流行の波に乗って沖まで流される前に心得よ

生活

流行りについていけてない自分を実感することがある。

年々そう思う瞬間が増えているような気がする。

それはファッションだけじゃなくて、テレビに出演している人達も言葉遣いも、食べ物も。

 

「これが流行っているのか。」

 

なぜか疑問が先に出てくるようになる。

でも「流行っている」と言われれば一応手に取ってみたり興味はある。

それに触れる機会を作ろうとする。

そして実際に触れてみて思う。

 

「これが流行っているのか。」

 

これだけ多くの人がいる世の中で何が流行ってもおかしくはないのだろうが、

どうしても腑に落ちないこともある。

なぜ流行ったのか深く理解出来ないものもある。

それが理解出来ないと馴染まない。

だから流行りに乗ることも出来ない。

存在価値を見出せないものに対してはどうしても拒絶してしまうらしい。

 

若い頃はテレビに首ったけで、

いつも流行りを追って生きていたような気がする。

 

ただ、最近はテレビや雑誌からだけで流行りが作られているような気もしない。

 

ネットや普段の生活範囲内の交流。

一体どこで何が流行るのか全く予想がつかない。

 

ちょっと忙しくなるとテレビを見ることも無くなる。

 

仕事柄かもしれないが、世の中の情報と言えばネットニュースでトップに表示されるようなものが中心。

そしてその情報だけでも何とかやっていけている。

 

だからそこに突然「今流行っているもの」が飛び込んできても、

「これが流行っているのか。」

と少し遠目で見ているような感覚がある。

 

もう、ミーハーって言葉も無くなるんじゃないだろうか。

 

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流行りには波がある。

流行りのスピード感。

最近炎上という言葉を目にする。

ネット炎上。

誰かがアップロードした情報が、常識から逸脱したものなのか、極端に面白いのか。

賛否両論ある意見をぶつけあったりする。

問題視されればそれなりの意見も出てくる。

そして多くの人にその情報が共有されるようになる。

ツイッターやらなんやらでそれが更に拡散されていく。

ある所から出た小さな火が大きくなる。

 

まさに炎上。

 

アクセスが集まり過ぎてサーバーがダウン。

なんていう文字も見たことがある。

 

これってたぶん。

 

アクセスが集まってサーバーがダウンするって意味がわからない人の方が多いんじゃないだろうか。

むしろサーバーがダウンしない方がおかしい。

 

炎上しても、

サーバーがダウンしないっていうのは、

少しにおう。

 

それだけのアクセスにも耐えうるだけのキャパがあらかじめある。

炎上を想定しているかのよう。

 

そもそもサーバーがダウンするっていうのは何かを発表する会場の広さが訪れた人の量よりも小さくて、中に入れないような状態。

 

それなのに今、どんなに炎上していても中に入れる会場が用意されているような感覚になる。

 

もちろんこうして「何かを書いて発表している」ようなホームページを持っている人なら大体構造がわかったりする。

だからこそ不自然な感じがする。

一度「炎上を経験した」事があるような。

または炎上を望んでいるような。

 

「炎上した場合」を想定して、会場を広めに取ってあるような印象。

 

もちろん会場に人が集まれば、そこに多くの「広告主」が現れる。

一度に多くの目に触れるチャンスがあるから。

 

それが炎上ビジネス。

 

あらかじめ炎上が起きることを想定して、広告を打ち出す。

 

炎上商売。巧み過ぎる。

 

流行りっていうのは炎上なわけで。

 

今は炎上って言う言葉が主流だから「流行り」を忘れてしまいそう。

内容が内容だった場合に「流行り」と言ってはいけないのかもしれないが、

炎上は間違いなく、「流行り」に似たような現象だと思っている。

 

テレビや雑誌で火をつけていた「流行り」がいつの間にかネットが主流になりつつある。

 

ツイッターやらラインやらで高速で多くの人に拡散されるっていうのもまるで全て仕組まれているような感覚さえある。

 

そのスピードが早過ぎて、テレビや雑誌を追っていた私には到底追いつけない。

 

だからいつも遠目で「これが流行っているのか。」となる。

 

別に老いたわけじゃない。

歳を重ねたからだけではない。

 

流行りのスピード感が凄過ぎる。

 

と自分に言い聞かせている。

 

火付け役。

流行った理由がわかるものとわからないものがある。

このあたりは個人差があるからはっきり「これ!」っていう決定打はない。

自分的に「?」が出て来るような「人」だったり「物」だったりが流行っているのを目撃することがある。

 

「最近この人よくテレビで見るよねー。」

とか。

「最近これ使ってる人多いよねー。」

とか。

 

「ふーん。」

とか言いつつも「?」が出ている。

 

文句を言いたいわけじゃない。

別に「なんで?」と聞くのも野暮だと思っている。

でも、

自分的に「?」が出るのだから仕方がない。

 

パッと見た感じだと「良くテレビに出ている」意味がわからない。

圧倒的にすごいところがあるのだろうか。

気になるから一応「どんな感じ」なのか見てみる。

でも別に特別何かを感じるようなこともなかったりする。

見る人が見れば魅力的なんだろうか。

 

パッと見た感じだと「最近多くの人が使っている物」の意味がわからない。

結構前から似たようなものはあったような気がする。

気になるから一応「どんな質感」なのか触ってみたり食べ物なら食べてみたりする。

でも別に特別な何かを感じるようなこともなかったりする。

ナタデココ程の驚きはない。

わかる人にはわかる違いなんだろうか。

 

それが「誰」で「どんなもの」なのかよりも、

「?」が出る流行りがあったりする。

 

この辺の塩梅が良くわからない。

 

一昔前はもっとジワジワ流行ってそれが主流になるくらいのレベルであったような気もする。

ネットがあるから急速に火がついては消えてを繰り返しているのかもしれないが、「流行る」ってもっと物凄いエネルギーがあったような気もする。

大きな波のような感じ。

 

だから「?」が先に出てくるような流行を目にするとなんだか疑ってしまう。

 

火付け役がいるのではないだろうかと。

 

これは単に歳を重ねたからなのかもしれない。

 

別に流行にいちゃもんをつける程偉くもない。

 

ただ、自分の「?」に従わないと流行だけに自分も流されてあれもこれも手に取ってしまうことが怖い。

 

見定めないといけない。

これだけ流行の流れが早いと、次から次へとあちこちで火の手があがる。

今こうしている間にも何かがどこかで流行り出す。

凄いスピードで拡散される。

バズられる。

 

多くのそれを追っていては自分を見失いそうになる。

 

でも流行りに乗れないと人間関係的に追い込まれたりする時がもある。

「知らないの!?」といった感じで。

だから流行を追う部分は追っておかないといけない。

 

テレビとラジオと新聞だけ読んでおけば何とかなる問題じゃなくなった。

 

既読スルーも未読スルーも大問題。

 

ありゃただの居留守だと思っている。

 

でもそれだけじゃ済まないと考えている人もいる。

 

あまり最近の流行りとか時代の流れにメスを入れるような事を言うのは好きじゃないが、

流行も自ら作り出せるような状態になってはさすがに乗れる流行と乗れない流行もある。

 

サーファーでごった返している浜辺みたいな感じで、乗れない波があったりする。

 

そうなると自分が乗れる波が来るまで待ったり、誰かが乗りそびれた波を見つけたりする。

 

そもそも自分はサーファーではないのにも関わらず。

 

これが流行の怖いところだと思っている。

 

まるでそれをしなければいけないような状況になっていないか。

 

流行を選定することも大事かもしれないけど、

そもそも必ず流行を捉えなくてはいけないのか。

 

複雑な人間関係があるにせよ、

無理に波に乗る必要はないと思う。

 

サーファーである前に私は人間であって、流行りという波が無くても生きてはいける。

 

流行に乗るも乗らないも好きにするべきだと思うが、

「流行を知らない」っていうのもなかなかの面白さがあると思っている。

 

それと単に波に乗ったまま沖に流されるのが嫌。