自分に言っている。

私はいつも世の中の平均以下と比べている。

だってNO1と比べても自分はいつも下にいるから。

これって、超ダサいからな。

同級生が成功者に

人と比べる時って大体同年代か年齢が近い人だったりする。

同級生が成功者になった。

年収なんて平均の遥か上。

未来がどうなるかわからない。

誰かと比べる私は、「その内破産でもするんじゃないか?」とか言う。

ダサ過ぎる。

現時点では敗北を認めず、「未来はわからない」っていう誰もが同じ条件を差し出して「負けを認めない」か「先の事はわからないよ?」みたいな言い訳をする。

これがダサくないわけがない。

言ってしまえば圧倒的にダサい。

誰かと比べるのなら「悔しい!」と思って一層努力するきっかけにしなくちゃいけない。

今に満足してちゃ成功なんてないっす。

上にいる誰かが下に降りて来るまで待ってる時間は無駄。

ねだっても誰かが与えてくれるわけじゃない。

自ら掴みにいかなくちゃ一発屋にもなれない事に気が付け。

全部自分に言ってます。

同級生が成功者になったら自分にもなれるってことだと思うべき。

頑張ろう。

掴み取りにいくぞ。

夢中になるのはバカかっこいい

子供の頃、私が青春の味を噛みしめていた頃、「何かに夢中になるのはダサい」と思っていた。

でもそれは違って、少し大人になると、「何かに夢中にならないと成し遂げられないことがほとんどだ」と気が付く。

ああ。

たぶん自分は夢中になることが怖かったのかもしれない。

置いてかれてしまうような感覚があったのかもしれない。

だからいつも誰かに合わせて様子を伺いながら生きてきた。

それに疲れて結局サボる方法を探したり。

一体何に疲れているんだか意味がわからない。

でもそれがあからさまに無駄になることはないと思っている。

誰かに合わせるっていうのが必要な場面は必ずあると思うし。

ただ、その分「夢中になって我武者羅に頑張る」を知らないのです。

知らないくせに青春真っただ中だった私は「ダサい」と思っていたのです。

それが逆にダサいでしょ。

何かに一生懸命になって、我武者羅に頑張るっていうのはとてつもなくカッコいいことなんだと今は思っている。

ただ、これまで「それ」をして来なかった私はなかなか出来ない。

やっぱり誰かと比べてしまう、「自分が夢中になっていることに我武者羅になる」って難しいことなんじゃないだろうか。

だからカッコいいと感じるのかもしれない。

いや。

むしろ今は憧れてるに近いのかもしれない。

何も達成してないのに誰と比べる?

私はテレビを見ながら出演している芸能人や有名人に対して何かを言ったりする。

「こいつは○○だな!」

とか言う。

偉そうに。

本音は別に家の中だし構わないと思う。

テレビの楽しみ方のひとつだとは思っている。

最近のテレビは観ている側に突っ込みを委ねているような部分もあるんじゃなかろうか。

ただ、ちょっと感じたのです。

もし、「こいつは一発屋だな!」とか自分が言ったとしましょう。

その時に気が付くはず。

「あれ?じゃあ私はゼロ発屋じゃん。」と。

ダサいですな。

一発屋にもなれない努力と我武者羅さしか持ち合わせていない。

どんなに才能が無くても、何かに夢中になって我武者羅になることは出来るのに。

それをダサいとか言う前に「感覚」として持っていなきゃいけないんじゃないだろうか。

とにかくサボる癖を何とかしたい。

じゃないと目標を掴み取ることなんて出来ないんじゃないだろうか。

思ってるだけじゃダメ。

言ってるだけじゃダメ。

黙って夢中になって努力する。

結果は後から付いて来ると思ってる。

てか、そんな私は「誰かと比べて四の五の言ってる場合じゃない」って。