叱るって本当にすごい事なんだよ!秘伝なんだよ。受け取れ。

人間関係

叱る。

叱れる人。

叱られる人。

これってすごく大切な事なんじゃないかなって思う。

叱られるってなんかネガティブだし、どこか反発したくなる気持ちが生まれたりしませんか。

怒られるのとはまたちょっと違うんです。

怒るっていうのは一方的に自分だけの中で起こっているような感じですけど叱るっていうのは相手がいないと出来ない事なんですよ。

しかもその相手にとって有益な事を指摘している時。

そういう意味で使う事が多いような気がする。

それなのに叱られるということを怒られていると勘違いしている時ってありませんか。

叱る方も叱られる方も伝え方や感じ方はその時によって違うかもしれません。

でもちゃんと叱れる人やちゃんと叱られる人もいます。

本当は貴重な「叱る」っていう意味をなんだかどこかで受け入れられがたいことにしてしまっている気がするのです。

「叱る」の意識をちゃんと持たなければいけない。

叱る方も叱られる方も「叱る」っていうものが本来どのくらい有益なのかを知っていないといけない。

叱るっていうのはただ怒りをぶつけているっていうわけじゃない。

正すっていう意味でもない。

いじわるでもない。

嫌がらせでもない。

パワハラでもない。

「叱る」は思いやりなんです。

叱る方も叱られる方もその意識が欠けているとたぶん使い方を間違えてしまうと思う。

叱るっていうのは親が子に持つ愛情そのものと同じ。

将来困らないように育てたい。

っていう愛情みたいなものなんです。

だから親は子を叱る。

ただ怒っているわけではない。

叱るっていうのはすごく大切な事だし相手を想っているからこそなんです。

すごくないですか。

それってすごいことではありませんか。

もし他人に叱る、叱られる。

他人にですよ。

それが出来る人はすごい。

でも叱られる人っていうのもすごい。

実は両方ともすごいんです。

それに気が付かないで叱られたことを突っぱねたりしてはいかん。

叱る事を諦めるっていうのも違う。

そう思うのです。

叱られる方も叱る方も「期待」を持つべき。

怒っているから叱っているんでしょうか。

違います。

期待しているから叱るんです。

相手が必要だから叱るんです。

だからよほどの事では叱りません。

基本的には叱りません。

本当に必要だと感じている相手や愛情を持って接している相手にしか叱りません。

もし普段叱られているって思っている人はすごく勘違いしているかもしれない。

叱るってすごく貴重でそんなにたくさん出来るわけじゃない。

怒りがメインになっている時は叱っているわけじゃない。

言いたい事を言っているだけ。

相手の未来が本当に心配になる時って怒りますか。

怒りません。

本当に直してほしいっていう願いがあるんです。

それをちゃんと理解してほしくて一生懸命伝える時って怒りますか?

ちゃんと伝わるように話をしませんか?

大きな声ではなく、睨みつけるわけでもなく。

真っ直ぐ、伝わるように話をする。

それが叱るってことです。

いつもめちゃくちゃ怒鳴られているっていうのは叱られているわけじゃないです。

怒られているんです。

だから叱る前の段階っす。

「おいら毎日怒鳴られてるから期待されてるでやんすか?」

って思った人は違う。

残念。

それは自分で直すところっす。

怒られてるだけっす。

怒鳴られるくらい相手を怒らせるっていうのも大した奴だなって思いますけどね。

でもそれは期待というよりもまだしつけされているような段階だから勘違いはいかんです。

叱るっていうのは怒るっていうのとは違うっす。

相手の未来に期待して、今自分が持っている知識や経験を相手に授ける。

それが叱る。

伝授です。

師匠が持っている技を相手に授けるのが叱るっていうことだと思う。

たまにドラマとか映画で背中を見て育つみたいなやつあるじゃないですか。

直接見て盗むみたいなこともあるじゃないですか。

でも最終的にはしっかり伝える。

相手に対して期待しているからこそ。

本当に伝えたい事はしっかり伝える。

自分が今持っている全てを授けるような感覚です。

一度に全ては無理でしょうけどね。さすがに。

でも叱る度に渡していくんです。

叱る度に受け取っているんです。

その受け取りを怒りと感じて受け取らない人がいるじゃないですか。

無礼じゃ!

受け取ってください。

その方が絶対にお得です。

そのくらい信頼されて、期待されてるっていうことなんで受け取りましょうよ。

でもね。

叱ってるのか怒っているのかわからない人もいるんです。

いるんですよ。

変な叱り方をする人。

「後は感じろ!」

みたいなタイプ。

だから見極めが難しい。

どっち!?

って思うやつ。

でもね。

たぶん一緒にいる時間が長ければ長い程それはわかりやすくなるんです。

絶対に違うんです。

ただ怒っているのと叱っているのって違うんです。

同じわけがないんです。

だってどうでもいい相手に対して自分が持ってるものを授けようと思いますか?

思わないでしょ。

自分が持っている大切な知恵とか技術とかその他もろもろを相手に伝えるわけですよ。

全然違います。

感じるはずです。

今、「叱られてるわ」って。

だからたぶん

どっち!?

ってなってる時って叱られているわけじゃないと思うんです。

怒り上手と叱り上手。

怒るのが上手な人を叱るのが上手と勘違いする人がいます。

単純に怒るのが上手だからそれを叱られているものだと思わせるのがうまいってこと。

つまり自分が持っている知恵とか技術とか大切にしている事を伝授しているわけではなくて、単に直してほしいところをまるで叱っているように伝える事が出来るっていうこと。

それでも叱られたと感じさせる腕は本物です。

おかげで叱られているのか怒られているのかわからない。

そういう人がいるおかげで怒るのが上手な人の方が良い人と思われがちです。

思われがちなんですよ。

怒ってる時は怒鳴る。

叱っている時はちゃんと話す。

っていう方がわかりやすくないですか?

怒ってるくせに叱ってるようにしてくる上手い人の方がやっかいだと思うんですよ。

頭がいいというか臆病というか。怖がりというか策略家というか。

なんか頭脳派がうまくやりそうな感じがしませんか。

学のない私にとっては本当にわかりにくいなって思うんです。

もっとシンプルにしてほしいなって思います。

「怒ってますやん!」

「叱ってくれてますやん。」

がわかりやすい方がいいなぁ。と。

思うのです。

とは言っても会社の中とかで怒鳴り散らすより冷静に怒られる方が見栄え的なものや相手の反応はいいのかもしれないですけどね。

どっちも良し悪しがあるっていうことにしておきます。

それと逆に叱ったり怒ったりを間違えて伝えてしまうことだってあります。

正しいのかどうかっていう判断も人ですから間違えてしまう事があるんです。

誰でも間違えてしまうことはあるんです。

でもその受け取り方によってはやる気が無くなってしまうっていう人もいるはずなんです。

だからどれが正しいとかというよりも相手の感じ方をやっぱり考えていかないといけない。

叱るのも怒るのも上手な人がいる一方で本当に下手な人がいるっていうことは理解しておきたいなって思いますよね。

怒られると思っていなかったところでめっちゃ怒られたらビックリするしショックを受ける事もある。

叱られるべきところではないような気がするのに叱られても響かない。

だからこそ受け手のメンタル状況も把握してあげないといけない。

叱る時はただ、叱るだけでは絶対にいけない。

その後のメンタル状況だって把握しないといけないケアをしていかないといけない。

叱るっていうのはやっぱり思いやりなんです。

それが本当の叱り上手なんです。

言いたい事を言ってその後の様子も見ないなんて叱るとは言わない。

本気で相手と向き合うからこそ生まれるものなんだと思います。

叱るなら全てを背負うくらいの気持ちが必要。

初めに言いましたけどやっぱり叱るっていうのは思いやりなんです。

親が子にする愛情のかけ方と同じくらい重要な事なんです。

それが中途半端でいいわけがない。

叱る時はその後のすべてを背負うくらいの覚悟でいなくてはいけないと思う。

実際に背負うのは叱った相手です。

でもそのくらいの気持ちが必要っていうことっす。

なんとなく叱って意味があるのかってこと。

なんとなく叱られて響くのかってことっす。

せっかく叱るのなら本気で伝えてほしいものです。

中途半端な叱られ方をするとなんだかその時間が無駄になったような感じがします。

完全にいつも自分が言われる側のような感じがしてきました。

でも実際にそうなんです。

叱られて初めてわかることってたくさんあるんです。

叱られないと理解出来ない人ってたくさんいるんです。

いつも叱られて大事なことを理解してきたような気がします。

いつも叱られて正しい選択が出来るようになってきたような気がします。

だからこれからも叱られること間違いなし。

でも本気で叱ってくれたからこそ本気で捉える事が出来たんです。

本気で怒ってくれたから本気で凹むことを覚えたんです。

怒られたっていう感覚と叱られたっていう感覚両方があって初めて学ぶことが出来ることがいっぱいあるんです。

結局怒鳴られて、怒られて、冷静に叱られて。

それを繰り返していく内になんとなく自分が出来上がっていくものなんじゃないかなって思えます。

完全に自分の場合ですけどね。

つまりですよ。

怒られるも叱られるも両方あっていいんじゃないかと。

怒られて叱られて、それが上手な人もいて、不器用な人もいて。

真面目に反省する人もいて、意義を唱える人がいて。

吸収する人がいて、無視する人がいて。

もうね。

これは収集がつきません。

どれが合ってるとか間違ってるとかの問題じゃないっす。

全部自分自身がどう納得するのかっす。

どんな叱られ方をされても、どんな怒られ方をされても結局は自分の中でどう判断するか。

ただ、今までの自分は結果的にすごく良かったと思えている。

まだまだ若造ですが、本当に怒ってくれて、叱ってくれてよかったと思っています。

そのおかげで自分にとって正しい選択が出来ているんじゃないかって思います。

怒られたから直接感謝の気持ちなんて伝えた事はほとんどありませんけどね。

でもそうやって怒られたり叱られたりして思う事がすごく残っているんですよ。

心に記憶として残っているんです。

激しい怒られ方をしたことも、静かに叱られたことも。

両方とも残っているんです。

これを人はトラウマと呼ぶ場合もあるでしょう。

でもそのトラウマのおかげで自分が維持出来ている場合もあるんじゃないかなって感じです。

トラウマって呼ぶとネガティブな感じがするけど。

ちゃんと刻まれているっていうことです。

そのおかげで今があるっていうことに違いはありません。

受け取り方はそれぞれだと思います。

でも

いつでも叱りたい人やいつでも怒りたい人なんていますかね。

いないと思うんです。

出来れば心穏やかに過ごしたいと思っているはずなんです。

でも「伝えたい」って思ってそうするわけで。

伝えたい対象が自分だったっていうのは今後をどう改善するかっていうことよりもやっぱり一度受け止めるべきだと思うんですよ。

そうじゃないといざこっちが伝えたい時にちゃんと伝える事をやめてしまいそうな感じがするんです。

自分はちゃんと伝わらないからきっと他の人にも伝わらないって思ってしまいそうなんです。

これから歳を重ねていく内にきっとこっち自分が叱らないといけない場面が来ると思う。

怒らないと伝わらない場面が来ると思う。

そんな時に一つも怒られたり叱られたりしたトラウマみたいなものが残ってないとやり方がわからないじゃないですか。

その刻まれた印象があるっていうのは使う時が来るってことです。

活かす時が必ず訪れるっていうことです。

そうやって様々なものが伝授されていくんだと思います。

それは秘伝のタレです。

改良を加えることもあると思います。

でも一度たりともそのタレの味を経験したことがない人に作る事は出来ないです。

味わった事があるからアレンジ出来る。

味わった事があるからもっと良く出来る。

今叱られたこと、これから叱られること、怒られること。

その全てを活かして最高の秘伝のタレを完成させればいいと思う。

そしてそのタレを引き継いだ人がもっと良くするかもしれない。

ダメにするかもしれない。

それは相手に委ねるしかないけど。

でも、出来るならもっといいものにしてほしいし活かしてほしくないですか。

活かしてほしいし引き継いでほしくないですか。

ほしくない?

マジ?

そりゃ一代限りにするってことかい?

だとしたらそのタレを伝説のタレにしようじゃないか。

まだ誰も知らない叱り方があるかもしれない。

それを見つけるっていうのもなかなか粋なんじゃないかな。

今までになかった叱り方があってもいいんじゃないかな。

引き継ぐならそれはそれで引き継ぐ方のプレッシャーもあるし。

それってつまり叱る方も相当のプレッシャーがあるっていうことでしょう。

プレッシャー無しに叱れない。

プレシャー無しに引き継げない。

今は叱られ、いつかは叱る。

そうさ。

それが秘伝のタレになるのさ。

継ぎ足して継ぎ足して改良して重ねて伝説になるのさ。

どうか感想をください。

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