私は笑って過ごす日々を送る為に生まれてきた

小言

笑う生き物は人間だけらしい。

テレビで見たことがある。

「笑う生き物は人間だけ。」

そう言っている人がいた。

 

「どうして?」

 

と聞かれたら、

 

「生きるのが大変だから。」

 

と答えていた。

 

なるほど。

と思った。

 

生きるって大変。

だから私達人間は笑うように出来ているらしい。

笑って辛い事を乗り越えていく。

大変な人生の中で笑う時間を作る。

 

せっかく人として生まれたのなら。

「笑う」を使った方がお得なような気がする。

 

ただ、いつでも笑えるような状況ではない。

どちらかと言われれば辛い事の方が圧倒的に多い。

笑っている時間はすぐに過ぎてしまうのに辛い時間は一秒一秒が重い。

 

そんな状況で、「笑え」と言われる方が苦痛。

無理なものは無理。

テレビでは昨日も今日もお笑い芸人が活躍している。

 

気が付かない間に求めているのかもしれない。

 

笑っている時間はあっという間に過ぎる。

あっという間に過ぎるから「もう一度」とアンコールしたくなる。

 

あの楽しい時間をもう一度欲しいと思ってしまう。

 

それを友人に求めたり、職場に求めたり、学校に求めたり、テレビやラジオや雑誌に求めたりする。

 

誰だって楽しく生きていきたい。

 

楽しいだけで人生が成り立つのならそうしたい。

でもそれが出来ないから、

無理矢理にでも辛い時期を乗り越えたりする。

 

出来るのなら楽しい人生を送りたい。

笑いに溢れた毎日を過ごしたい。

 

せっかくの人生なのだから楽しい事をしたい。

 

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笑って過ごす日々。

楽しい方角。

笑って過ごしたいのに、無情にも破天荒な人生はそうさせてくれない。

困難や辛い事を押し付けてくる。

神は乗り越えられない試練をその人に与えないらしい。

 

どうせなら「笑い」や「楽しみ」を与えて欲しいと願ってみる。

 

結局自分次第なのはわかっている。

誰かのせいにしたり、環境のせいにしたところで解決しない。

「全て自分で蒔いた種だ」と言われればその通りだと思う。

だから結局辛い事を招いたのも自分だったりする。

 

辛い事を経て、何もなかったかのように今は過ごしている。

 

「自分で蒔いた種だ」とか、「誰かのせいにしない」とか、

本当はそんなのどうでもよかったりする。

 

今、数々の困難を経て、何とか生きている。

テレビを見て、笑ったり、友人と話をして笑ったり、

仕事で大きな成果を出せたら笑ったりしている。

 

私は今、そもそも笑う為に生きているような気がしている。

 

辛い事が起きて、二進も三進もいかなくて、

すごく悩んで、時には泣いたりして、誰かに迷惑をかけたりもする。

 

でも結局笑う為に生きているような気がする。

 

あんまりネガティブな事が続くと、「辛い事ありきの人生」だと思いたくなる。

その時は辛いことで頭がいっぱいになる。

 

一生という長めのスパンで考えた時、

私は笑う為に生きている。

私は楽しむ為に生きている。

と思いたい。

 

そもそも辛い事を考えて生きていない。

 

辛い事が起きた時に、それが過ぎ去った先の「笑い」や「楽しみ」は倍増する。

その効果は知っている。

誰よりも一生懸命向かい合った「何か」が叶った時。

 

誰よりも嬉しい瞬間を手にしたりする。

誰よりも楽しい瞬間を手にしたりする。

笑いながら泣ける。

 

「辛かったなぁ。」と、

泣きながら乗り越えた喜びと達成した歓喜で笑ったりする。

 

自分の人生と大真面目に向き合った時の絶望と、その先にある喜びと、目の前にある現状が交錯して、よくわからなくなったりすることがある。

 

どう進んだら楽しいと思う?

どれを選んだら笑えると思う?

 

自分が笑える瞬間だったり、自分が幸せに思う瞬間が想像出来る方へ進まなくちゃいけない。

 

これが、今が辛くても、結局「楽しい」と思える選択なのか。

 

誰かに呼ばれたから選択するのか。

手のなる方へ。

それが楽しみを得られる方法だったり、笑える方法なら良い。

 

私は違う。

 

そういうタイプじゃない。

だから一生懸命探す。

笑える方角。

 

家族がいる。

幸せにしたい。

笑いで溢れるようにしたい。

 

選ばなくちゃ。

今目の前にある困難は本当に辛いか?

乗り越えたら何が待っていると思う?

 

将来的に笑える方角へ進みたいだけ。

 

ワクワクする挑戦を。

少し長く生きていると、なんとなく気が付くことがある。

それは自分の性格。

 

自分の事だからあんまり自分で分析なんてしてこなかったけど。

 

なんとなくわかってはいるけどそれを誰かに伝えるのはすごく難しかったりする。

それが歳を重ねると、なんとなく自分の口からも説明出来るようになる。

 

そうなると誰かにそれを伝える。

「自分はこういうところがある。」

と伝える。

ダサい部分も含めて全部わかるようになる。

そうなると、

 

ダメな部分が見えてくる。

直したい部分が見えてくる。

付け足したい何かが見えてくる。

足りない部分が浮き彫りになる。

 

それを補う為にはどうすればいいのか考えたりする。

 

それを補える方法が見つかった時、

ワクワクする挑戦になったりする。

 

自分に足りない部分を補うのと同時に、なりたい自分になれる可能性を秘めているから。

 

辛い事が続いているから、ワクワクする方向を探せなかった。

だけど自分の事をちゃんと理解出来るようになると、自然に足りない部分にも目がいくようになる。

足りない部分を補う方法を考えたりする。

 

完璧な人間なんていない。

 

そんなのがいたらなんも面白くない。

誰もが未完成で、完成を求めている。

だから人類も世界も進化する。

 

得意な事もあって不得意な事もあるのは当然。

めちゃくちゃ普通。

 

その普通をどれだけ自分の中で理解して、噛み砕いて飲み込んで、消化出来るか。

深く理解してワクワクを生み出せるかどうか。

 

自分が求めるワクワクした挑戦をするのに何が必要で何がいらないのか。

 

携帯がいらないなら捨てる。

友達が必要ならコミュニケーション能力に磨きをかける。

お金が必要なら頑張って稼ぐ。

 

携帯に入っているアプリの中で、

自分のワクワクする挑戦に必要な物はいくつあるだろうか。

 

SNSは本当に必要か。

ラインは本当に必要か。

ゲームは本当に必要か。

 

必要なら残す。

でもワクワクする挑戦に必要ないなら捨ててしまう。

 

ごちゃごちゃ考えるのはやめ。

 

シンプルにワクワクする挑戦だけをしていきたい。

 

それがなかなか出来ないのが現代なのかもしれない。

 

大切にすべきもの。

ワクワクするような挑戦をする時、自分の中で大切にしなくてはいけないものがある。

自分が挑戦するものによるけど、

人間関係だったり、家族だったり、お金だったり、

ワクワクする挑戦を続ける為に大切にしなくてはいけないものがきっとある。

 

自分がこれから楽しく、笑って過ごせるように、大切にしなくてはいけないもの。

 

それは決して蔑ろにしてはいけない。

それが無くてはそもそもワクワクするような挑戦も出来ないのだから。

ワクワクするような挑戦を支えてくれている人がいるかもしれない。

ワクワクするような挑戦を期待している人がいるかもしれない。

ワクワクするような挑戦に協力してくれる人がいるかもしれない。

 

それがどんなに些細なことであっても、感謝の気持ちを忘れてはいけない。

 

挑戦の結果、もし大きな成果を上げられるようなら、きっと喜んでくれるような人。

そういう人達に感謝の気持ちを忘れてはいけない。

挑戦の内容にもよるけど、一人では成り立たない成果だってある。

一人では思いつかなかったアイデアだってあるはず。

 

自分が笑って過ごせるような、ワクワクする挑戦が出来る今から感謝するべき。

 

大切にすればする程、挑戦に成功した時は自分の事のように喜んでくれるのだと思う。

私なら、せっかく最高にワクワクするような挑戦をするのだから、

その先にある喜びも、笑いも、嬉しさも、幸せも、誰かと共有したいと思ってしまう。

 

それが友達でも、

家族でも、

同僚でも、

先輩でも、

上司でも、

彼女でも、

彼氏でも。

 

本気で応援してくれている人と、

本気で支えてくれている人と、

挑戦の結果を分かち合う。

 

きっと、

こんなに笑って、こんなに喜んで、

こんなに最高な日は無い。

 

って思える瞬間がある。

 

そういう瞬間をたくさん作っていく。

 

それが笑って過ごす日々なんだと思う。