トイトレが一向に進まない我が子から親の在り方を学ぶ

生活

娘がトイトレ中です。

一向に気まぐれで「トイレ!」と言っては連れていくが、出ない。

たまに出る事もあるけど奇跡的なものでほとんど嫌がる。

こっちから誘っても嫌がる。

自分で「トイレ!」って言っても出ない。

全く定着しない。

いつかはトイレでするんだろうけどうんちがマジで臭いので可能であれば一刻も早くマスターしてもらいたい。

 

「うんちはトイレでしてくれ!」

 

この願いが届くのはいつになるのでしょうか。

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娘のトイトレ中に思う事。

トイレは?

って聞くと、

 

「行かない。」

「イヤー!」

 

の繰り返し。

たまに「トイレ!」と自分から言ったくせに出ねー。

どんなにせわしなく家の中でバタバタと家事をしていても「トイレ!」声が聞こえると「おっしゃ!」と連れて行く。

でも出ない。

 

さすがにちょっとムカつく。

それが続くとさすがに「もうええわ!」となる。

そうするとオムツに出てる。

あー。

全然うまくいかない。

どうしてここまでうまくいかないかね。

知り合いに言われたことも全然参考にならん。

というか全くその通りにならない。

ならんのだよ。

イヤイヤ期と言われる暗黒の時期と重なってるし。

そもそもその時期と重なればそりゃ、

 

「トイレは?」

 

「イヤー!」

 

ってなるわな。

その内間違いなくトイレで用を足すのでしょうね。

でもそこまでの時期がなんともイライラさせてくれるのです。

イライラするのはもちろん全然うまくいかないから。

「一発でわかれや」って思うことが多い。

というか「トイトレ」って言葉に侵略されている。

頭の中が。

そもそも必要なの?

トイトレ。

って。

思ってしまう。

トイトレとイヤイヤが重なってる。

わざわざ同じ時期にやることないじゃない。

と思うのです。

もちろん妻も同じような状況。

イヤイヤイライラトイトレの繰り返し。

さすがに…。

娘のトイレについて、家族会議が開かれるのです。

 

「そもそもトイトレとイヤイヤが重なってるから難しいんじゃないのか?」

 

確かにそうだねぇ。

一つ決めました。

可決です。

 

「深追いしない」

 

一度は言います。

漏らしそうだな。と思った時に。

 

「トイレでしようね!」

「トイレ行く?」

 

と。

そこで「イヤー!」とか言うようなら、

 

「じゃあ出そうになったら、トイレ!って言ってね!」

 

くらいに。

深追いしないことにした。

そしたらなんと!

 

さらにトイレに行かなくなりましたw

 

ばっちりオムツ生活です。

家族会議です。

トイトレという言葉に縛られている。

大人の問題です。

と言わんばかりに、

 

トイトレをしなければならない。

 

とどこかで考えてはいまいか。

それが会議の全貌。

子供には個性があります。

最近の教育では「個性を大切にしていきましょう!」「個性を伸ばす!」というまだ定まっていない個性を伸ばすという意味が分からない教育方針である上にトイトレという固定概念が乗っかる。

自由なのか自由ではないのかの境界線がよくわからない。

そもそも大人もその辺りはあまり理解していないのではないだろうか。

 

…。

 

じゃあ。どうしたらいいのか。

 

用を足すのはトイレ。

 

これは間違いない。

だからこれだけを伝えていけばいいんじゃないのではないだろうか。

怒る。叱る。

というか。

オムツでも出来る環境の中の2択でトイレを教えるっていうのはなかなか至難の業。

まだ3年も生きていない。

オムツで吸収してくれる状況ではなかなかね。

難しいのではないだろうか。

だからどこかで決断しなくてはならない。

 

いきなりパンツ作戦。

 

とりあえず却下。

今すぐにそうしたところで必ず漏らす。

漏らすと親側もストレスになってしまう。

 

それなら今はまだ「用を足すのはトイレ」というのを教えていこう。

 

ここに落ち着きました。

トイトレという言葉や周りの環境。

平均的な発育。

その辺りに縛られているのは子供ではなく親。

子供はそんな事気にしてないし、ある意味個性なのです。

その他の部分が圧倒的に発達しているかもしれない。

それをトイトレがなかなか進まないだけで見てあげられないなんて可哀そうだ。

出来ない部分を気にする親。出来る部分に過剰に反応する親。

我が家では両方ともあまり良くないと考えています。

大人になれば出来ない事もあるし出来ることもあるのが当たり前だと気が付くからです。

当たり前だと気が付いていることを自分の子供には当たり前ではない。

特別感があまりにも大きくなることを恐れているからです。

 

「2歳でバク転が出来た。」

 

そりゃ圧倒的に褒めるかもしれない。

興奮し過ぎて動画にとってアップロードして、そこから有名になって、最強の子役にしようと芸能界を夢見る親になるかもしれない。

 

でもそうじゃないじゃん。

 

トイレで用を足すのって普通。

そもそもトイトレで騒ぎ過ぎなんじゃないか。

我が子のことになるとどうしても大袈裟になってしまう事もある。

それも我が子だから。

良く考えるとそんなに大騒ぎすることではないことが多い。

食べる前に、

 

「いただきます!」

 

と言えた。

 

「良く言えたねー!偉いねー!」

 

自分の子供であって、尚且つあんまりしゃべらない時期にそれが言えたから。

それだけ。

大人になると当たり前。

それが言えないことの方が問題。

 

「学校で何かあったのかな?」

とか。

「嫌いな食べ物かな?」

とか。

 

当たり前を褒めるっていう意味が分からない現象。

当たり前が出来ない時に考えてやれるかどうか。

家族で話し合い出来たことが正解だった。

そもそもトイトレで悩む。

解決しない。

解決しないけど解決させたい。

イライラとイヤイヤ。

気が付いたらなんだか悪循環を生んでる。

 

「出来なくてはならない。」

「うちの子は…。」

 

とか。

なんか違う方向に向かう。

でも家族で話合うこと。

これがキーポイントだった。

トイトレは続けます。

叱ることも褒めることも続けます。

 

つまり、たぶん何も状況は変わっていない。

 

変わってないんです。

用を足すのもまだオムツ。

でもなんか今は別にそんなに悩んでない。

これがどうしてか。

家族会議。

大人と大人で話し合う事。

何かを決めたわけでもない。

なんなら考えていることをぶつけ合って気持ちの面を揃えた程度。

それだけのほんの数十分の会話。

親は不安なんです。

我が子のトイトレが進まない。

これだけですごく不安になるのです。

ママ友の子供はなにもかもうまくいっているように見える。

不安なんです。

その不安が無いと無関心になってしまう。

だから不安は親として絶対に持っていた方がいい。

でも、

 

一人で考えると不安が大きくなり過ぎてしまう。

 

その状況はいかがなもんでしょう。

大人の精神的な健康に響きますな。

な。

まるで、

 

「自分は親として間違っている。」

 

と思ってしまいますな。

な。

その方が子供のトイトレよりよっぽど問題。

 

2歳の子供がトイレで用を足さない。

 

普通~。

超普通~。

 

親が不安になって自分を責めて心を痛めてしまっている。

 

やばー。

超ヤバです。

 

理解してくれる大人と理解しようとしている大人と同じ悩みを持った大人と、

 

良く話合わないといけない。

意見を出して、すり合わせないといけない。

 

それが出来ないと親の心の方が心配になる程ダメージを追っているかもしれない。

 

そうなりゃトイトレなんて進まない。

家族で会議をしても進まないのに。

そもそも進まないものに頭を抱えて悩んでいる。かもしれない。

そうやってトイトレの呪縛から逃れようとしているのかもしれない。

 

だからなんだ!

 

親の心に貯まったマイナスネガティブ、「自分はダメな親かもしれない」オーラ全開の状態。

トイトレで悩んでいるわけじゃない。

そりゃまた別の問題だ。

その問題が解決した頃にはもう我が子はパンツを穿いているかもしれない。

 

気が付け。

 

親なんて大体無力だ。